2011年07月20日 18時21分

近江鉄道の旅(6)加太トンネルを通って柘植駅へ。

上段写真は、関西本線「加太越え」のサミット、『加太トンネル』です。

蒸気機関車全盛の時代、このトンネルを頂点に、加太駅側と柘植駅側の
両方に25パーミルの勾配があり、先々回の「加太の大築堤」が、
加太駅を出た列車の撮影名所なら、柘植駅から出発した列車の撮影ポイントは
下段写真の柘植駅でした。(但し、私にとってです)
柘植駅を出発した列車は、この駅構内から既に全力運転で、その姿は
未だに私の瞼に焼き付いて離れません。
(昨年3月12日にその写真をUPしています)

蒸気機関車の機関士さん、機関助士さんたちを苦しめた峠道も今や昔、
しかも国鉄ではなくJRとなり、名古屋からの直通列車も無くなって
しまいました。

そんな感傷に浸りつつ10:20、加太峠を越えたDCは柘植駅に
到着しました。
最後に架線の張られた駅構内が、とても不思議な空間に見えたことを
敢えてここに書かせていただきます。

2011年07月20日 8時07分

近江鉄道の旅(5)中在家信号所を通過。

前回の『加太の大築堤』に向かう方法は2種類。
一つは「加太駅」で下車して歩くか、「加太駅」~「柘植駅」間にあった
写真の『中在家信号所』で下車して歩くかの選択でした。

確かに信号所なのですが、昭和40年代、ここでは客扱いをしており、
高校生の私も確か1回だけここを利用しています。
下段写真で、右側にある短いホームでの乗降で、こんなところから
乗降してよいかと思ったほどでした。
そして、そのホームの右側に、(記憶間違いでなければ)信号所の建物があり、
タブレット扱いをしていました。
最近、この線を通ったことは全くなく、それよりも、前回この線に乗ったのが
いつかが全く思い出せない状況で、知らぬ間にお馴染みの建物が無くなるのは
寂しくもありますが、これも時代の流れで郷愁にひたるには、
そもそももう少し私がここを通っている必要があったでしょう。

因みにもう一つの蒸気機関車撮影の名所だった岡山県の伯備線「布原信号所」は
昭和62年の国鉄民営化により“駅”となりましたが、
ここ『中在家信号所』は、“信号所”のままです。
ただ“信号所”に詰める人も無くなり、時代の流れを感じます。
※線路は撤去されてはいませんが、使われている形跡はなく、列車が交換することも停車することもない「休止」のようでした。

ところで昭和の時代、ここ『中在家信号所』に停車する各駅停車は、
基本、キハ35形で、何でこんな山の中で3扉ロングシートに
乗らなければならないのかと思いつつ、関西線だからしょうがないと
諦めていました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!