2011年06月10日 18時09分

「きっちんせいじ」と言えば『トルコライス』。

私の平成23年3月26日の昼食はこれ!!
そうっ!!長崎名物『トルコライス』です。
●1皿900円です。
*カレー味ピラフ
*ナポリタンスパゲティ
*ドミグラスソースのかかった豚カツ
以上、お約束の3種盛り+サラダが1プレートにテンコ盛りで出されており、
私には十分すぎるほどの量でした。

※写真を撮るときに皿の上下を逆にするべきでした。
ピラフが殆ど見えません。反省。

味は「可もなく不可もなくというレベルよりは少し上」ですが、
「ふか~い味わいの絶品!」というほどではないと感じました。
そもそも私はこうした若者向けと思われる“超ハイカロリー”メニューは
最近あまり注文することはないですが、それでも食後の皿はきれいに
ご飯一粒残っていない状態までなったということで、
この『トルコライス』の味の見当を付けてください。

ただ、他店の『トルコライス』との差別化が何がしかなされているとは
思わなかったのですが、観光客が次々に来店し、そのかなりの方が
『トルコライス』を注文していました。
ひょっとしたらガイドブックに掲載されている『トルコライス』の
名店なのかもしれません。

一方、その観光客の方達ですが、当然「鉄」ではないので、
一応に「外」だけでなく「中」まで広がる『電車』の世界に“呆れつつ”、
写真を何枚も撮っている人もいて、普段はあまり見かけない光景が
面白かったです。

なお、メニューはいわゆる町の洋食屋さんで、「鉄」「鉄」したメニューが
あるわけではありません。
値段も手頃ですので、長崎にお出かけの際にはどうぞ。
「鉄」ではない方が同行でも、この店は大丈夫と思われます。

2011年06月10日 8時56分

長崎での「鉄」御用達『きっちんせいじ』とは?

長崎に出かけた「鉄」の方々の御用達、特に昼食の定番スポットと言っても
過言ではないのが『きっちんせいじ』です。
(食事については次回UPします)

この外観だけでも「鉄」御用達という表現が誇大ではないと思っていただけると
信じていますが、一方、店内も電車の部品が満載だったり、
電車の写真も飾られたりしていて外観とのギャップはなく、
初訪問の私の期待を裏切りませんでした。
実のところ、これまで『噂に聞いていた』程度でしたが、
「ここまでやってくれるんならOK」と素直に思ってしまいました。

なお、プラス情報ですが、ここはマンガ喫茶かと言うほどマンガが
揃っています。時間つぶしにも最適な店です。

ところでこの電車は長崎電軌の何形なのでしょうか?
毎度お馴染みの「Wikipedia」で検索した『長崎電気軌道』には
『元の形式は不明だが、長崎市内に路面電車の廃車体を利用した
洋食屋「キッチンせいじ」がある。』との記述もありますが、
その形は元箱根登山の「150形」に限りなく似ています。
但し、これはあくまでも私の感想です。
※「キッチン」は「きっちん」と平仮名で書くのが正式です。

(場所)
「長崎電軌」の電停で言えば『賑橋』から程近く、歩いて直ぐですが、
表通りからは中に入っているので少し分かりにくいかもしれません。
私の場合は「iタウンページ」で検索した地図を持ってこの店を探しました。

参考までに、この時私は、「公会堂」電停から歩いて『キッチンせいじ』を
目指しており、途中、中島川に架かる国の重要文化財「眼鏡橋」では
観光客気分で記念写真を撮影しつつでしたが、それほど時間は
かかりませんでした。

2011年06月09日 18時18分

長崎電軌(21)追伸。トンネルの話し。

長崎西洋館「トンネル」に入っていく3系統「赤迫行き」375号です。
※今回、この写真はトンネルの話しをするために使っています。

昨日の朝、路面電車で“日本唯一”のトンネルが長崎電軌にあると
UPしたところ、「konantaka」さん、「ぽぽふき」さんからトンネルの件で
コメントを頂きました。
本来なら『コメント』欄でお返しするところですが、今回はここに
詳しく書かせていただくことにしました。

また、以下の内容につきましては、『長崎電気軌道』本社様に問い合わせをし
お聞きした話しを参考に纏めたものです。
長崎電軌のご担当者様には、お忙しい中、大変お手数をおかけしました。
この場を借りて御礼を申し上げます。

