2011年05月26日 18時19分

島原鉄道(13)島原鉄道、途中下車の旅。

島原鉄道の最後に、「島原鉄道沿線地域公共交通活性化協議会」(交通事業者、沿線の自治体等で組成)がその事業として作り配布している「島原鉄道 途中下車の旅」という冊子についてUPします。
(今朝、少し触れたパンフレットのことです)

写真は左から、表紙、沿線マップの一部、「幸せキーホルダー」がもらえるスタンプラリーの台紙部分で、実際の冊子はページ数もあり、結構盛り沢山な内容で、ちょっとした観光ガイドにもなっています。
※この写真は、各ブロックをそれぞれをスキャンし、1つに纏めています。

「幸せの黄色い列車に乗って“幸せ探し”に出掛けよう!」がキャッチフレーズとなっており、日常的な利用客の増加もさることながら、観光客を強く意識した内容となっており、好感が持てました。
※実物は、是非「島原鉄道」で手に入れてください。
※因みに「幸せの黄色い仔犬」は中京テレビの番組です。参考までに…。

なお、スタンプラリーは「本諫早駅」「愛野駅」「多比良町駅」「島原駅」の各駅で押印するようになっており、最終的には「本諫早駅」か「島原駅」で記念品のキーホルダーと交換します。

また、島原鉄道では「幸せ記念乗車券(幸~愛野~吾妻)」(「幸」~「愛」~「妻」)や“愛の記念きっぷ(愛野⇒吾妻の片道切符…愛の道は片道だそうです)付き”「最愛認定証」といった「幸せ」グッズもあり、島原鉄道と沿線の行政・関係者(住民も含む)の“愛”ある取り組みには心打たれるものを感じました。

あと強いて言うなら、観光トロッコ列車『島鉄ハッピートレイン』が復活して、それも「諫早駅」に乗り入れなんてことはきっとないんだろうなあ・・・。

2011年05月26日 8時02分

島原鉄道(12)「島原の子守唄」と島原鉄道。

ところで、島原鉄道の全車両に写真のような子供をおんぶした女性のイラストが描かれているのをご存知の方も多いと思います。

そもそも「島鉄」カラーといっても良い、ベースの黄色は『豊穣の実り』の黄色で、それに有明海の海を意味する青のラインで彩った車両は、
“幸せの黄色い列車”であると「島原鉄道沿線地域公共交通活性化協議会」の作成したパンフレットにありました。

そしてこのイラストは『島原』を象徴すると言っても過言ではない歌である
『島原の子守唄』をモチーフに、『赤子を背負う子守娘』を描いたもので、
そもそも『島原の子守唄』は、島原鉄道の役員をしていた宮崎康平氏の作詞・作曲によるもので、この鉄道とは深い深い縁のあるものなのです。
※地元の子守唄をベースにしたと言われている。
※「宮崎康平」氏についての紹介はしませんが、とても興味深い方です。是非、一度お調べ下さい。

この歌は「Wikipedia」によれば、昭和34年のペギー葉山さんが歌ったことで有名になったとありましたが、その後も多くの歌手の方に歌い継がれており、私は、歌詞さえ見えばこの歌を歌えるような気がします。まあ、それ位有名だということでご理解下さい。
※音楽を管理する『JASRAC』のHPで検索するとアーティストは原曲だけで35名(グループを含む)にもなっています。

車体に描かれた一つのイラストも、単にイラストと見るのではなく、その地域の歴史を感じさせるものもあります。今回、島原鉄道に乗って、久しぶりに宮崎康平氏と「島原の子守唄」を思い出しました。

2011年05月25日 18時00分

地下鉄桜通線の「列車案内表示」で気付いたこと。

今朝(5月25日)、桜通線で人身事故があり、ダイヤが乱れました。

どこの駅で、どんな事故だったかは、運転再開から1時間が過ぎていたため
分かりませんでしたが、大きな事故でなかったことを祈りつつ
“列車の案内表示”の仕方についての感想です。

写真の撮影順は、時計から上下が逆であることは見て取れますが
本題は時間ではなく、横ロールで流れている文字情報です。
上段写真では「■桜通線は8時17分…」と表示されていますが、
「桜」と「通」の間が不自然に開いています。
下段写真では、「桜」の文字が無く「通線は8時17分…」となっています。

どうしてこうなっているかというと、「■桜」の文字は左端に固定でしかも点滅しており、「通線」以下の文言が右から左方向に横ロールで流れているためです。
それゆえ、下段写真の不思議な文字が表示される瞬間があるのです。それでもまだ上段写真はましな方で、左端に「■桜」があり右端に「通」以下の文字が見え始めるのは、情報の伝達手段としては如何なものかと思わざるを得ませんでした。

補足説明しますと、この「■桜通線は8時17分…」の表示のときだけの現象で
このブロック以外の文言では、こんな表示はされていませんでした。
ひょっとすると、入力の際のミスだったのかも知れませんが、デフォルトが
これだとしたら、変えたほうが良いと思いました。

