2011年05月06日 23時50分

熊本電鉄(6)「北熊本駅」の柱。

「北熊本駅」の駅舎をホーム側から眺めてみました。
さて、この写真は昭和でしょうか?平成でしょうか?
多分、どちらも正解ではないでしょうか?
まるでここだけ時間が止まっているようです。

正解は言うまでもなく“平成”で、駅舎の左隅にある「駅名看板」の下にある
『時刻表』が明らかに平成のものだからです。
但し、この写真でその判別は難しいと思います。
(だったら書くべきではないですね・・・)

ところで皆さんはどんな時にカメラのシャッターを押しますか?
私の場合、「気が向いた時」というしかないのですが、
デジカメに変わってからは、メモ代わりに押すことも多くなりました。
(前にも一度この話しは書いていますが…)
この写真の場合、何の変哲もない駅舎の写真なのですが、
「うぐいす色」(少し違うかも知れませんがご容赦を)に塗られた
柱が美しいと思い、シャッターを押しました。
“記録写真”的なモノではなく“記憶写真”と言う感覚です。
ちょっと目に付いた様々なシーンを取り敢えず「後先」考えずに撮れるのは
デジカメの良さです。また、最近のデジカメは画質も格段にUPし、
私が普段使用している“典型的”な『コンデジ』でも、
先に書いた『時刻表』の数字までは読み取れませんが、
それが『時刻表』であることは分かります。

“記憶写真”に話しを戻しますが、柱の色は塗り直されてから
「幾年が経ったのだろう」と感じさせるものの、
「塗り直される前は如何にあったであろう」とか、
そもそも「開業時はどうであっただろう」と思いを馳せるのも、
こうした写真を撮る楽しみに…、私はしています。

2011年05月06日 8時26分

熊本電鉄(5)「北熊本駅」名物“離合集散”新旧比較。

熊本電鉄「北熊本駅」名物、電車の離合集散“新旧対比”です。
ここのポイントは、跨線橋ではなく、線路を横断しての乗換!

そういえばこのような風景、どこかで見たことが…。
そうっ、昨年の5月26日にUPした一畑電車の「川跡駅」ですね。

「松江しんじ湖温泉」「電鉄出雲市」「出雲大社前」から
集まってくる電車が、ここ「北熊本駅」では
「藤崎宮前」「御代志」「上熊本」となります。

余計な話しが長くなりました。
ご覧の通り、上段写真が“平成23年”で、下段写真が“昭和53年”です。
停車中の電車を除けば、この30年余り、ここでは時間が止まっています。
もっとも、左側2線の電車が、単行から2両連結に
グレードアップしています。

平成のラインナップは、「藤崎宮」行き⇒「6221」、
「御代志」行き⇒「6111」、「上熊本」行き⇒「5102」。

昭和では、「藤崎宮」行き⇒「103号」、「菊池」行き⇒「102号」、
「北熊本」行き⇒「121号」。

こうやって見ていると、下の写真が“平成”ですと言っても
通用しそうな感じですね。

等と言うことはさておき、こうした乗客の目から見て平面的な
“離合集散”は、以前は国鉄でも私鉄でも分岐駅では見られた光景です。
名鉄で言えば広見線と廃線となった八百津線の分岐駅である
現・明智駅(以前は伏見口駅)でも見られました。
最近は、安全上の理由から跨線橋が整備され、“地方”でも
あまり見かけません。
さて、いつまでこうした光景を見られるのでしょう?
もっとも単なるノスタルジーで済む話ではありませんが・・・。