●トンネルの条件…“トンネル”は『土の中を通る』というのが
一般的なイメージです。
社団法人日本トンネル技術協会HPでの「トンネルとは?」には
『一般に「2地点間の交通と物資の輸送あるいは貯留などを目的とし、
建設される地下の空間」で断面の高さあるいは幅に比べて軸方向に
細長い地下空間」とあり、やはり地下にあるというイメージはその通りです。

ただ、“一般に・・・”とあるように、何事にもイメージとは異なるものも
含まれることになります。

■長崎西洋館のトンネル…このトンネルは、長崎電軌がその構造物を作り、
所有者である長崎電軌が『トンネル』として登録しているそうです。
例えば、極論ですが「鉄道橋」が「橋」であるかどうかは、
「橋」として登録しているかどうかのようです。

■桜町の“トンネル”…この“トンネル”は、土地を切り崩して作られており、
上の道路等と、電車も走る下の道路の立体交差の構築物であり、
またそもそも長崎電軌の所有物ではないそうです。
つまりこの“トンネル”は、『道路』の構築物であり、
それが“トンネル”かどうかの分かれ目は、どうやら道路所有者の
登録によるものになりそうだということが分かってきました。

『桜町の“トンネル”は「立体交差」』という話しは、以前、うろ覚えながら
聞いた記憶があり、それも含めて昨日のブログに繋がったのですが、
今回はいろいろと勉強になることが多かったです。

私・個人も「ぽぽふき」さん同様、桜町の方が“トンネル”気分なのですが、
そこで思い出したのが大阪市内で高架の阪神高速がビルを
貫いて走る区間です。
その部分はどんな『登録』になっているのでしょう?
ネットで調べましたが結局わかりませんでした。
まあ、法的な根拠も含めて厳密に全てを考えるのも良いのですが
それはさておき、『桜町のトンネル』という言い方は、
その方が“自然な捉え方”とは思っていますし、
現にそう表現しているHPも多く、私はそれを否定するものではありません。
ただ“日本唯一”という時だけは、正確を期するべきとは考えています。
実際、今回の長崎電軌訪問まで、桜町の“トンネル”を私は「トンネル」と
信じて疑っていませんでした。

それにしても「鉄道」の世界は奥が深いというのが今回の結論です。

2011年06月09日 9時02分

長崎電軌(20)街の足はやっぱり路面電車に限る!

「長崎路面電車博物館」の入る『長崎西洋館』のテラスから撮影した
“長崎電軌”と長崎の街並みです。
(下の電停は「浜口町」)
この辺りはビジネス街と見紛うほどビルが立ち並び、
そこを専用線と併用軌道で走り抜ける電車の姿が、
如何にも“都市の基幹交通”“ダウンタウン(ビジネスの中心地)の足”
という感じがしましたので、長崎電軌の最後の一枚に選びました。
※本当のダウンタウンがここかについては責任が持てません。
 あくまでもビル群から来るイメージです。

1乗車が120円(この値段で“のりつぎ券”もある)と、
民営鉄道では信じがたい安さですが、この値段になったのもつい2年前のこと。
1日乗車券が500円と“格安”ですが、この元を取ろうとすると
5回も乗らなければならず、私なんぞは毎度毎度の支払いの
手間軽減という観点で1日乗車券を購入しました。
そんな中、外国からの観光客が『長崎スマートカード』
(ICカード乗車券、長崎県内のバスと共用)を使っているのを見かけ、
長崎市内を効率的にかつ“安く”回るには確かにこちらの方が
便利な気もしました。
それはともかく、そんな光景を見かけるほど長崎電軌が市民・観光客の足として
定着しているということです。
何せ日中、1号系統は5分間隔、間隔の開く4・5号系統でも8分間隔で
次の電車を“待つ”という感じはありません。

『動く電車博物館』として、鉄道が好きな方達の期待に応え、
一方で「5000形」が更に増備され、ますます便利で弱者に優しい鉄道としての
存在感が高まることを期待します。
(通り一遍で申し訳ありません)

(余談)
平成4年から貸切電車の運用を始めております。
大人は1回片道8,640円で電車1 両を貸切にすることができます。
(車両指定可。条件は長崎電軌HPで確認を)
この値段なら一度は貸し切ってみたい!

