中京テレビ

2011年06月02日 18時51分

長崎電軌(7)「納涼ビール電車」の秘密。

今回は『呑み鉄』様御用達の話題です。
浦上車庫の奥深く、夏だけ動く電車を発見しました。
201形電車で昭和25年に製造された古豪。
そしてその名も『納涼ビール電車専用車「207号」』です。
それはいいのですが202形を含めて不思議ことが一つ。
“201形”と“202形”は多分、車体の見た目は同型なのですが、
製造メーカーの違いにより台車が異なるため、形式を分けたとして、
何故日立製作所製(201形)は奇数号車だけで、
日本車両製(202形)は偶数号車だけなのでしょう?
それと、形式名の“・・1”と“・・2”にもちゃんと意味があり、
それがその後の元仙台市電の形式の作り方を含め長崎電軌の
“良さ(遊び心?)”ではあると思っていますが・・・不思議なことは
不思議と言う事で。

そんなことはともかく、平成4年から始まった長崎電軌の
「納涼ビール電車」は毎年大好評です。
運転区間とダイヤは「正覚寺下」19:00~「蛍茶屋」~
「浦上車庫前」(トイレ休憩?停車場所は本線上?それとも車庫内?)
~「正覚寺下」20:30という1時間半のコースで、料金は3000円と
なっています。

ところで昨年の8月22日、23日に豊橋鉄道の「納涼ビール電車」の話題を
UPしましたが、豊橋鉄道のビール電車と大きく違うのは、座り位置。
内装が取り払われている下段写真では分かりにくいですが、
椅子が窓外を眺めるようになっています。
豊橋が真ん中にテーブルを置くスタイルなので相当イメージが異なります。
まあ、走る距離も長いので2~3名の“個人客”が多い場合は
この方が良いでしょうし、団体の場合は、豊橋の座席配置が良さそうです。
一長一短ですね。

2011年06月02日 8時09分

長崎電軌(6)“動く電車博物館”「小田原と熊本から来ました」。

上の写真は、150形「151号」です。大正14年に服部製作所
(私の知らないメーカーです)で製造され、王子電気軌道(402号)
~東京都(102号)~箱根登山鉄道小田原市内線(201号)を経て
昭和32年に長崎電軌の151号となりました。

この車両はワンマン化されておらず、運転される場合には車掌さんが
乗務することになります。
個人的には、昭和初期の面影を強く残した印象が好ましく、
岐阜県美濃加茂市にある“昭和”のテーマパーク「日本昭和村」で
電車を走らせるならこのタイプが似合いそうだと思っております。
※車内には「この車の経歴書」や「小田原時代の同形車の写真」なども
展示されており、もしも乗る機会があればこちらにも注目を!

一方、下の写真は600形「601号」。昭和28年製の元熊本市電の
171号で、先回の元東京都電(701号)も含め、
昭和の匂いがプンプンしていますが、やはり151号に比べ新しい
感覚のデザインと言えそうです。私には一番馴染みのあるフォルムと言えます。
また長崎電軌の201形あたりと似た雰囲気もあり、「私は元熊本
市電171号車です」のヘッドマークが無ければ、長崎電軌オリジナルと言われれば信じてしまいそうです。

こちらはワンマン化されていますが、何れにしろ“動く電車博物館”
151号・168号・601号・701号・1051号とも冷房が
非搭載のため、イベント用でしか稼動していないと思われましたが、
どの程度の頻度で運転されているかは不明です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!