2011年05月11日 18時48分

熊本電鉄(16)昭和の乗車券。

昔々の昭和の時代の乗車券です。
上が「菊池」~「藤崎宮前」の区間で、
下が「上熊本」~「藤崎宮前」間のものです。

当時はワンマン運転ではなかったので、
何れも車内で車掌さんから購入したものと思われます。
ただ駅で買った可能性もゼロではありませんが、
「上熊本駅」は当時も無人だった気がします。
間違っていたらすいません。

駅名の前に「◎」と「○」がありますが、
ひょっとして「有人駅」「無人駅」の違いとか、「交換可能駅」とか
いろいろ考えてみましたが、特に後者は利用者には意味が無く
結局どんな意味を持つかは分かりません(推理できません)でした。

一点、面白いと思ったのは、「菊池線」が一本の線上にあり、
「藤崎線」が「北熊本」から分岐していることです。
もっとも単に“駅名”のレイアウトの都合からでしょうし、
利用客が多いとは言え、藤崎線を立てたレイアウトにすると
この券面の“駅名”がどれほど歪(いびつ)な並びになるかは
いうまでも無いことでしょう。

ただそんなことを考え、つらつらとブログに書くのは私くらいかも知れません。

2011年05月11日 9時03分

熊本電鉄(15)今は無き、旧「静岡鉄道」車と現役の旧「南海」車。

上段写真は、昭和53年1月29日、「藤崎宮駅」停車中の
旧静岡鉄道100形(熊本電鉄では500形)で、
手前の電車が「502」であることはこの写真で確認できましたので
「502+501」の組み合わせです。奥の500形の番号は不明です。
廃車となったため今は存在しない電車です。

下段写真は、平成23年3月25日、「北熊本駅」というか
「北熊本車庫」の留置線で休む旧南海高野線22000形
(熊本電鉄では200形)で、手前が「201」で2両目が「202」です。

何故今回この写真を2枚UPしているかというと、
『パッと見』この2種類の車両が同じに見えたのです。
これは車両全体の印象であって、よく見なくても普通、
その違いは分かるはずなのですが、何せ、私は思い込みが激しくて…。
というか、熊本電鉄に南海の22000が入ったことを
単に私が知らなかっただけ(鉄道趣味誌には出ていたのでしょうが…)
なのですが、今回「北熊本駅」の側線でこの200形を見た時、
一瞬、『旧・静鉄車両』を塗り直したのかと勘違いしていました。

500形は古くなってきたとは言え、予備車なら“あり得る”と思ったのが
その理由です。
それでも、500形と思い込んでいた200形の写真を撮りながら、
「あれ?製造会社が東急車輛だ・・・」辺りから気がつき始め、
正面の貫通路に気付いたところで「南海???」と『正気』に戻った次第です。
本当に情けない話しです。

今回は、「車両」にあまり食指が動かない『乗り鉄』の
戯言(たわごと)ということでお許し下さい。
でも、「全体の柔らかいフォルムの第一印象が似ている」とは
未だに思っています。
とは言うものの、あまりの低レベルに自己嫌悪に陥っています。
まあ、たまには自ら“無知”を晒す正直者ということで。。。

2011年05月10日 18時55分

熊本電鉄(14)昭和の「藤崎宮前駅」点景。

昭和53年1月29日の「藤崎宮前駅」です。

奥に停留中の電車は、形状から元東急の201形と思われますが、
定かではありません。
手前に少しだけ写りこんでいるのは101形と思われますが、
車体番号はやはり不明です。

この写真を見てまず目についたのは『腕木式信号機』。
昭和53年頃、国鉄でも地方線区ではよく見かけましたし、
地方の中小私鉄ではまだまだこれが主役だった記憶があります。

また、今や「町の片隅にひっそり」という形容詞がピッタリの
「藤崎宮前駅」の構内が、当時、結構ゆったりしていたのは発見でした。
こうして今と昔を比べながら「鉄」旅をするのも、
趣味生活が半世紀近くなった者の醍醐味かもしれませんね。

(東日本大震災における対応)
今回のブログ(昭和の熊本電鉄)から話しは変わりますが
昨日、国土交通省から配信された『メールマガジン』に、
『鉄道路線の復旧にあたりまちづくりとの連携等の検討が必要となる区間が
含まれる路線』という項目があり、そこには
『壊滅的な被害を受けた沿岸部の鉄道路線については、
もともと路線があった場所に線路や駅舎を復旧しても、
まちの復旧とマッチングしなければ意味が無く、
利用者の利便性等に配慮する必要があります。
そのような事情で、まちづくりとの連携を図りながら検討を
進める必要があり、
相当の期間が要すると考えられます。』とありました。
上記の文章は、国土交通省のメール本文をそのまま引用していますが
その区間として、
●JR八戸線(階上~久慈)
●JR山田線(宮古~釜石)
●JR大船渡線(盛~気仙沼)
●JR気仙沼線(気仙沼~柳津)
●JR石巻線(女川~石巻)
●JR仙石線(石巻~高城町)
●JR常磐線(亘理~久ノ浜)
が挙げられていました。