2011年06月08日 18時26分

長崎電軌(19)長崎路面電車資料館の中。

資料館そのものは上段写真のようにさほど広くはありません。
正面真ん中に鎮座していますのは顔出しモックアップで、
この写真を撮影したときは誰もいませんが、身を乗り出す子供達の写真を
撮影する家族連れは多かったです。
この車体番号「1号」は、多分、大正4年の開業に投入した「1形」を
模したものと思われ、方向幕は「長崎駅前」となっており救助網も
しっかりありました。因みに内側にはコントローラーやブレーキなどもちゃんとあります。

下段左側の写真は、『ビューゲル』です。
6月1日に「明治電車」をUPした際、『ハンドルさん』から、
『明治電車に乗った際に、ビューゲルの向きが変わるのを
初めてみました。(要約)』というコメントをいただきましたが、
確かに若い世代の方には「ビューゲル」は馴染みがないのは当たり前で、
それもあるのか、わざわざ説明付きで「ビューゲル」が展示されているのには、
理由があった訳ですね。
実はこの資料館でこの「ビューゲル」を見た時に何で「ビューゲル」が
あるのだろうと思ったのですが、やはりそういう時代ということなのでしょう。

一方、右側は「ローレル賞」の受賞記念盾です。
「ブルーリボン賞」にしろ「ローレル賞」にしろ、受賞記念の銘板が
その対象のトップナンバーの車両に取り付けられているのは
何度も目にしていますが、こうした「盾」があるのを私は始めてしりました。

2011年06月08日 8時01分

長崎電軌(18)長崎路面電車資料館。

では、日本で唯一の“トンネル”はどこにあるのでしょう?
それが今回の写真です。
長崎路面電車資料館の入る「長崎西洋館」の中というか下と言うか、
兎にも角にもそこにあります。
上段写真で言えば長崎西洋館のビルのどてっ腹にあいた大きな
『穴』がそれで、中は下段写真のようになっています。
“トンネル”に見えなくも無いですが、乗車している気分としては、
「ビルの中を通り抜けている」が実感です。

それはともかく、「長崎路面電車資料館」の話しを少し。
開館時間は11:00~17:00と言うことで、てっきりこういた
『資料館』によくある10時開館かと思っていったら開いておらず、
開館まで少し待つことになってしまいました。
(行かれる方はHPでご確認下さい)

「博物館」と銘打たず、「資料館」という謙虚さが好ましく、実際、
資料館と言うレベルですが、「動く電車博物館」とセットで考えれば、
長崎電軌の歴史がよくわかります。

一般的な観光地ではありませんが、「鉄」の方には長崎電軌訪問の
“ついでに”行くところとしてお勧めします。
じっくり見るならともかく、『成程』レベルなら30分もあれば十分だと
思います。

2011年06月07日 18時48分

長崎電軌(17)電車がいる風景。

上段写真は「築町」~「出島」間を行く『1702号』。
下段写真は「公会堂前」~「桜町」間を行く『504号』です。

このお題(電車がいる風景)でこの2枚を選んだ理由ですが、
まず上段写真は併用軌道というにはあまりにも道路を鉄道が占拠する割合が
大きいという点で、昭和の路面電車全盛時代でもここまで極端な例は
あまりなかったのでは思っています。
これで道路(線路)の両側に商店が並べば、ヨーロッパのトランジットモール
そのものですね。またセンターポール化されていることで、
すっきりした街並みに見えることも高ポイントです。

一方下段写真は、トンネルの存在に尽きます。
と言ってもこれは正式にはトンネルではないとのことで“立体交差”だ
そうですが、気分は併用軌道の“トンネル”で、ちょっと不思議な感覚が
味わえます。

といいつつ、実は長崎電軌には、横浜市電全廃後、日本で唯一の路面電車の
トンネルが存在します。
それは「意外なところにありました」などというより、
明らかに長崎市民も含め、誰もトンネルとは思っていないと思われます。
(詳しくは次回UPします)

なお、日本唯一の存在を解く鍵は、HP「旅する長崎学」2008年8月6日
更新の「長崎は路面電車の走る街~長崎チンチン電車物語」の中で、
長崎電軌の方へのインタビューにありました。

話しが写真とずれてしまいましたが、桜町の『立体交差』は
“トンネル”としてのインパクトは大です。一度お試しあれ!