2011年05月05日 18時02分

熊本電鉄(4)「北熊本駅」の表に出てみれば。

話しが2回飛んで恐縮です。

熊本電鉄の「北熊本駅」の外に出たのは、昭和を含めて今回が初めてです。
何せ昼間は、30分に1回しか電車がやってきません。
「電車を一本遅らせよう」と、腹を決めればその運命に従うだけです。
隣と言うか、駅舎の中と言うか八百屋の「やさい村」でも
結構時間が潰せました。(熊本っぽいモノも売っていました)
駅の中にいてはこういう発見は絶対に出来ません。
これをきっと『旅の醍醐味』と言うのでしょう。
やはり、1回乗っている路線は“乗りつぶし”のために「次」を
急ぐこともなく、心の余裕が生まれます。

昭和53年1月29日の動きをここで纏めておきます。
実は、前日の28日は「阿蘇」に泊まっており、
「阿蘇」発8:09の豊肥本線728Dで、「肥後大津」着8:57、
ここから当時の熊本電鉄の終点、「菊池」に移動し、
「菊池」発9:30~「藤崎宮」着10:30。
その後、熊本市電で「健軍」に向い、
直ぐに折り返して再び熊本電鉄「上熊本」発12:12に乗り、
「北熊本」着12:20。更に「北熊本」発12:23に乗り継ぎ
「藤崎宮」着12:30。そこからまた熊本市電の残りの部分に
乗りに行きました。
●「肥後大津」~「菊池」の移動ですが、私のメモに何も記載がありません。
ということは、多分99%、ヒッチハイクをしたと思われます。
バスもあったはずですが、その手段ではこの時間の乗り継ぎは無理でしょう。

ということで今回が初「北熊本」駅となった訳です。
“乗りつぶし”をやっていると、写真を撮るより、風景を眺めるより、
旅の“風情”を楽しむより、ただひたすらに『修行』のように列車に
揺られる日々でした。
※風景を眺める時間があれば、今乗っている列車(線区)の
『次』の一手を考えるために、いつも「時刻表」と“にらめっこ”でした。
今思えば、愚かしいことですが当時はそれが私の『人生』でした…何てね。
大袈裟ですね。書いていて気恥ずかしい。 

2011年05月05日 0時18分

近江鉄道発「三陸鉄道」支援の手(2)。

写真は、「近江鉄道ミュージアム」の中にある
「三陸鉄道グッズ」の販売コーナーと
「三陸鉄道の被災状況」の写真展示です。

被災状況については様々なメディア等でも出ていますが
私自身にとって、その写真ははるかに生々しく、
4月6日にこのブログで「三陸鉄道社長からのメッセージ。」と題して
私なりの三陸鉄道の“復旧への思い”を綴ったつもりでしたが
そんな甘いものではないと改めて思い知らされました。

今回の“グッズ販売”については、4月15日付けの「三陸鉄道」
『プレスリリース・トピックス』で発表され、
「三陸鉄道」本体の“オンラインショップ”再開より一足早く
「近江鉄道」の他にも「いすみ鉄道」「東急車輛製造」で始まりました。

「近江鉄道」では、「近江八幡駅」も「八日市駅」も
そしてここ「近江鉄道ミュージアム」も
ただ『販売場所を貸しているだけ』で、
『特に何かをしているわけではない』と、さも当たり前のことを
しているようにされていましたが、実際には“手数料”無しで、
売り上げは全て「三陸鉄道」に送っているとのこと。

「近江鉄道」の経営が厳しいことは周知のこと。
それでも今回の支援を行うということは、やはり鉄道が
『地方交通の主軸』として『地元住民の大切な足』であり続けることの
重さを知っているからではないのでしょか?