2011年05月25日 9時05分

島原鉄道(11)「諫早駅」到着。

17:06、定刻で「諫早駅」に到着しました。学校の下校時刻と相まって、
「本諫早駅」近くではほぼ満席でした。ただ、単行のディーゼルゆえ、
乗客数がそれほど多いわけではありません。それにしても、一地方にあってほぼ1時間に2本を確保している利便性は賞賛されても良いでしょう。

ところでここ「諫早駅」は以前から国鉄、今はJRに集改札を委託しています。そういう意味ではここ「諫早駅」は『島原鉄道』にとっては無人駅であり、下車する際に運賃を精算し、写真下段の「清算済票」を運転士さんからもらった上で、これをJR「諫早駅」の駅員さんに渡します。
ただ私は、『乗車記念』ということで頂いてしまいました。
長崎県第3位の都市「諫早市」は人口14万人で、市の中心部は島原鉄道の「本諫早駅」周辺のようで、「本諫早駅」での乗降は結構ありました。

また、「本諫早駅」の一駅島原寄りには「幸(さいわい)」という何とも、心がホッコリする名前の駅があり、その駅名看板を写真に撮影しようとは思ったものの、チャンスを逃し、ここにUP出来なかったことを報告します。
(余計は事を書く必要は無いと言われそうですね)

「幸駅」は平成12年の開業で、駅の所在地が「諫早市幸町」ということからその名前があるようですが、少々出来すぎの感はありますが、
その「幸駅」が出来たことを“幸い”にしたいと言う島原鉄道の思いを感じないわけではありません。

「諫早駅」の話しから「幸駅」の話しに脱線してしまいましたが、景色の良さも手伝って、アッという間の1時間13分だったことを報告しておきます。

2011年05月24日 18時12分

島原鉄道(10)「森山駅」で交換。

終点の「諫早駅」にもほど近くなった「森山駅」で、私の乗った124レは、
127レ「南島原駅」行きと交換。16:48分着で16:52発と初めて
交換待ち(私の乗車した列車が対向列車待ち)をしました。

さて、こんなに時間を詳しく書けるのは、運転席にあった124レの仕業表を写真に撮っていたからですが、実は、「島原外港駅」でいろいろな写真を撮影したり、列車交換があるたびに乗務員室横の“お立ち台”にいたりしたので、運転士さんからはほぼ全ての撮影が黙認状態となっており、おかげでいろいろな写真を持ち帰ることが出来ました。
●運転席周りの撮影中は、私の撮影が終わるまで乗務員室の外で待っていてくれたほどです。と言う事で、今回は運転士さんへの「声掛け」は敢えてしませんでした。

もっとも私の撮影中、乗客の方は若干、不審な面持ちで見ていたのは
間違いなく、まあ、私は慣れているといえば慣れているのでそれは良しとして、運転士さんの理解はありがたく思いました。

ところで交換した2両編成の先頭車は「2501号」で、
文字通り『キハ2500形』のトップナンバー。それもあってこの写真をUPしました。

2011年05月24日 8時09分

島原鉄道(9)「大三東駅」は海から近い!

島原鉄道きっての難読駅と私が思っている「大三東(おおみさき)駅」です。因みに、マイクロソフトのIMEで「おおみさき」と入力すると一発で出てきて少々驚きました。これは余談です。

今回、初めて「島原鉄道」の車窓を楽しんでみて、本当に美しい(心洗われる)風景が続いていることに少々驚きました。これはある程度の予測はついていたもののその予測を超えるものだったことをここに書きとめておきます。

さて写真のようにここ「大三東駅」は、海に本当に近く、目の前に広がる海は正に圧巻で、「雑誌に取り上げられたり、ドラマやテレビ番組の撮影などがよく行われる」との話しも頷けるものでした。
進行方向右側に広がる海の風景は、ここ大三東駅周辺だけではなく、更に20分ほど目を楽しませてくれました。

この「大三東駅」を出ると次の駅が「島鉄湯江駅」となりますが、今度は海ではなく、島原半島のシンボル「雲仙岳」のビュースポットとなっています。参考までにこの手前、先回の「三会駅」付近でも右に「有明海」、左に「雲仙岳・平成新山」という何とも贅沢な車窓が展開されていました。

また、「古部(こべ)駅」(ここも海際の駅)周辺では、進行方向が南西の方向となるため、夕日も美しいとのことでしたが、さすがに16:30頃では時間的にまだ早かったようです。

その他干拓地の田園風景を楽しめる区間もあり、もう少し、この車窓をアピールしても良いのではと思いました。

2011年05月23日 18時41分

島原鉄道(8)「三会駅」で、2550形と交換。

「島原外港」を出て4駅目、「三会(みえ)駅」で、最初の列車交換を行いました。
●『三に会う』と書いて『みえ』と読むのは難しいほうではないでしょうか?

