2011年05月20日 8時04分

島原鉄道(3)昭和50年の島原鉄道。

昭和50年3月10日、山陽新幹線の博多開業日に合わせ、
私は九州を目指しました。
(開業日の乗車は私にとっては画期的)
その時に、島原鉄道を写真の乗車券で完乗しました。

当時は、国鉄の『完乗』などまだ夢にも思っていなかった時代で、
単なる鉄道旅行というか、「観光と鉄道」というテーマ設定というか、
それでも山陽新幹線だけは乗っておこうと思ったのは間違いなく、
ただ、3月10日に名古屋を出て新幹線で九州を目指したところまでは
良かったのですが、小倉で下車しており、博多まで到達したのは翌11日。
さらに巡り巡って14日に「諫早駅」に到達しました。
その「諫早駅」までも、何故か佐世保線の「武雄駅」
(現在の「武雄温泉駅」)から『九州急行バス』に乗っており、
当時の私の「鉄」らしくないこと夥しい行動は、「乗り鉄」を本格的に
始めるだからこそのエピソードといえます。

私の島原鉄道初乗車は、「諫早駅」発12:01の“急行”「加津佐」行き
(何と「佐世保」始発)で、「島原駅」着は12:47。乗車券には
『下車前途無効』とあるものの、ちゃんと途中下車して、
島原市内の「武家屋敷通り」を始めとした観光地を巡り、
「島原駅」発17:43のディーゼルに乗車。「加津佐駅」着18:58で
島原鉄道を完乗しました。
こうして書いてみると、単なる観光旅行のついでの“乗り鉄”ですが、
そもそも島原市内の観光をしている時の写真はあるものの、
当時の島原鉄道の写真は1枚も残っていません。

話しを戻して、『途中下車』の件ですが、当時は弾力的に
運用していたということでしょうが、一方で、国鉄で弾力的運用は
あまり記憶にありません。

もう一点、「諫早駅」から乗車した“急行”は信じられないほど混んでおり、
座れないどころか乗降ドアから乗って、そこから一歩も動けず、
しかもその場所からは、窓外が全く見えず、「島原駅」までは
本当にただ乗っただけの島原鉄道で、
今回、私は初めて島原鉄道の車窓を堪能しました。

●「島原外港」~「加津佐」間は平成20年4月1日に廃止となり、
現在の姿となっています。まだ4年しか経っていないんですね。

    

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    プロフィール

    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!