2011年06月15日 18時37分

小湊鐵道・チャリティー運転体験(10)運転体験記念弁当。

12時過ぎに「運転体験」が終了。
お昼ごはんは「小湊鐵道キハ200 運転体験記念弁当」です。

中身は見たとおりで、普通のお弁当で、特別解説するものではありませんが、
包装紙はなかなか優れものです。

ちゃんと今回の「鈴清建設主催 東日本大震災チャリティー運転会」の文字も
入っています。

また秀逸なのはキハ200形のイラスト。
「小湊鐵道」鉄道部非常勤勤務のSさんという方が描いたもので、
細部まで拘りに拘っています。
Sさんに話しを少しお聞きしたのですが、電車は比較的簡単なのだそうですが、
ディーゼルとSLは部品の点数が多いのでとても難しいそうです。

この“キハ200形”も描くにあたり、何枚もの写真を撮影し、
例えば車輪やエンジン周りだけでなく、全ての機器を忠実に再現するため、
書き直したり、書き加えたり、相当な時間がかかったそうです。

参考までにこのSさんは遠い汽笛」というHPを開設されており、
信じられないくらい多数のイラストがUPされています。
(イラスト以外にもたくさんの写真があります。)
名古屋のJR東海「リニア・鉄道館」で販売しているお土産の一つにも
Sさんのイラストが採用されているとも聞きました。
(残念ながら私はまだ確認していません)

こうした方たちの協力もあって成り立っている「小湊鐵道」の
「運転体験」であるということは、やはり参加したからこそ分かることと
言えるでしょう。

2011年06月15日 8時00分

小湊鐵道・チャリティー運転体験(9)キハとの併走。

窓外を走るのは「五井」発11:00の「養老渓谷」行きです。
ここから150メートルほどの距離を併走・・・、と言いたいところですが、
何せこちらは150メートルしか走らず、しかも最高時速は15キロ。
相手になりません。
見る見るうちに離され、私たちのキハ213号が洗車機に到着するころには
遥か先を「上総村上」を目指し、走り抜けていきました。

一方、下段写真は洗車機の手前に用意された手作りの「場内信号機」。
実は、「小湊鐵道」が用意しているものではなく、今回の主催者
「鈴清建設株式会社」の担当者の方の手作り。
建設会社の方とあって、こうしたものを作るのは慣れているわけでは
ないものの、どうすれば作れるかは知っているから実現したようです。
(建築限界などは「小湊鐵道」と相談したそうです)

信号の色は、点灯式ではなく、塗ったものなので変わることはないのですが、
同じ「運転体験」をするなら、「少し遊び心を加えたい」というのが
その始まりだったようです。参加者の方に『楽しんでもらいたい』との
一心からの手間隙ですが、その心は参加者に伝わったと思っており、
なかなか良いアイデアと感心しました。
実は「出発信号機」もあり、それゆえ通常の「運転体験」が
「ATS良し、戸閉め良し、発車」なら
今回は「ATS良し、戸閉め良し、出発進行、発車」という喚呼が
できるようになっており、写真の「場内信号機」でも
「場内、警戒」という喚呼となるわけですが、製作者の方には
申し訳ありませんが、「場内信号機」の所で喚呼する余裕はありませんでした。

2011年06月14日 18時22分

小湊鐵道・チャリティー運転体験(8)車内券販売体験。

「運転体験」時に、自分自身が一度目の運転をしてから次の運転までの間、
他の方の体験中は、結構手持ち無沙汰だったりします。

今回、『ナイスアイデア』と思ったのが“車内券”の販売体験。
右からまず『日付』の欄にパンチを入れ、「発駅」「着駅」にパンチ。
最後に「運賃」にパンチを入れ完了。

ただそれだけのことですし、「それが何か?」と言われればそれまでですが、
車両が動いている間にそれをやることに“意味”がある。

最高時速15キロでも、車内はそれなりに揺れます。というか、
この車内券販売体験をして意外とことは簡単ではないことに気付かされました。
やはり、何事にも“プロ”の世界はあるということで・・・。

実際に自分でパンチを入れるという行為は、「運転体験」と同等とは
言いませんが、それなりに楽しい“イベント”でした。
そして“控え”の紙の部分は残し、“正”の所謂「乗車券」は
持ち帰りましたが、いい記念になったことだけは間違いありません。

2011年06月14日 8時51分

小湊鐵道・チャリティー運転体験(7)洗車機の中。

今回、折角「洗車機」の中を通るのだから、その写真を撮っておこうなど
つまらない欲はあまり持つものではないですね。

窓ガラスの反射を考え、当然ノーフラッシュ。ピントはワイドで構えれば
それなりに合いそう。とか考えたまでは良かったのですが、
難関は絞りとシャッタースピードで、コンデジゆえ細かい調整(マニュアル)を
するにしても、マニュアルを読まずにカメラを使う悪い癖が
染み付いている私には手も足も出ません。

