2011年07月14日 18時53分

近江鉄道の旅(3)亀山駅。

電車は定刻の9:34、亀山駅に到着。一体何年ぶりの「亀山」で
あろうかと思いつつ、そう言えば、上段写真の様な構内への入線を、
先頭車から眺めるのは始めての経験であることに気付き、
この位置からの視点で眺めているとここ「亀山」がかって国鉄の
一大拠点の『大駅』で“あった”ことを思い起こさせてくれました。

昭和48年に旧国鉄伊勢線が開業するまでは、名古屋から南紀方面へは
ここ「亀山」のスイッチバックはマストであり、また関西から伊勢参りや、
伊勢志摩への観光に向かう人の乗り込んだ列車が、全て停車していました。
また貨物列車の本数も多く、いつも賑やかな駅でした。
私は、伊勢線の無い時代にここ「亀山」に降り立ってはいるのですが、
残念ながら南紀に向かう列車でのスイッチバック体験は持っていません。

(余談)
伊勢線開業後の話しですが、“乗りつぶし”は別にして、
名古屋から南紀に向かう際、「くろしお号」との時間が折り合わない場合は、
近鉄で松阪に向かい、そこから三重交通の特急バスで紀伊長島や尾鷲に
行っていました。トータルでの時間はともかく、利便性に負けていました。
これは私に限らない話しです。

話しを戻して、下段写真は「亀山駅前」なのですが、
こんな大鳥居が目の前にあったとは知りませんでした。
(記憶に無いというほうが正解かも)
扁額の文字がかすれ、読み取りにくかったのですが、
亀山市内の能褒野(のぼの)神社だそうです。
考えてみれば「亀山」への取材は殆ど来たことがなく、
来たとしても大抵は車で、こうして駅前に降り立ち、
駅前の風景をじっくり見たことはかってありませんでした。

2011年07月14日 8時24分

近江鉄道の旅(2)加佐登駅を撮影した訳。

「四日市駅」を出て16分、「加佐登駅」に9:24の到着です。
何でこんな小駅かと思われるかもしれませんが、ちゃんと理由があります。

今の時刻表で三重県鈴鹿市の代表駅は、近鉄鈴鹿線の「鈴鹿市駅」で、
市役所への最寄り駅であり当然として受け止められていますが、
以前、交通公社の時刻表では少なくとも昭和48年10月号までは
ここ「加佐登駅」が鈴鹿市の代表駅でした。(稲見調べ)
※その後、国鉄伊勢線(現在の伊勢鉄道)鈴鹿駅に変わり、
更に今の形になっています。

私の率直な感想として、当時、国鉄監修の時刻表にあっては、
市の代表駅はあくまでも「国鉄駅」であり、私鉄は例外という
扱いだったのではということです。ことの真偽を確かめていないだけに
書きっ放しで恐縮ですが、私がそう感じるほど、実際の町の中心と
“代表駅”との乖離に違和感がありました。
ただ、「加佐登駅」に停車する急行列車もあり、
その体面はかろうじて保たれており、また乗降客は少ないものの、
それでも他の駅よりは少々多かった印象です。
何れにしろ、鈴鹿市を横断する鈴鹿川の北側にあって、
『街』というイメージはありませんでした。

とは言うもののたった1回だけですが、日本を代表するサーキットである
『鈴鹿サーキット』へ仕事で行く際、この駅から『鈴鹿サーキット』へ
向かった記憶があります。
ただ、昭和の時代でも、『鈴鹿サーキット』へ鉄道で向かう際は
近鉄名古屋線の「白子」駅を使うのが一般的で、その時の理由は
「白子駅」から『鈴鹿サーキット』への渋滞回避だったのを思い出しました。

とまあ、そんななんやかやの「加佐登駅」ですが緑の窓口もある駅であることを
紹介しておきます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!