これはこの5月2日付けでJR東日本が国土交通省に提出した
「東日本大震災による津波被害を受けた沿岸線区の復旧について(要望)」
への対応とも取れましたが、何れにしろ、鉄道の完全復旧への
見通しが立たない状況が、改めて浮き彫りにされた感があります。

今回の発表について、私はコメントする言葉を持ちません。ご了承下さい。

2011年05月10日 8時57分

熊本電鉄(13)昭和の「藤崎宮前駅」。

昭和53年の「藤崎宮前駅」です。上段がその写真です。

まず目に入るのが『清酒 菊の城』の文字で、
次に『菊池温泉行電車のりば』で、一体、駅名の「藤崎宮前」は
どこにあるのでしょうか?
答えは、正面の白地の大看板の下、駅の中に入る軒の下に小さな文字で
「藤崎宮前駅」とあります。
(この写真のサイズでは殆ど読めません)
なお、“駅”の文字は、旧字体で、おそろしく時代がかっており、
多分、現在の駅舎になるまでそのまま使われていたのではないでしょうか?

下段写真は101形電車のサイドに付けられていた行き先看板
(方向幕ではないので、やはり看板かな?)で、
「熊本⇔菊池温泉」とあります。
数少ない当時の写真を見てみると、少なくとも102・103・121では
この行き先看板が確認できましたが、71にはついていませんでした。

ところでこの「菊池温泉」ですが、この電車の終点、
「菊池駅」からはどれほどの距離だったのでしょうか?
そもそも、熊本電鉄に乗った当時は会社に入って間もない頃で
そんなに“温泉”に興味はなく、そのため電車のどてっ腹に大きく書かれた
「菊池温泉」の文字に、逆に興味を持ってこの写真が撮影したのでしょう。

「菊池温泉」の公式HPによれば、昭和29年に湧出とありますから、
当時としてはそれほど歴史のある温泉ではなかったようです。
それでも『わかさず・ぬるめず・循環させず』のキャッチコピーがHPに出ていたので、温泉の“質”は期待できそうです。
そもそも“温泉電車”がスタートではない熊本電鉄だけに、駅の「菊池温泉」の大看板や、電車の「菊池温泉」の巨大行き先表示は、
既に当時、乗客減少に苦しんでいた熊本電鉄の
『起死回生』の切り札だったのかも知れません。

今、熊本電鉄に行っても「菊池温泉」の文字は見当たりません。
「御代志」から先が廃止されたのが理由でしょうが、それだけに
この写真に哀愁を感じています。

2011年05月09日 18時09分

熊本電鉄(12)平成の「藤崎宮駅」。

平成の「藤崎宮駅」です。
電車の到着直後と出発直前以外は閑散としていました。

下段写真は、1線2面のホームと改札で、近代化がなった
地方の起点駅と言った感じですが、いつの間にか無人駅となっており、
とんだところで熊本電鉄の有人駅が今や「北熊本駅」だけだと知りました。

そこまではただ駅が『新しくなったなあ』という程度でしたが、
『改札』を出て、ビルの通路というか裏路地のような所を通り、
慣れない私は、「一体どこへの出るのだろう。本当にここを通って行くのかな?」などと思いつつ、それでもそこを抜けて表通りに
行き着きました。
そして目の前の視界が広がり振り向きざまに思わず
「んーっ」と唸ってしまいました。
そこには、10階を越える堂々たる『ビルディング』が立っており、
「ホーム」&「改札」とのあまりの落差に、これを“駅”ビルと
呼んでいいのか、迷ってしまうほどでした。
正直、上段写真を撮りつつも、熊本電鉄「らしくない」といったら
失礼でしょうが、そのギャップが大きすぎて本当にこの写真を
「藤崎宮駅」としてここにUPしてよいか未だに迷うほどでした。