“私”が今回行った「三陸鉄道」への支援は
1)久慈ありす&釜石まなバッジ
2)久慈ありす&釜石まなマフラータオル
3)QPストラップ「車両」
4)書籍「三陸鉄道開業25周年記念誌」
以上、4点です。
それぞれのグッズの写真は折角ですので、「三陸鉄道」HP
ご確認下さい。

ご覧頂けばお分かり頂けると思いますが、
上の2つは私のグッズコレクションのテリトリーから外れます。
それでもこの度、堂々のコレクション入りを果たしました。
(「鉄道むすめ」系グッズを初めて購入しました)

今回のことは私の単なる『自己満足』かも知れません。
でも、自己満足の輪も全国の多数の方に広がっていけば、
それが「三陸鉄道」の“復旧”への『声なき応援メッセージになる』・・・、
私はそう信じています。

追伸)昨日、この「近江鉄道ミュージアム」をフジテレビが
取材していました。
それは勿論「近江鉄道」による「三陸鉄道」支援についてでした。

2011年05月04日 22時55分

近江鉄道発「三陸鉄道」支援の手。

本日(5月4日)、「近江鉄道」の彦根駅に隣接した
『近江鉄道ミュージアム』に行ってきました。

『近江鉄道ミュージアム』は平成19年に誕生した
「近江鉄道」の車両と鉄道部品・写真・資料等を展示した施設で
今年は11月まで毎月1回、土・日にオープンしています。
●開館日は「近江鉄道」HPでご確認ください。

今回はゴールデンウィークということで、
5月1日~5日の間、毎日開館しており、私はやっと行くことができました。
出かけた理由は…、この期間、ここ『近江鉄道ミュージアム』で
「三陸鉄道グッズ」を販売していることを知ったからです。

「近江鉄道」では、4月16日から「近江八幡駅」で毎日、
次いで4月23日からは「八日市駅」で毎日、
そして「近江鉄道ミュージアム」では今月から開館日に販売しています。

今回、たまたま近江鉄道の方にお話が聞けたのですが
「同じ鉄道会社として応援できることは無いか?」と考え、
この販売が実現したそうです。
全部で22種類のグッズの販売をしているとのことでしたが
一部品切れになったものもあります。
その補充は、「三陸鉄道」サイドの負担にならないことにも
留意しながら行っているそうです。

また、今週末(5月8日の日曜日)に開催される
和歌山電鐵『貴志川線祭り』の“復興支援地方鉄道大集合”に
「近江鉄道」も参加して“グッズ販売”を行いますが
「近江鉄道グッズ」にプラス、「三陸鉄道グッズ」も販売するそうです。
『貴志川線祭り』に行かれる方は、「三陸鉄道グッズ」にも
注目してください。

「三陸鉄道」の復旧には100億円以上の費用がかかると言われています。
それに比して私の“グッズの購入”はあまりにもささやかで
正直、呆然としてしまいます。
それでも、「三陸鉄道」の復旧を心で願うだけではなく
“ささやか”でも具体的な行動にしたいと思い
今回の彦根詣でとなりました。

(明日に続く)

2011年05月04日 8時01分

熊本電鉄(3)健在!青ガエル5000系。

言うまでも無く元東急「5000系」。
ここ熊本でも「5000形」を名乗っており、写真は「5102」です。
熊本電鉄ではもう一両生き残りがいて、
「5101」の番号を付けています。
それにしてもこの“青ガエル”のこの顔が、一両運転対応のため、
反対側では見事に切り取られ、
先々回UPした「上熊本駅」の改札から顔を出している“平面顔”に
なろうとは、東急時代を知る者としては、初めてその実物を見て、
少々衝撃的ではありました。
※「Wikipedia」にこの“平面顔”を「“平面ガエル”の別名あり」と
書いてありましたが、漫画『ど根性ガエル』が無ければ、
別のネーミングになっていたのでしょうか?どうでも良い事ですね。

もっとも、現役の“青ガエル”は日本でもここだけになってしまっただけに、
熊本電鉄オリジナル5000形でも十分、価値があります。

ところで、乗ってみて「そりゃそうだよね」と思ったのが、
天井の扇風機。そうっ!冷房の吹き出し口が無いのです。
元々冷房のない車両でしたが、熊本でも冷房は付けられていませんでした。

