2011年07月03日 22時58分

房総半島横断(8)大多喜駅に到着。

「大多喜駅」に15:56頃到着。
昭和の時代でもここは木原線の拠点駅で、1往復ではあるものの
折り返し列車もありました。

上段写真は、平成の「大多喜駅」構内で、中段写真は駅前から見た駅舎です。
下段は昭和54年当時の入場券です。昭和54年1月14日、
私の乗った774D(上総中野19:03発大原行き)は
ここ「大多喜駅」で列車交換のため4分ほど停車し、
その時間を利用して買いました。
有人駅とは言え小さな駅であり、しかも夜の7時半頃に入場券を買う
「鉄道マニア」は、きっと駅員さんを驚かせたと、今、思い返しています。

少し分かりにくくて恐縮ですが、今の大多喜駅の駅舎には『時計台』あり、
その上には“風見鶏”がいて、なかなか洒落た外観です。
さすがに本社も車庫も、そして「いすみ鉄道のグッズ売り場」もあって、
『いすみ鉄道』で唯一の“有人駅”だけのことはあります。

ところで何故今回「大多喜駅」で下車したかということですが、
単に「いすみ鉄道」から「小湊鐵道」への接続の問題で、
私が乗ってきた23Dでもその1本あとの25D
(大原発16:14上総中野行き)でも、上総中野から乗る列車は
44列車(上総中野発17:15五井行き)。
さて「大原」「大多喜」「上総中野」のどこで時間を潰そうかと考え、
“どうせなら”ということで選んだのが『いすみ鉄道』の車庫のある
ここ「大多喜駅」でした。

2011年07月03日 8時02分

房総半島横断(7)「いすみ鉄道」名物の信号機。

23D(大原発15:27上総中野行)の車両の前の方に座り、
のんびりした車窓の風景を楽しみ『ボーっ』としていて最初の交換可能駅
「上総東(かずさあずま)駅」で『あれっ?』『まさかね…』と思い、
とりあえず次の交換可能駅「国吉駅」でそれを確かめようと思っていて
待ち構えて撮影した写真がこれ!

ご覧の通り、信号機の位置が異常(?)に低いのです。
ここ「国吉駅」は、列車の停止位置から離れているので“まだしも”ですが、
最初に見た「上総東駅」は、停車中の運転士さんの座り位置からでは、
まるで左下を覗き込むような感じでした。
※本線ではなく、側線の入替信号機を色灯表示にした感じと言った
ところです。

国鉄木原線の時代はタブレット閉塞で腕木式信号機の記憶があり、
特殊自動閉塞は「いすみ鉄道」発足後でしょうが、この背丈の信号機は
いつからあるのでしょう?
また、他の鉄道会社にも同様のものはあるのでしょうか?

参考までに、こうした情報に詳しい知人に確認したところ、
「知る人ぞ知る」存在のようですが、それでも私の「驚愕の発見」
「ひっくり返りそうになった」は、如何にも大袈裟だと
窘たしなめられました。
確かに、「行けば分かる」ことではありますし、沢山の「鉄」が
ここを通っている訳ですから、確かに『何を今更』でした。

ただ、それでも私の感想「驚愕の発見」に変わりはありません。
やはり最初に乗ってから30年以上経過している訳で、
特に第3セクター化された路線は、車両の変化もあるので、
“乗りつぶし”ではなく“乗り『なおし』”も楽しいと感じ始めている
私です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!