結局、何往復かしている間に何枚も撮り続け、やっとまともに撮影できたのが
この一枚です。
それでも、明るさは少々補正しています。

などという写真の言い訳はこれ位にして、青色と赤色のブラシが
2段になっており、果たしてこの色の違いに意味はあるのかと思いつつ、
実際に洗車される車内にいてみたい衝動に駆られました。

というのも昔、多分30年以上前ですが、車に乗ったまま洗車機に
洗われるという経験をしています。洗車機のドライブスルーといったら意味が
伝わるでしょうか?
当時は最新鋭の設備だった記憶ですが、その後見かけることがなく
私にとっては忘れた存在でしたが、前面の窓ガラスに近づいてくる
ブラシと滝のように襲い掛かる水の迫力に妙に興奮したことを
思い出したからです。

まあ、何事にも関心があり、何でも一度は体験してみたいという私の
習癖かもしれません。

2011年06月13日 18時17分

小湊鐵道・チャリティー運転体験(6)運転中。

この写真は、指導運転士さんに撮影して頂いたものです。
とある鉄道会社の運転体験で、『デッドマン足踏みスイッチ』から
足を離してしまい、車内中に大きな警告音を響き渡らせ、参加者全員の注目を
浴びた経験のある私だけに、相当に引きつりながら“必死”で
運転をしています。
(警告音の件は、個人的には「良い経験だった」と強弁しておきましょう)

運転の段取りはデッドマン足踏みスイッチの確認、ATS表示灯の確認、
戸閉め表示灯の確認、「ノッチ1」を入れて表示灯が変わるのを確認、
ブレーキ及びノッチの操作等々。

最近、何となく『ノッチ』の操作は大丈夫という気がしていますが、
やはり難関はブレーキです。
何度やっても「緩め位置」「保ち位置」「重なり位置」「常用ブレーキ位置」の
操作が今一つです。

特に、「常用ブレーキ位置」にハンドルを持っていきそれを「重なり位置」で
キープする加減が私は苦手です。

等といったら、それが出来れば“プロ”への一歩だという声が
聞こえてきそうです。

そして、運転を終え、ブレーキハンドルを抜く!私はその“瞬間”が好きです。
『終わった・・・』という達成感が何とも心地よいのです。
実際には大した運転はしていないにも関わらず…、です。

2011年06月13日 8時03分

小湊鐵道・チャリティー運転体験(4)終点に到着。

この写真は、運転台の助士席側で撮影したものです。
緑色の矢印の下に、下段写真の様な“停止位置”があります。
運転されていた方の名誉のために書いておきますが、
下の写真はまだまだ動いている最中に撮影しています。

それにしてもプロの運転士さんは何事もなさげに車両を停止させていますが、
毎度のことながら私の運転では思うようには止まってくれない!
ああ、ブレーキ操作の何と難しいことよ。

さて、先回の続きの話しですが、小湊鐵道にとってこれだけの手間を
かけてでも行う「運転体験」というイベントに、どれほどのメリットが
あるのでしょうか?
計算すれば直ぐに分かってしまうのですが、イベントから得られる収入は
決して多くはなく、どちらかと言えば“ささやか”と言っても良い
レベルです。

それでも実施するのは、今のところ参加者がコンスタントにあり、
確実に収入が見込めるからです。
また、小湊鐵道について言えば、第3セクターではなく、
純粋な私企業のため、現時点では行政等の援助があまり期待できない
とのことで、こうした小さな積み重ねこそが、鉄道の明日の存続に繋がるとも
言えそうです。

2011年06月12日 22時09分

小湊鐵道・チャリティー運転体験(3)走行する線路はこんな感じ。

「運転体験」は、五井駅構内の洗車線で行われました。
ということでこの写真は、車両が動き出す前に、運転台から撮影した
一枚です。

総延長150メートルとのことでしたが、ワイドレンズで撮影しているからと
いうことではなく、終点が気分的には遥か彼方に見えました。

余談と言うか本論と言うか、この「運転体験」でこの洗車線が使えるのは
10:00~12:00の2時間だけ。
その理由は、五井駅構内の配線にあるのですが、写真で一番左側に微かに
見えるのが「五井駅」で、この洗車線を挟んで右側が車庫になっています。
また、写真では分からないのですが、この洗車線の直ぐ左側の線路が、
車両に給油するための設備に繋がっており、一方で「運転体験」で使用する
この洗車線とそれらの線とを繋ぐポイントが「運転体験」終点の先にあり、
洗車線に入る車両はそれほど多くは無いようですが、それ以外の線には、
普段は結構頻繁に車両が出入りしています。

どういうことかと言うと、「運転体験」中は、車庫への出入りや、
給油作業(給油線への進入)をストップしないと国土交通省から
「運転体験」の許可が出ないということの様です。
万が一にもあってはならないのですが、「運転体験」の車両が、
“停止位置”を超えて、他の車両が走る線路に入ったとしても、
事故になることを防止することになっています。

