2011年06月11日 22時10分

小湊鐵道・チャリティー運転体験(1)

写真は、千葉県市原市の小湊鐵道五井駅の構内です。
こうして写真を見ていると少し不思議な感じが…。
その光景は右半分が平成なら、左半分は昭和から時代が止まったようです。

そんなことはともかく、ここで先週の土曜日(6月4日)、
地元の建設会社「鈴清建設株式会社社会貢献課」主催の
『小湊鐵道キハ200チャリティー運転体験』が開催されました。

今年の小湊鐵道の『運転体験』は、1月・2月・3月にそれぞれ
各1回行われていますが、決してその回数は多くありません。

で、今回の『運転体験会』は、小湊鐵道ではなく、JR東日本
(旅ブランドの「びゅう」で実施)でもなく、
地元企業にお勤めの鉄道好きの方(というより小湊鐵道を愛して
やまない方)が、勤務先の了解を得た上で、上記の会社主催の
運転体験イベントを開催したものです。

“チャリティー”と銘打っているのはその会費の使途で、
会費6000円の内、小湊鐵道に支払う運転体験費用、記念弁当代、
小湊鐵道ラスク代を除いた全額を東日本大震災の義援金として
日本赤十字社に寄付を行いました。

3月以降、関東以北の中小私鉄のHPを見ることが多く、
たまたま小湊鐵道のHPでこの『運転体験会』の開催を知り、
参加に至った次第です。

2011年06月11日 9時06分

「我が国鉄道発祥の地」は長崎だった!

長崎電軌の「市民病院前」電停に程近い大浦海岸通り沿いに、
「我が国鉄道発祥の地」の石碑があります。
※電車通り沿いなので、何とか電車を入れ込めないかと思いましたが、
諦めてこの写真となりました。

私はこの存在を知らなかったのですが、たまたま長崎駅の観光案内所で、
長崎観光をする気など全く無かったにも係わらず、夕食の際の
暇つぶしにでもと思ってもらった「長崎観光ガイドブック」で見つけたのです。

その瞬間、ビールのジョッキを持つ手が思わず…、というのは誇大すぎますが、
その時の衝撃だけはご理解下さい。

どうでも良いことはそれ位にして、何故長崎が「鉄道発祥の地」かというと、
これは旅客や貨物を運ぶ所謂営業線としての『鉄道』の“発祥の地”でなく、
慶応元年(1865年)に英国製の蒸気機関車「アイアン・デューク
(鉄の公爵)号」が客車を牽いて、丁度この石碑のある辺りで
400メートルほどの距離を走った(石碑にある碑文・案内板参照)
というもので、そういう意味で“鉄道”が走った日本最初の地で
あるとのことでした。
まあ、“鉄道”というもののデモンストレーション走行と言えるのでしょうが、
そこはそれ、やはりこの石碑を作るだけの意味合いは感じています。
※距離については、数百メートルであったり約600メートルであったり、
諸説あるようです。
※「Wikipedia」『日本の鉄道史』には、軌間は762ミリで、
中国向け輸出車両との記載あり。

ただこれがあるゆえ、横浜にある「鉄道発祥の地」記念碑の価値が
変わるといったものではないでしょう。

何れにしろ、鎖国の時代にも世界に開かれていた“長崎”の地の奥深さを
感じずにはいられませんでした。

そして私は、この石碑を確認した後、長崎を離れ名古屋への帰途につきました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!