ここ「藤崎宮駅」に出入りする電車は元東京都営の「6000形」なので、
それでもまだ様になっていますが、これが「5000形」だったら
不釣合いなこと夥しい限りです。
それにしても、ここから「熊本市電」の『通町筋』電停までは
商店街(なかなか良い雰囲気)とアーケード(大都市・熊本を感じさせる)を
抜けて10分ほどかかり、やはり不便なターミナルであることだけは
間違いありません。
もっとも途中にあった熊本ラーメンの店は美味しかったですが・・・。
この話しは「熊本電鉄」とは全く関係ないですね。失礼。

2011年05月09日 8時07分

熊本電鉄(11)併用軌道区間。

熊本電鉄名物、「藤崎宮前」~「黒髪町」間の併用軌道です。
20メートル級の大型車両が走る併用軌道は、
名鉄の犬山橋を始め、近鉄奈良線・山陽電鉄など
かっては各所で見られましたが、今はここ熊本電鉄と
少し小振りですが編成長のある京阪の京津線くらいでしょうか。

最近は年のせいか、先頭車の「齧り付き(かぶりつき)」で
前面展望を楽しむことがすっかり減ってきた私ですが、
こうした特色のある区間だけは別!絶対に譲れません。
ここの併用軌道は短いですが何せ、道路幅が狭いだけに迫力があり、
次回は、道路で電車を待ち受けたいものだと改めて思いました。

少々強引ですが併用軌道といえばLRT。
熊本電鉄では、経営の再建及び都市交通の整備の観点から
その路線のLRT化の提案をしています。
計画の詳細については熊本電鉄のHPに詳しい内容が出ているので
そちらに譲りますが、今回、実際に「御代志」~「藤崎宮前」を
乗ってみたのですが、「藤崎宮前」から『熊本市電』に
直通するようになれば、少なくとも熊本電鉄沿線の住民には
大きなプラスになるであろうと感じましたし、
少なくとも乗客動向からして『荒唐無稽』とは思えませんでした。

熊本市では「熊本市電」「熊本市バス」「熊本電鉄」等、
熊本市内を走る公共交通が合同という使い勝手の良い
「1日乗車券」を発行しており、今回、私もそれで熊本市内を
回っていました。(但し、エリア制限のあるタイプ)
その意味では交通事業者間の話し合いが出来る素地はありそうです。

ただLRT化の実現に向けて、思いの他ネックになりそうなのは、
今現在、全線の各駅間の最高速度が35キロ~45キロ程度ということで、
少なくとも60キロにならないと専用軌道のLRTを
活かしきれないのではないでしょうか?
まあ、個人的な感想です・・・。
それはともかく、その実現に向け、前向きな検討がなされることを
切望して止みません。これは決して「鉄」の趣味の問題ではありません。

2011年05月08日 18時22分

熊本電鉄(10)「はけみや駅」は本当に「はけみや駅」か?

今回は熊本電鉄の「駅名看板」の話しです。
それもこの「はけみや」に限っての話しです。
漢字で書くと「八景水谷」と書きます。
思わず唸ってしまうほどの難読駅名です。

でも“難読”駅名ということで、その話しをここで書くほど
私は甘くありません。
実は「御代志」行きの電車に乗っていてこの駅に到着するときの
『車内アナウンス』で「あれっ?」と思い、
念のため帰りの電車の中でも全精力をこの駅の『 車内アナウンス』に
傾けました。
最初は「聞き間違い?」ではと思ったのですが、
やはりそんなことはありませんでした。
一応、行き掛けに気になったので、帰路、この写真を念のため
撮影しておいたのです。
いくら「鉄」でも、普通はなかなかこんな写真は撮りませんよね。

で、更にその夜、ネットで熊本電鉄の公式HPにアクセスし確認作業を
急ぎました。

物凄く勿体を付けていますが、結論から言うとこの「八景水谷駅」の読み方、
間違いなく「はけのみや」です。
「はけみや」ではなく「はけ“の”みや」だったのです。

以前、昨年の12月19日に、青森県の弘南鉄道大鰐線で、
駅名看板のローマ字表記の原則が駅によって異なることを書きましたが、
そんな比ではありません。何せ、駅名看板が“車内アナウンス”
“公式HP”での案内と異なっているのですから。
一応、弁明しておきますが私は『揚げ足取り』の達人ではありません。
ただ、色々なことが気になっているだけです。
こんな例は他の鉄道会社でもあるのでしょうか?
それとも熊本電鉄だけ?
それにしても、どうしてこうなっているのでしょう?
ひょっとして「はけみや」も地元では正解???

2011年05月08日 9時20分

熊本電鉄(9)自転車でGO!