2011年06月07日 8時06分

長崎電軌(16)昭和の「正覚寺下」の風景。

昭和55年の「正覚寺下」電停停車中の360形「362号」です。

今回、この「正覚寺下」には時間の都合で行っていないのですが、
別に「正覚寺下」をないがしろにしたということではないと
知っていただきたく、せめてもの償いに
昭和の写真をUPすることにしました。
実は、ここと「とあるところ」2箇所を天秤にかけ「とあるところ」に
行くことを優先しました。
もっともあと1時間早起きすれば十分に行けたのですが、
最近はすっかり欲がなくなってきました。
年のせいでしょうか?いやっ単なる怠慢です。

その電停の構造は、写真で見る限り走ってきた道路からいきなり民家の前に
突っ込むスタイルで、見ようによっては何とも大胆な止まり方ですが、
何とかつかつの1両分の長さしかありません。
今は多分2両分位の長さに伸ばされているのではないでしょうか?
(少なくとも3000形・5000形は止まれる)

また背景に写っている街並みも随分変わったことでしょう。

今日の余談…もしもお時間のある方は「Google マップ」で長崎電軌の線路を
探してください。何と線名が「長崎電鉄」になっています。
確かに「Wikipedia」の「長崎電軌」の項を検索すると、そこには
通称「長崎電鉄」とはありますが、やはり地図にその名称を使うのは
如何でしょう・・・。

2011年06月06日 18時14分

長崎電軌(15)「石橋」電停の新旧比較。

長崎電軌で唯一の単線区間の終点、「石橋」電停の『新』『旧』です。
『旧』の電車は302号、『新』の電車は1502号で、
残念ながら私がこの電停にいたときに“5000”形は来ませんでした。

『新』『旧』での一番大きな違いは、電停の形状で、『旧』は1面1線ですが、
『新』では2面1線となっています。
「Wikipedia」によれば、『旧』の時代は、この電停の形状の関係で、
電車の扉が前後の車両に限定されていて、中扉のタイプは使用されて
いなかったとありました。それゆえ『旧』の写真が“300形”というのも
納得できますし、こうした限定運用は確かにさもありなんというところでした。

もう一つ、変わったというか変わっていないというか、電車の左側にある
スーパーの名前が「アサヒ」から「ジョイフルサン」に変わっています。
看板から名称変更なのか運営会社が変わったかまでは判りかねますが、
未だに地場(だと勝手に思っています)の小さなスーパーが地元の暮らしを
支えている姿には何かホッとさせられました。

●昭和55年5月24日の足取り(2)
3)「蛍茶屋」16:17~「石橋」16:38
4)「石橋」16:40~「築町」16:47
5)「築町」16:49~「正覚寺下」16:55
6)「正覚寺下」16:58~「長崎駅前」17:09
以上で、長崎電軌を完乗!
2時間足らずの行程でした。

この日はこのまま長崎に1泊。25日は午前中、長崎観光+移動日で、
26日に西日本鉄道に乗り残し区間に行き、その時点での九州島内を
完乗しました。(除く、ケーブルカー)

2011年06月06日 8時43分

長崎電軌(14)「蛍茶屋」電停の新旧比較。

続いて昭和55年と平成23年の「蛍茶屋」です。

『旧』の電車は紛れもなく700形。ただ車体番号が今一つ
はっきりしません。ネガが見つかれば間違いなく車両は特定できると
思われますが、プリントではやはり確定にはいたりませんでした。
(多分、703です…)

『新』の方は前の電車が「303号」で、後ろの電車も「300形」ですが
番号は不明です。因みに『ロイヤルホスト』の看板の下に止まっている電車は
左が「206号」、右が「212号」で、
昭和30年製の700形が1両を除いて現役を退き、
昭和20年代生まれの「202形」「211形」「300形」が
冷房改造され現役なのは、時代の皮肉としか言えません。

ところで『新』『旧』の一番大きな違いは
『新』では「ロイヤルホスト」の中に車庫があるということ・・・では決してありません。
それは電停が2面2線の相対式から、1面2線の島式に変わったことです。

●昭和55年5月24日の足取り(1)
1)「浦上駅前」発15:23~「赤迫」15:40
2)「赤迫」15:43~「蛍茶屋」16:14
※時間は、自分の時計によるもので正規のダイヤではありません。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!