たかが2時間程度というなかれ。
要はこの2時間は構内作業をストップさせないといけないのです。
そしてこの2時間という時間、これが作業をストップできる限界かなとは、
構内の入れ替え作業を見ていると納得できるはずです。

2011年06月12日 14時05分

小湊鐵道・チャリティー運転体験(2)いざ、キハ213に乗り込み。

この日運転するキハ213号にいよいよ乗り込みです。

と、その前に午前9時過ぎから約45分間、小湊鐵道の方から
「運転体験教本」を基に注意事項、運転席の概要、運転装置の取り扱い、
実際の運転について教習を受けました。
※この日の「運転体験」の集合時間は9時だったのですが、
東京湾アクアライン経由でここ五井まで来る予定の方達が、途中、
事故による渋滞のため到着が遅れ、そのため開始時間が少し遅れました。
何事にもアクシデントはつきものです。

そんなこともありましたが、それでも「運転体験会」は始まり、
教習中の私は、講義の内容を聞く一方で、こうした教習(教本も含め)も
各社各様、運転する車両によってもそれぞれ特色があり、
なかなか興味深いものだなどと考えていました。

こうしていよいよキハ213号とご対面。
これまでの最長車両EF63の18メートルを超える
初めての20メートル車に乗り込みました。
気動車は、明知鉄道・樽見鉄道に次いで3度目とはいうものの、
この時、またしても心地よい緊張感が私を襲っていました。

2011年06月11日 22時10分

小湊鐵道・チャリティー運転体験(1)

写真は、千葉県市原市の小湊鐵道五井駅の構内です。
こうして写真を見ていると少し不思議な感じが…。
その光景は右半分が平成なら、左半分は昭和から時代が止まったようです。

そんなことはともかく、ここで先週の土曜日(6月4日)、
地元の建設会社「鈴清建設株式会社社会貢献課」主催の
『小湊鐵道キハ200チャリティー運転体験』が開催されました。

今年の小湊鐵道の『運転体験』は、1月・2月・3月にそれぞれ
各1回行われていますが、決してその回数は多くありません。

で、今回の『運転体験会』は、小湊鐵道ではなく、JR東日本
(旅ブランドの「びゅう」で実施)でもなく、
地元企業にお勤めの鉄道好きの方(というより小湊鐵道を愛して
やまない方)が、勤務先の了解を得た上で、上記の会社主催の
運転体験イベントを開催したものです。

“チャリティー”と銘打っているのはその会費の使途で、
会費6000円の内、小湊鐵道に支払う運転体験費用、記念弁当代、
小湊鐵道ラスク代を除いた全額を東日本大震災の義援金として
日本赤十字社に寄付を行いました。

3月以降、関東以北の中小私鉄のHPを見ることが多く、
たまたま小湊鐵道のHPでこの『運転体験会』の開催を知り、
参加に至った次第です。

2011年06月11日 9時06分

「我が国鉄道発祥の地」は長崎だった!

長崎電軌の「市民病院前」電停に程近い大浦海岸通り沿いに、
「我が国鉄道発祥の地」の石碑があります。
※電車通り沿いなので、何とか電車を入れ込めないかと思いましたが、
諦めてこの写真となりました。

私はこの存在を知らなかったのですが、たまたま長崎駅の観光案内所で、
長崎観光をする気など全く無かったにも係わらず、夕食の際の
暇つぶしにでもと思ってもらった「長崎観光ガイドブック」で見つけたのです。

その瞬間、ビールのジョッキを持つ手が思わず…、というのは誇大すぎますが、
その時の衝撃だけはご理解下さい。

どうでも良いことはそれ位にして、何故長崎が「鉄道発祥の地」かというと、
これは旅客や貨物を運ぶ所謂営業線としての『鉄道』の“発祥の地”でなく、
慶応元年(1865年)に英国製の蒸気機関車「アイアン・デューク
(鉄の公爵)号」が客車を牽いて、丁度この石碑のある辺りで
400メートルほどの距離を走った(石碑にある碑文・案内板参照)
というもので、そういう意味で“鉄道”が走った日本最初の地で
あるとのことでした。
まあ、“鉄道”というもののデモンストレーション走行と言えるのでしょうが、
そこはそれ、やはりこの石碑を作るだけの意味合いは感じています。
※距離については、数百メートルであったり約600メートルであったり、
諸説あるようです。
※「Wikipedia」『日本の鉄道史』には、軌間は762ミリで、
中国向け輸出車両との記載あり。

ただこれがあるゆえ、横浜にある「鉄道発祥の地」記念碑の価値が
変わるといったものではないでしょう。

何れにしろ、鎖国の時代にも世界に開かれていた“長崎”の地の奥深さを
感じずにはいられませんでした。

そして私は、この石碑を確認した後、長崎を離れ名古屋への帰途につきました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!