熊本電鉄では、条件付きで車内への自転車の持込が認められています。
その条件とは「時間帯」で、
●月~金・土の9:00~15:30
●日曜・祝日の一日中
但し、年末年始や多客時、又、雨や雪の時は持ち込めません。「雨」と「雪」で乗車不可は、考えてみれば成程で、
びしょびしょの自転車が乗ってきたら一寸困ってしまいますね。
でもそんな時こそ乗せてあげたい気がしないでもないです。

写真の高校生達には、撮影の許諾とブログへのUPの了解を頂いていますが、
時々自転車と一緒に乗っていると話してくれました。
彼らは御代志駅から乗り込み、途中の駅で降りていきました。
また、この高校生とは別に一人、
多分、70歳を少し越えた方が「御代志行き」の電車の運転士さんに
「御代志まで電車で行ってそこから自転車に乗りたいのですが良いですか?」と
何度も確認しながら自転車と共に電車に乗り込んでいました。
どうやら初めて乗せたみたいで、その緊張振りが
こちらまで伝わってきました。

日本でも最近、自転車を乗せられる鉄道会社がありますが、
実際に自転車を車内で見かけたのは今回が初めてです。
公共交通のサービスの一環としては優れていると思っていますが、
日本ではやはり、乗客数の少ない地方交通でしか成立しないのでしょう。

2011年05月07日 21時32分

熊本電鉄(8)「御代志駅」のバス連絡。

熊本電鉄の終点「御代志駅」に発着するバスを見ていて、
『フィーダーバス』という言葉を思い出しました。
●『フィーダーバス』とは?
 *鉄道に接続し、駅からその鉄道の支線のように運行されるバスのこと。
 *通常は、鉄道のダイヤに合わせて運転されている。
以上は、私の解説ですが、多分、合っているはずです。  

ところで『フィーダーバス』(鉄道とバスの連絡・連携)と言えば、
まずは富山ライトレール(ポートラム)の「岩瀬浜」の
フィーダーバスを思い浮かべますし、
そうした事例は、もともとヨーロッパでよく見かけたものですが、
最近は日本でも、徐々にですが増えている気がします。
この「御代志駅」のバスへの乗り継ぎもそれに近いものを感じました。

写真左端に小さく写っているバスは、
ホームとは反対側に発着しましていましたが、
私が乗ってきたこの電車が着いて直ぐに、
小型の路線バスがホームに横付けするように到着し、
何と、乗降客は、地面に降りることなく、ホームから直接、
バスを利用していました。
「成程、フィーダーバス!」と思い、直ぐにカメラを取り出したのですが、
残念。間に合いませんでした。

この「御代志駅」では、「御代志」発着のバスもあるのですが、
ここを通過点としているバス路線もあります。
中には熊本市の都心部に直通する路線もあり、
どこまでの平行路線かはバス停の名前と電車の路線の位置関係が不案内のため
一概に言い切れませんが、“利便性”では、熊本電鉄を上回っているのではと
感じる部分もありました。

2011年05月07日 8時46分

熊本電鉄(7)「北熊本車庫」今昔。

上段の写真は、昭和53年1月29日、
「北熊本駅」ホームから撮影した「北熊本車庫」です。
下段は平成23年3月25日、
電車内から撮影した「北熊本駅」と「北熊本車庫」です。

昭和の電車で正面に鎮座ましましているのは「モハ71号」で、
単に通りすがりで撮影した、ある種、スナップ写真とも言えるものですが、
この電車の詳細は、今回の熊本電鉄シリーズの最後に紹介します。
下段写真の平成の「北熊本車庫」は、昼間とあって…、と続ける前に…。

そう言えば、平成23年3月25日の私の行動をまだ書いていませんでした。
●「上熊本」発9:50~「北熊本」着9:59
●「北熊本」発10:31~「御代志」着10:51
●「御代志」発11:11~「藤崎宮前」着11:37

話しを元に戻して、昭和の車庫の“建物の中”の車両は、
左側は、正面の顔からモハ71と同形式と思われますが、
右側は、屋根の形状等から元小田急のモハ301形と推察しています。

一方、平成になりますと、右手前の側線に入っているのは
元東京都営の「6101+6108」。
正面の「上熊本」との区間運転をしている『青ガエル/5102』の右隣には
同じく「6211+6218」。
正面窓周りが黄色に塗られているかいないかの違いがここで分かります。
更に右側がもう一両の『青ガエル/5101』。
その右側には、隙間からチラッと元南海22000系の「201+202」が
見えます。

下段写真は、「御代志」からの戻りの電車から撮影しており、
ダイヤ通りに運転されていたとすれば、「北熊本」の入線は、
1)「上熊本」発、2)「藤崎宮前」発、3)「御代志」発の順番と
思われます。あまり大事なことでは無いかも知れませんが…。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!