2011年06月11日 9時06分

長崎電軌の「市民病院前」電停に程近い大浦海岸通り沿いに、
「我が国鉄道発祥の地」の石碑があります。
※電車通り沿いなので、何とか電車を入れ込めないかと思いましたが、
諦めてこの写真となりました。
私はこの存在を知らなかったのですが、たまたま長崎駅の観光案内所で、
長崎観光をする気など全く無かったにも係わらず、夕食の際の
暇つぶしにでもと思ってもらった「長崎観光ガイドブック」で見つけたのです。
その瞬間、ビールのジョッキを持つ手が思わず…、というのは誇大すぎますが、
その時の衝撃だけはご理解下さい。
どうでも良いことはそれ位にして、何故長崎が「鉄道発祥の地」かというと、
これは旅客や貨物を運ぶ所謂営業線としての『鉄道』の“発祥の地”でなく、
慶応元年(1865年)に英国製の蒸気機関車「アイアン・デューク
(鉄の公爵)号」が客車を牽いて、丁度この石碑のある辺りで
400メートルほどの距離を走った(石碑にある碑文・案内板参照)
というもので、そういう意味で“鉄道”が走った日本最初の地で
あるとのことでした。
まあ、“鉄道”というもののデモンストレーション走行と言えるのでしょうが、
そこはそれ、やはりこの石碑を作るだけの意味合いは感じています。
※距離については、数百メートルであったり約600メートルであったり、
諸説あるようです。
※「Wikipedia」『日本の鉄道史』には、軌間は762ミリで、
中国向け輸出車両との記載あり。
ただこれがあるゆえ、横浜にある「鉄道発祥の地」記念碑の価値が
変わるといったものではないでしょう。
何れにしろ、鎖国の時代にも世界に開かれていた“長崎”の地の奥深さを
感じずにはいられませんでした。
そして私は、この石碑を確認した後、長崎を離れ名古屋への帰途につきました。