2011年06月03日 18時58分

長崎電軌(9)ローレル賞受賞車『2000形』。

昭和55年に登場し、昭和56年の『ローレル賞』を受賞した
『2000形(2001号)』です。
2両が作られましたが現存しているのはこの“2001号”の1両のみと
なっています。

日本鉄道技術協会の開発プロジェクトにより誕生した『軽快電車』としては
初の量産車で、チョッパ制御・空気バネ台車&ディスクブレークに
ワンハンドルマスコンと当時としては最新の技術を投入しています。

下段の写真は、その運転台ですが、昭和55年といいますから今から
もう30年前に登場しているにも関わらず古さを全然感じさせず、
最新式の運転台と見た感じはそれほど違わないのではと
思ってしまったほどです。

私の鉄道趣味は、仕事が忙し過ぎた昭和55年頃から平成15年頃まで
約20年が空白の時代と言っても良いほどで、それでも新線が開通すれば
乗りに行くことはしていましたがそれが精一杯で、
どの鉄道にどんな新技術の車両が登場したかは、
単に興味の対象であったかなかったかの問題ではなく、
当時、鉄道趣味誌を手に取り熟読することもあまりありませんでした。

「鉄道の中でも路面電車が好き」などと言っている割には、
この『2000形』が路面電車のワンハンドルマスコンの走りだったことを、
今回初めて知った次第です。

それ以前に、“2001号”を撮影したのは、長崎電軌の方から、
『「ローレル賞」を受賞しており・・・』等、色々な説明を受けたからで、
自分自身のあまりの無知さにほとほと呆れ返っています。

2011年06月03日 9時04分

長崎電軌(8)「3000形」の裏話。

長崎電軌「3000形」は、平成15年に製造され、
同16年に営業運転を開始したアルナ車両が作った
『リトルダンサーUタイプ』で「リトルダンサー」の集大成ともいわれており、
台車部分も含めほぼ100%の低床化は国産ではこの電車で初めて
実現しました。
※平成16年「グッドデザイン賞」、17年に「ローレル賞」を受賞。

ところでお題に“裏話”としたのは、実は3000系がサイドミラーではなく、
サイドビューモニターを採用していること。
(豊橋鉄道の「ほっトラム」T1000形と同じ)
※どうでもよいことかもしれませんが“サイド・・・”と“バック・・・”、
どちらの表現が良いのでしょう???

ただ、それだけでは裏話になりません。ということで、それでは
「3000形」の次に登場した『5000形』はどうなっているのでしょう?
実はモニターで電停での安全確認を行っているのはこの「3000形」だけで、
『5000形』からはまた元の“鏡”を使うスタイルに戻っているのです。

車両数の少なさからくる慣れの問題なのか、それとも運転士さんから見て
使い勝手が良くなかったのかはわかりませんが、何かデジタル化した機器を
アナログに戻した気分で、「なんだかんだ言ってもやっぱり
アナログだがね」と、思考がアナログなおじさんは思ってしまいまました。

夏に豊橋鉄道の「納涼ビール電車」に乗ったら、是非運転士さんに
聞いてみたいことが一つ増えました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!