2011年06月07日 18時48分

長崎電軌(17)電車がいる風景。

上段写真は「築町」~「出島」間を行く『1702号』。
下段写真は「公会堂前」~「桜町」間を行く『504号』です。

このお題(電車がいる風景)でこの2枚を選んだ理由ですが、
まず上段写真は併用軌道というにはあまりにも道路を鉄道が占拠する割合が
大きいという点で、昭和の路面電車全盛時代でもここまで極端な例は
あまりなかったのでは思っています。
これで道路(線路)の両側に商店が並べば、ヨーロッパのトランジットモール
そのものですね。またセンターポール化されていることで、
すっきりした街並みに見えることも高ポイントです。

一方下段写真は、トンネルの存在に尽きます。
と言ってもこれは正式にはトンネルではないとのことで“立体交差”だ
そうですが、気分は併用軌道の“トンネル”で、ちょっと不思議な感覚が
味わえます。

といいつつ、実は長崎電軌には、横浜市電全廃後、日本で唯一の路面電車の
トンネルが存在します。
それは「意外なところにありました」などというより、
明らかに長崎市民も含め、誰もトンネルとは思っていないと思われます。
(詳しくは次回UPします)

なお、日本唯一の存在を解く鍵は、HP「旅する長崎学」2008年8月6日
更新の「長崎は路面電車の走る街~長崎チンチン電車物語」の中で、
長崎電軌の方へのインタビューにありました。

話しが写真とずれてしまいましたが、桜町の『立体交差』は
“トンネル”としてのインパクトは大です。一度お試しあれ!

2011年06月07日 8時06分

長崎電軌(16)昭和の「正覚寺下」の風景。

昭和55年の「正覚寺下」電停停車中の360形「362号」です。

今回、この「正覚寺下」には時間の都合で行っていないのですが、
別に「正覚寺下」をないがしろにしたということではないと
知っていただきたく、せめてもの償いに
昭和の写真をUPすることにしました。
実は、ここと「とあるところ」2箇所を天秤にかけ「とあるところ」に
行くことを優先しました。
もっともあと1時間早起きすれば十分に行けたのですが、
最近はすっかり欲がなくなってきました。
年のせいでしょうか?いやっ単なる怠慢です。

その電停の構造は、写真で見る限り走ってきた道路からいきなり民家の前に
突っ込むスタイルで、見ようによっては何とも大胆な止まり方ですが、
何とかつかつの1両分の長さしかありません。
今は多分2両分位の長さに伸ばされているのではないでしょうか?
(少なくとも3000形・5000形は止まれる)

また背景に写っている街並みも随分変わったことでしょう。

今日の余談…もしもお時間のある方は「Google マップ」で長崎電軌の線路を
探してください。何と線名が「長崎電鉄」になっています。
確かに「Wikipedia」の「長崎電軌」の項を検索すると、そこには
通称「長崎電鉄」とはありますが、やはり地図にその名称を使うのは
如何でしょう・・・。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!