2011年05月20日 17時29分

島原鉄道(4)昭和50年の島原鉄道の入場券。

上が「島原駅」の入場券。
下が今は無き「加津佐駅」の入場券です。
券面中央の赤帯が何とも言えない味を醸し出しています。
今も、島原鉄道の有人駅ではこうした硬券を売っているのでしょうか?
参考までに、現在の島原鉄道の有人駅は
*南島原*島原*多比良町*吾妻*愛野*本諫早の6駅です。
起終点が無人で中間駅に有人が存在するのは、熊本電鉄も同様ですが、
比較的珍しいのではないでしょうか?

また当時、島原鉄道は非電化私鉄の「九州の雄」、
場合によっては「西の雄」と謂われていたと記憶しており、
「諫早」~「加津佐」間の1路線78.5キロという長さは、
非電化私鉄では当時、日本最長であったと記憶しています。
※「東の雄」…関東鉄道。
 「西の雄」…元々は江若(こうじゃく)鉄道。今のJR西日本
/湖西線沿いにあった鉄道で、昭和44年に廃止。

また非電化私鉄では唯一の特別料金(急行料金)の必要な列車が
1日4往復設定されていた他、国鉄への乗り入れ列車も1日2往復の
「長崎」発着の他、「佐世保」、「博多」から長駆「小倉」まで
足を伸ばす列車等、5往復が設定され、鹿児島交通の「西鹿児島」への
3往復や有田鉄道の「湯浅」への4往復、小田急「あさぎり号」の4往復の
「御殿場」乗り入れをはるかにしのぎ、定期運用の乗り入れ数は
当時、いわゆる“相互乗り入れ”や少々事情の異なる“伊豆急”
“伊豆箱根鉄道”を除けば日本最多だったはずです。

昭和50年当時、如何にこの鉄道が島原半島を支えていた交通機関で
あったかが見て取れます。

    

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    プロフィール

    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!