2011年06月05日 22時00分

長崎電軌(13)「赤迫」電停新旧比較。

上段写真は昭和55年5月24日の長崎電軌の「赤迫」電停です。
そして下段が平成23年3月26日の「赤迫」電停です。
30年以上の年月が流れ、変わっているものと変わらないものがあります。

変わっていないのは、新旧とも電停の長さが長く、
写真ではそれぞれ2両ずつ停車していますが、さらにもう1両分の余裕が
あります。
また小さくて見にくいですが電停ホーム端の「赤迫」の名前を書いた表示が
同じ形で、ちょっと違うといえば(写真で見る限り)文字の地の色が
『旧』が“黄土色”、『新』が“白”という点でしょか・・・。
良く見ると電停の屋根も昭和の時代から変わっていないようです。

また、『新』の方の左端に「江藤動物病院」の看板が見えますが、
『旧』の方にも同じ場所に色は異なるものの同じ形のビルがあり、
その看板には「江藤家・・」の文字が見えますので、多分、以前も同じ場所で
動物病院を開業していたものと推察されます。
※「動物病院」=「家畜病院」と考えられます。

変わったのは電車でしょうか?
『旧』の前の電車は、方向幕の大きさな、3枚ガラスの全面窓のバランス及び乗降ドアの前に窓が一枚あることからおそらく
旧都電の「700形」と思いますが、今も701号が残されているものの、
定期運用には入っていないようです。この電車が「700形」であれば、その現役時代を伝えるものですが、ここまで車がかぶっていては
あまり価値はないですね。

2011年06月05日 8時03分

長崎電軌(12)1200形のシート。

「浜口町」電停の近くに『長崎路面電車資料館』(後の機会に紹介します)があります。
その見学を終えた後、「浜口町」から「蛍茶屋」に向うため乗った電車が
上段写真の「1200形」(1203号)でした。
そして座ったシートに下段写真の可愛らしい絵を見付けました。
『長崎くんち』の「龍踊(じゃおどり)」です。

昨年の7月20日に京成の「アクセス特急」について書いた際、
「飛行機の図柄のシート・・・」(写真はUPしていません)という話しを
書きましたが、それと絵の種類こそ違うものの同様ですね。
電車が市民の足、そして観光客の足であるだけになかなか素敵な
アイデアです。
でも、私の見た限りですが、この図柄のシートはこの電車だけでした。
何故???

さて『長崎くんち』についてはあまりに有名な祭りであり、
国の重要無形民俗文化財にしてされている位なので今更説明することは
ありませんが、今年は10月7・8・9日がその日程となっています。

もしも『長崎くんち』に合わせて長崎電軌を訪問予定の方は、
是非、1200形に乗って、より『長崎くんち』気分を盛り上げてください。

それにしても「龍踊」がどうしてサル・パンダ・ウサギなのでしょう?
謎です。

2011年06月04日 18時52分

長崎電軌(11)専用線区間の踏切。

長崎電軌の専用線区間には路面電車らしからぬ“本格的”な踏切があります。
上段写真は「松山町」電停のところにある踏切で、「踏切注意」の吊り看板が
目を引きますが、警報機・遮断機があるわけではなく、その代わり、
下段写真の「電車に注意」の看板の上の回転灯が作動するようになっています。
その回る姿は、ビル内の駐車場の入り口に設置され、車の出入り時に回る
回転灯がごときの体でした。
果たしてこの回転灯は「警報機」なのでしょうか?
私には“謎”の出来事でした。

ところで、上段写真で仰々しい『鋼鉄』のアーチに「制限高3.8M」
「けたに注意」の看板がついていますが、最初にこれを見た時は、
一瞬、『注意』するのは電車の架線の高さかと勘違いしてしまったのですが、
よく読めば『けた』と書いてあり、この制限高3.8メートルについて言えば、
架線の高さではなく、その後ろのJR長崎本線の“橋桁”の高さのようでした。

都電荒川線は幹線道路との踏切もあり、それと長崎電軌を比べるべくもありませんが、専用線ならではの光景ということで、車を待たせて電車が通り過ぎる様には少しワクワクしてしまいました。

●回転灯を見ているだけでも結構飽きないものです。

2011年06月04日 8時00分

長崎電軌(10)今年登場!5000形。

“アナログ”な、サイド『ミラー』を装備し、長崎電軌に今年登場した
最新鋭車両『5000形』です。
ヘッドマークの「超低床路面電車 祝 5000形デビュー」が誇らしげで
素敵です。(今もあるのかな?)