この駅も、昔ならタブレットの収受と腕木式信号機の組み合わせだったのでしょうが、(残念ながら)とはならずです。
もっとも「残念ながら」とは本来言ってはならない言葉なのでしょうが、思わず口をついて出てしまいました。それにしても島原鉄道の交換可能駅の線路有効長は結構長く、昭和の時代の貨物輸送が盛んな頃を思い起こさせてくれるのには十分でした。

私の乗った「島原外港駅」発15:53の124列車は、
「諫早駅」着17:06までに、この「三会駅」を含め5回の交換をしていますが、交換可能駅が今も結構あるため、対向列車待ちの時間は思ったよりも少なく、交換待ちに伴うストレスは比較的少ない乗車でした。

また車内にはトイレがあるため、やむをえないとは言え、どこかの鉄道会社の「トイレ休憩」のためではないかというような、途中駅での停車も無く、車両の面白みを別にすれば、気分的には楽な『鉄道旅』となりました。

2011年05月23日 8時04分

東京メトロの「節電ダイヤ」。

先週金曜日、久しぶりに東京出張でした。

東京メトロを始め、「節電ダイヤ」で運転している鉄道会社があるのは知っていたものの、名古屋に住んでいるとその実感はありませんでした。

写真は、有楽町線市ヶ谷駅で撮影したもので、池袋方面行きの時刻表です。
平日昼間の運転本数が減っているのが見てとれます。
(記憶間違いでなければ、震災前の昼間は6分間隔だった)

実際に利用してみて、若干本数とはいえ、削減はやはりそれなりに影響があるということです。
私もホームに行ったときに電車が丁度出たところで、次の電車まで、これまでよりも少し長い時間待たされることになりました。

致しかたないことではありますが、この状態が早く終息することを願わずにいられません。
一方で、この本数でも、電車は少々混んでいるような気はしましたが、ラッシュ時のような満員ということはなく、それゆえ利用者はまるでこれが日常であるがごとく行動していました。

2011年05月22日 18時00分

「Japan Rail Pass」を初めて見ました。

昨日(5月21日)、私のインド人の友人夫妻が我が家に泊りました。

夫妻は、20日間の予定で日本に滞在しているのですが、
5月18日(水)~31日(火)は、『Japan Rail Pass』を利用しているとのことで、その実物を見せてもらいました。

左側が表紙で、真ん中と右がその中身です。
『Japan Rail Pass』は、私達にはあまり馴染みがありませんが、
発行条件が、日本国籍以外の旅行者に限られているうえ、例えばJRを利用して日本国内を広範囲に移動しない限りあまり金銭的なメリットもありません。
なおかつ日本への入国前に購入しなければならず、ということで私もこれを初めて見た次第です。
●普通車・14日間有効で45,100円。

まあ私達がヨーロッパに行く際に「ユーレイルパス」等の鉄道パスを購入するのと同じですが、旅先の国で「どこに行くか?」によって、必ずしも購入するとは限らず、それと同じです。

ところでこの夫妻、東海道新幹線は「ひかり」で移動しており、『何故?』とばかりに写真の中央のブロックにある“運送条件のご案内”を見たところ、「のぞみ」(ここには書かれていませんが“みずほ”も)は使えないようになっていました。
東海道・山陽新幹線の主力である、「のぞみ」が使えないのでは利便性に欠けており、「フルムーン夫婦グリーンパス」と同じ扱いではあるものの、少々残念です。

私見ですが、せめて“自由席”だけは利用を認めてほしいと感じました。何せ、外国からわざわざ日本に来てくれて、しかもJRを選んで日本を移動しているのですから…。

2011年05月22日 9時07分

島原鉄道(7)2500形「島原外港駅」到着。

15:44、定刻で「急行 島原外港」行きが姿を現しました。これが折り返し「島原外港」発15:53となります。

急行といっても昭和50年代のような島鉄オリジナルの
キハ26形・55形「国鉄乗り入れ急行用車両」ということはなく、
明るい黄色の『2509号』の登場でした。名古屋市民としては、黄色の塗色には強い思い入れがありますが、南国でみる黄色もまた
良いものです。

ただ、島原鉄道の車両は、2500形と2500形のみで、
外観は私には全く同じに見えるので、そういう意味では面白みに欠ける路線と
言えそうです。

それでも車内はセミクロスシートで、私は無事、有明海側のボックスに
身を置くことができ、『旅』気分を堪能する準備は整いました。
等と実は書くまでもなく、「島原外港」を出発したときの乗客は
ほんの数人で、結局、私の座っていたボックスに他の乗客が
相席となったのは「愛野駅」駅を過ぎてからだったと思います。

乗客の少なさは、経営の悪化に直結するので望ましいものではないのですが、
ボックスシートで、前の席に足を伸ばして風景を楽しむなどといった
贅沢が出来たのは、ちょっと嬉しかったと正直に告白しておきます。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2011年5月
« 4月   6月 »
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!