今時、別の意味でも貴重な車両ですね。
「そよ風トレイン117」にわざわざ乗る必要はありません。
この電車で「そよ風」に吹かれてみたいと思いました。

参考までに「上熊本」~「北熊本」間の最高速度は45キロです。
「ねっ!そよ風にはピッタリ」でしょ。

●見た限り、菊池線「上熊本」~「北熊本」専用で
使用されているようでしたが、
他の電車もこの区間で使われているのでしょうか?
乗客数の現状から見ると、多分、無さそうですね。

2011年05月03日 18時15分

熊本電鉄(2)昭和53年の「上熊本駅」と「121号」。

昭和53年1月29日、鹿児島市電に乗りに行く前に熊本電鉄と
熊本市電に乗りました。
写真は、その時の「上熊本駅」です。

電車(121号)の止まっているところは多分、現在と同じでしょうが、
左側の貨車が止まっているところは駐車場に変わっています。
※その頃、きっとまだ貨物輸送があったんでしょうね。
熊本電鉄のHPでは、昭和54年に国鉄貨車直通運転取扱廃止とありました。

ところでこの「121号」ですが、「Wikipedia」によれば、
元国鉄クハ6000形でしかも南武鉄道(現・南武線)から
国鉄への引継車とのこと。
自家用車を買い替えた後、自分がそれまで乗っていた車が
中古車として所有者を点々とすることは、
中古車販売業が成立していることからも当然の事ですが、
現時点での所有者が誰であるかとかまして
『スクラップ(廃車)』になった等という情報は通常ありません。
それが鉄道車両の場合は、製造から廃車までの履歴は、
趣味誌や単行本等の書籍、更にインターネットで検索すれば、
まず探し出せない車両は殆どないのでは無いでしょうか?
(簡単に探せないことも多いですが…)

製造数の違いがあまりにも桁違いですし、
鉄道と自動車を比較したところでそもそも意味はないのでしょうが、
1点だけ。それは『鉄道趣味』が鉄道の登場から現時点、
そして未来をもウォッチする「歴史」趣味でもあることが
その“要因”なのではと個人的に思っています。
ということでこの「121号」、熊電には昭和31年に来て昭和60年廃車と
なっています。

一方、駅舎でいえば、建物こそ木造から今の・・・、
今の建物を表現する上手い言葉が見つからないので、
そこはパスして、何れにしろ駅そのものの奥行きが現在と
さほど変わっていないところが面白いですね。

考えてみれば、大きな駅や話題性のある駅を除き、
小駅の「駅舎」の歴史はあまり文献等で見かけないような気がします。

2011年05月03日 9時00分

熊本電鉄(1)平成の「上熊本駅」。

平成23年3月25日(金)、鹿児島で一泊した私は、
鹿児島中央発8:34の「さくら550号」で熊本に向いました。
(熊本着9:23)
そこから熊本発9:35の334M玉名行きに乗り換え、
上熊本駅着9:39。

駅を出ると目の前に、熊本電鉄菊池線の「上熊本駅」があり、
暫くすると徐(おもむろ)にたった1両の電車が到着。
パラパラと乗客が降り、三三五五散っていきました。
その数のあまりの少なさに侘しささえ感じたほどです。
写真は、その際に撮影した上熊本駅と停車中の『5102』です。
なお、この写真は是非、覚えておいてください。次回UPの写真と比べます。

熊本電鉄と言えば、電車の運転系統的には、
藤崎線「藤崎宮前」~「北熊本」間と菊池線「北熊本」~「御代志」間が
直通で、ここ菊池線の「上熊本」と「北熊本」の間が
折り返し運転となっており、支線扱いとなっています。
こうした例は、筑豊本線の「原田」~「桂川」間や、
少々事情は違いますが、紀勢本線の「和歌山」~「和歌山市」間
くらいではないでしょうか?

