2011年07月09日 19時23分

房総半島横断(19)「小湊鐵道五井駅」到着。

6月3日、18:37。夕闇が迫る五井駅に定時に到着。
房総半島を横断する3時間20分の旅が終わりました。

「いすみ鉄道」は「大多喜駅」を除く全駅が無人で、ワンマン運転。
一方、「小湊鐵道」は「上総牛久」~「五井」間がほぼ有人駅で、
列車には車掌さんが乗っている。
経営的な苦しさは同様でしょうか、好対照と言えば、
その経営合理化の考え方は両極に思えました。

「小湊鐵道」はここ五井駅から上総牛久駅の間が無ければ、
もっと窮地にたっていることは容易に理解できます。

とまあ、今回の「房総半島横断の旅」は少々、難しい話しが多くなって
申し訳ありませんでした。

ここで少し、ちゃんとした話しを一つ。
「小湊鐵道」の車両はキハ200形だけで、一見面白みがなさそうに思えます。
ところが何せ昭和36年から昭和52年まで16年がかりでの増備だけあって
微妙に違うところがあります。
例えばドアや窓ですが、行き交う車両や五井の車庫で、
そんなところを見付けるのは、この鉄道の楽しみ方の“王道”に思えました。

2011年07月09日 8時24分

房総半島横断(18)「上総牛久駅」で交換。

私の乗った44列車は、17:56に「上総牛久駅」に到着。
ここで37列車「上総牛久」発17:57「上総中野」行きと交換。
(上段写真の向かってくる列車が37列車です。)

「上総中野」~「上総牛久」間、22.7キロを1閉塞で来て、
やっと辿り着いた駅らしい駅で、44列車にも活気があふれ、
37列車からは学生を中心に多くの乗客が降り立ちました。
そして44列車から“スタフ”を受け取った駅の方が、
37列車に“タブレット”を持って走って行きました。
(下段写真の真ん中に駅の方が写っています)

ところでこのタイミングで書くのも何ですが、それは「小湊鐵道」の
線路の状態です。
「上総中野」から「養老渓谷」間の線路の状態は、「小湊鐵道」で頑張って
働いている職員の方には申し訳ありませんが“乗り心地”は決して良いとは
言えません。

というのもまずは「いすみ鉄道」から乗り継いで、「小湊鐵道」に乗った途端、
いきなり上下左右への動揺を感じました。安全上の問題は無いにしろ、
まあ、軽量級かつ短尺レールゆえ、また、枕木間隔も広く、
昔聞いたことのある蒸気機関車で言えばC12かC56の走る
“簡易線”という言葉を思い出したほどです。

で、「養老渓谷」を出発するとそれが一気に改善と思いきや、
「上総牛久」からは、“打って変わって”と言いたくなるほど
またまた乗り心地が良くなります。
1本の線で、これほど差が出た経験は、記憶の中ではありません。

20キロを超える距離が1閉塞の区間を持っている根っからの民営鉄道は
他に例があるのでしょうか?
乗り心地は路盤の強化、線路の重量化や長尺化で解決できることですが、
それは望めぬ注文であろうことは容易に察することができ、
またその経営状況を切実に感じた瞬間です。

PS)何事も無ければ、今日から名古屋市営地下鉄桜通線「桜本町駅」の
“可動式ホーム柵”が稼働しているはずです。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!