この電車はアルナ車両が作った『リトルダンサーUaタイプ』で、
「3000形」と違い、車輪が見えているので、以前の車両との比較では、
私には“馴染み”やすいスタイルといえます。
函館・富山・豊橋・広島・熊本・鹿児島等々の町を走る超低床車は
私の記憶違いでなければ、このように車輪は見えていないですね。
ただ、車輪カバーが何故無いかの理由までは私にはわかりませんが、
くどいようですが不思議と違和感がありません。面白いですね。

車体の幅は、「1800形」「3000形」と同じ2300ミリ。
ただ長崎電軌で主流の電車たちから僅か数センチ程度広いだけにも係わらず、
車内は広々した印象で揺れも少なく、乗り心地が素晴らしいです。

この電車に乗りたい方、撮影したい方は主に“5号系統”(蛍茶屋~石橋)に
入っていますので、参考までにお伝えしておきます。
またこの“5号系統”は3.5キロ、所要時間18分の短い路線ですので、
それほど待つことは無いであろうと思います。(私の経験上)

平成23年度中にもう一編成増えるはずですが、長崎の路面交通は
充実の一途ですね。
なお、3月末時点では、まだまだ新車の匂いがプンプンしていました。

2011年06月03日 18時58分

長崎電軌(9)ローレル賞受賞車『2000形』。

昭和55年に登場し、昭和56年の『ローレル賞』を受賞した
『2000形(2001号)』です。
2両が作られましたが現存しているのはこの“2001号”の1両のみと
なっています。

日本鉄道技術協会の開発プロジェクトにより誕生した『軽快電車』としては
初の量産車で、チョッパ制御・空気バネ台車&ディスクブレークに
ワンハンドルマスコンと当時としては最新の技術を投入しています。

下段の写真は、その運転台ですが、昭和55年といいますから今から
もう30年前に登場しているにも関わらず古さを全然感じさせず、
最新式の運転台と見た感じはそれほど違わないのではと
思ってしまったほどです。

私の鉄道趣味は、仕事が忙し過ぎた昭和55年頃から平成15年頃まで
約20年が空白の時代と言っても良いほどで、それでも新線が開通すれば
乗りに行くことはしていましたがそれが精一杯で、
どの鉄道にどんな新技術の車両が登場したかは、
単に興味の対象であったかなかったかの問題ではなく、
当時、鉄道趣味誌を手に取り熟読することもあまりありませんでした。

「鉄道の中でも路面電車が好き」などと言っている割には、
この『2000形』が路面電車のワンハンドルマスコンの走りだったことを、
今回初めて知った次第です。

それ以前に、“2001号”を撮影したのは、長崎電軌の方から、
『「ローレル賞」を受賞しており・・・』等、色々な説明を受けたからで、
自分自身のあまりの無知さにほとほと呆れ返っています。

2011年06月03日 9時04分

長崎電軌(8)「3000形」の裏話。

長崎電軌「3000形」は、平成15年に製造され、
同16年に営業運転を開始したアルナ車両が作った
『リトルダンサーUタイプ』で「リトルダンサー」の集大成ともいわれており、
台車部分も含めほぼ100%の低床化は国産ではこの電車で初めて
実現しました。
※平成16年「グッドデザイン賞」、17年に「ローレル賞」を受賞。

ところでお題に“裏話”としたのは、実は3000系がサイドミラーではなく、
サイドビューモニターを採用していること。
(豊橋鉄道の「ほっトラム」T1000形と同じ)
※どうでもよいことかもしれませんが“サイド・・・”と“バック・・・”、
どちらの表現が良いのでしょう???

ただ、それだけでは裏話になりません。ということで、それでは
「3000形」の次に登場した『5000形』はどうなっているのでしょう?
実はモニターで電停での安全確認を行っているのはこの「3000形」だけで、
『5000形』からはまた元の“鏡”を使うスタイルに戻っているのです。

車両数の少なさからくる慣れの問題なのか、それとも運転士さんから見て
使い勝手が良くなかったのかはわかりませんが、何かデジタル化した機器を
アナログに戻した気分で、「なんだかんだ言ってもやっぱり
アナログだがね」と、思考がアナログなおじさんは思ってしまいまました。

夏に豊橋鉄道の「納涼ビール電車」に乗ったら、是非運転士さんに
聞いてみたいことが一つ増えました。

2011年06月02日 18時51分

長崎電軌(7)「納涼ビール電車」の秘密。

今回は『呑み鉄』様御用達の話題です。
浦上車庫の奥深く、夏だけ動く電車を発見しました。
201形電車で昭和25年に製造された古豪。
そしてその名も『納涼ビール電車専用車「207号」』です。
それはいいのですが202形を含めて不思議ことが一つ。
“201形”と“202形”は多分、車体の見た目は同型なのですが、
製造メーカーの違いにより台車が異なるため、形式を分けたとして、
何故日立製作所製(201形)は奇数号車だけで、
日本車両製(202形)は偶数号車だけなのでしょう?
それと、形式名の“・・1”と“・・2”にもちゃんと意味があり、
それがその後の元仙台市電の形式の作り方を含め長崎電軌の
“良さ(遊び心?)”ではあると思っていますが・・・不思議なことは
不思議と言う事で。