ところでこの「上熊本駅」、下段写真の前は幹線道路になっており、
なかなかの交通量があります。
また熊本電鉄の「上熊本駅」は、JR上熊本駅の左側に位置しますが、
その反対、右側には少し離れて熊本市電の「上熊本駅前」電停があり、
そちらは旧JR「上熊本駅前」を移築した駅舎もあって趣のある
“ターミナル”の雰囲気です。
一方、熊本電鉄の方は『場末』というか、
ご覧の様にとても人口70万人超の大都市の起点駅に見えません。
※今回、市電の電停の写真は撮影しておらず、UPできません。ご容赦を!

2011年05月02日 18時37分

「鉄道模型展」開催記念のオリジナルパン。

昨日、「鉄道模型展」の状況を見に丸栄に行っていたのですが
『名鉄特急歴代写真展」のブースにも大勢のお客様が足を
お運びになっておられ、少々ホッとしました。

その中で皆様の反応が良かったのが例えば「ブルーライナー」。
この写真は、例えば夫婦で来場された方の「鉄」ではなさそうな
奥様の方が、「あったよね~」という乗りでお話しされていたり、
また年配の方は車体更新前の特急運用の「いもむし」の写真を
熱心にご覧になっておられました。

『意外』というのも何ですが、王道の「パノラマカー」に
“釘付け”という方はあまりお見かけせず、どちらかといえば
『マイナー』とも『珍しい』とも言える写真の方が
注目されていた気がします。
もっとも“たまたま”だったのかも知れません。

さて遅くなりましたが、写真の話しで『パン』です。
「鉄道模型展」の会場にこのパンの販売が掲出されていたので
早速足を運びました。
売っていたのは丸栄の地下1階のパン屋さん「マリー・カトリーヌ」で
「鉄道模型展」期間中だけのオリジナルパンだそうです。

下の鼻の長いパンは「ホワイトエクスプレス」(189円)という商品名で
雰囲気としては「E5系 はやぶさ」といったところでしょうか?

上のパンは、「ハッピートレイン」(294円)と名付けられており
どうでも良いことかもしれません(パン屋さんでは画期的?)が
レール部分と車両部分を別々に焼いて、その後両方を重ねているようで
ある種、「模型」的ではありますしお店の工夫を感じました。
毎度の事ながら、「鉄」の王道から外れがちな私をお許し下さい。

なお、撮影した場所は「名古屋レール・アーカイブス」の事務所で
パソコンの写真は、今回の写真展とも模型展とも特段の関係はありません。
単なる雰囲気と言う事で…。

2011年05月02日 8時00分

丸栄の「鉄道模型展」。

私は鉄道模型をしないので、実は「鉄道模型展」に出かけたのは
8回目の開催にして今回が初めてでした。
●写真は、『模型展』初日の4月29日に撮影。

もっとも「鉄道模型」をしないと言っても『興味が無い』ということでは
無いので、会場をいろいろと見て回りました。

写真は有料エリアの展示です。
上の写真は、2つある『Nゲージ』のうちの一つで、
名古屋レール・アーカイブスの展示が「名鉄特急歴代写真展」ということで
まずは1枚。
やっぱ、名古屋のお約束でしょうか?

下の写真は『HOゲージ』ですが、丸栄の催事担当者の方から
これが今年の「見せ場」の一つと聞きました。
さて、何が・・・。
“700系”と“N700系”の単なるすれ違い…なのですが、
よく見ると、“700系”が16両のフル編成。
実は“N700系”も16両のフル編成。
この新幹線、昨年までは12両編成だったとのことで
「リニア・鉄道館」が開業したからということではないようですが
とにかく“フル編成”を走らせるべく、HOのスペースを広げたそうです。
HOゲージとはいえ、確かに16両分の直線区間を作るには
スペースが必要ですね。

ところで今回、「へぇーっ」と思ったことが一つ。
“鉄道『模型』写真”を撮っている方が結構いること。
最近、各地の大型ジオラマの登場で、その姿を見かけることが
ありましたが、
新たな「鉄道写真」のジャンルの幕開けかも知れませんね。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!