2011年05月17日 18時06分

熊本市電(7)「田崎橋」点景。

昭和53年1月29日、熊本市電「田崎橋」電停。
停車中の電車は「1207号」です。そうっ!これが奇跡の再会。
この写真の約2時間半前、「健軍町」で出会った電車だったのです。
実は今回、このブログを書くために過去の写真を発掘中に発見しました。
当然、当時は気付いていません。自分が乗った電車にも普段、
あまり注意を払わない私ですが、さすがにこれからは、
多少は気にしようと決意をせざるを得ませんでした。

話しは電車に戻し、「1207号」の車齢は私より少し若い程度で
既に50歳を越えていますが、この電車というか「1200型」は、
この昭和53年から冷房化改造が始まり、日本発の「冷房付き路面電車」として
話題になりました。もっともこの写真を撮影した時点では
「1207号」は冷房化されておらず、暫くこの姿で走っていたはずです。

またこの電車は、私が「熊本市電」を完乗した記念すべき電車であるということも
合わせて報告しておきます。
(だから何なんだということはさておき・・・)

ところで書いていて思い出したのが、乗車時、
「水道町」から乗った電車の乗客は、「熊本駅前」で殆ど下車し、
この「田崎橋」までの乗客が極めて少なかったこと。
写真を改めて見ても道路の真ん中に『ポツン』と止まっているだけで、
人影がありません。当時は、写真を撮影するときにそれほど
“人の写り込み”を気にした時代ではないので、
本当に人がいなかったと思われます。

今はいかが相成っているのでしょう?
それよりも、サイドリザベーション化なった「田崎橋」までこの際、
行けば良かったと今更ながら後悔しております。
優先順位の付け方なのですが、そもそも今回の「熊本市電」訪問も実のところ
結構思い付きだったりして、これでは『都市交通の在り方』等と
えらそうに書く資格は無いですね。

2011年05月17日 8時00分

熊本市電(6)「上熊本」電停はいい感じ。

路面電車の終点というのは、幾つかのパターンがあります。
当時、私が知っている市電の終点の風景は、やはり名古屋市電の
イメージが強く、道路の真ん中に、ポツンとあるというものでした。

そのためこの電停に上屋のある風景は私にはとても新鮮に映り、
まるで地方の小私鉄のターミナルのような感想を持ちました。
それはそれとして、電車を待っている人たちの服装(特に女性)に
時代を感じさせます。電車だけで時代を感じることもありますが、
やはりその時代時代を生きている“人”のいる日常の光景こそ
『時代を写している』といっても良いのでしょう。
もっともこの写真は『肖像権』を気にしなくてもいいから
UP出来た訳ですが・・・。

この写真で時代を感じさせるものがもう一つあります。
小さな画面でご覧の方は分かりにくいでしょうが、
電車の左奥にトラックが止まっており、その更に奥にある建屋には
荷物が山積みされ、おそらく「上熊本駅」から貨物列車で出荷されるか
到着したものと思われます。

現在、こうした小口扱いと思われる貨物が駅から消えて久しくなりますが、
現代の“効率”論から考えると当時は『良き時代』だったのでしょう。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2011年5月
« 4月   6月 »
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!