そんなことはともかく、平成4年から始まった長崎電軌の
「納涼ビール電車」は毎年大好評です。
運転区間とダイヤは「正覚寺下」19:00~「蛍茶屋」~
「浦上車庫前」(トイレ休憩?停車場所は本線上?それとも車庫内?)
~「正覚寺下」20:30という1時間半のコースで、料金は3000円と
なっています。

ところで昨年の8月22日、23日に豊橋鉄道の「納涼ビール電車」の話題を
UPしましたが、豊橋鉄道のビール電車と大きく違うのは、座り位置。
内装が取り払われている下段写真では分かりにくいですが、
椅子が窓外を眺めるようになっています。
豊橋が真ん中にテーブルを置くスタイルなので相当イメージが異なります。
まあ、走る距離も長いので2~3名の“個人客”が多い場合は
この方が良いでしょうし、団体の場合は、豊橋の座席配置が良さそうです。
一長一短ですね。

2011年06月02日 8時09分

長崎電軌(6)“動く電車博物館”「小田原と熊本から来ました」。

上の写真は、150形「151号」です。大正14年に服部製作所
(私の知らないメーカーです)で製造され、王子電気軌道(402号)
~東京都(102号)~箱根登山鉄道小田原市内線(201号)を経て
昭和32年に長崎電軌の151号となりました。

この車両はワンマン化されておらず、運転される場合には車掌さんが
乗務することになります。
個人的には、昭和初期の面影を強く残した印象が好ましく、
岐阜県美濃加茂市にある“昭和”のテーマパーク「日本昭和村」で
電車を走らせるならこのタイプが似合いそうだと思っております。
※車内には「この車の経歴書」や「小田原時代の同形車の写真」なども
展示されており、もしも乗る機会があればこちらにも注目を!

一方、下の写真は600形「601号」。昭和28年製の元熊本市電の
171号で、先回の元東京都電(701号)も含め、
昭和の匂いがプンプンしていますが、やはり151号に比べ新しい
感覚のデザインと言えそうです。私には一番馴染みのあるフォルムと言えます。
また長崎電軌の201形あたりと似た雰囲気もあり、「私は元熊本
市電171号車です」のヘッドマークが無ければ、長崎電軌オリジナルと言われれば信じてしまいそうです。

こちらはワンマン化されていますが、何れにしろ“動く電車博物館”
151号・168号・601号・701号・1051号とも冷房が
非搭載のため、イベント用でしか稼動していないと思われましたが、
どの程度の頻度で運転されているかは不明です。

2011年06月01日 18時16分

長崎電軌(5)“動く電車博物館”「元東京都電」。

この3月29日に、元仙台市電の117号がここ長崎電軌では1051号として
今も現役で、東日本大震災を受けて「がんばれ東北号」として被災者支援の輪を
広げた話しをUPしましたが、その他にも、全国から来た車両がいて、
それを紹介させていただきます。
(参考)「がんばれ東北号」の募金総額は32万1230円とのことでした。

先の「168号」も西日本鉄道からやってきた電車ですが、
この元東京都電(昭和30年製。都電時代は2018号、
現在は701号)も懐かしい電車といえます。ワンマン化されており、
通常の運行にも使用可能です。

冷房が無いため、多分、夏場の運用には難しい点もあるのでしょうが、
鉄道趣味的には都電杉並線(1076ミリ)~杉並線廃止後の
都電(1372ミリ)~長崎電軌(1435ミリ)と3つのゲージを
走った車両であり、他の例を私は知りませんが、何れにしろ相当珍しいことだけは間違いなさそうです。

こうした他都市から来た電車は、長崎電軌では“誘客対策”
(「会社概要」に出ていました)と位置付けており、「動く電車博物館」として
正に『動態保存』をしており、是非とも長くこの電車たちが活躍するのを
祈るとともに多くの方が長崎の地を訪れ、長崎電軌を利用されることを願っています。

2011年06月01日 9時08分

長崎電軌(4)“明治電車”168号の車内。

“明治電車”の車内です。運転台は椅子も無く、実にシンプルで、
電車はこれだけの装備があれば動くという“見本”のような感じです。

一方、客室はダブルルーフの屋根構造に白熱灯の組み合わせで、
何とも優雅さを感じさせるものとなっており、きちんと整備されていることと
相まってその美しさは秀逸で、本当に感動モノでした。

残念ながら私は『路面電車の日』に、動く“明治電車”に乗りに
行けないのですが、いつか乗ってみたいと思わせるには十分でした。
時間等に余裕がある方は、わざわざ乗りに行く価値はあると思います。

ところで、こんなところで書くのも何ですが、
長崎電軌の公式HPは物凄く充実しています。
今回、このブログを書くにあたっての参考資料は公式HPだけと
言っても過言では無い位であったことを報告しておきます。

この“明治電車”についても、それを参考にしています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!