2011年07月20日 8時07分

前回の『加太の大築堤』に向かう方法は2種類。
一つは「加太駅」で下車して歩くか、「加太駅」~「柘植駅」間にあった
写真の『中在家信号所』で下車して歩くかの選択でした。
確かに信号所なのですが、昭和40年代、ここでは客扱いをしており、
高校生の私も確か1回だけここを利用しています。
下段写真で、右側にある短いホームでの乗降で、こんなところから
乗降してよいかと思ったほどでした。
そして、そのホームの右側に、(記憶間違いでなければ)信号所の建物があり、
タブレット扱いをしていました。
最近、この線を通ったことは全くなく、それよりも、前回この線に乗ったのが
いつかが全く思い出せない状況で、知らぬ間にお馴染みの建物が無くなるのは
寂しくもありますが、これも時代の流れで郷愁にひたるには、
そもそももう少し私がここを通っている必要があったでしょう。
因みにもう一つの蒸気機関車撮影の名所だった岡山県の伯備線「布原信号所」は
昭和62年の国鉄民営化により“駅”となりましたが、
ここ『中在家信号所』は、“信号所”のままです。
ただ“信号所”に詰める人も無くなり、時代の流れを感じます。
※線路は撤去されてはいませんが、使われている形跡はなく、列車が交換することも停車することもない「休止」のようでした。
ところで昭和の時代、ここ『中在家信号所』に停車する各駅停車は、
基本、キハ35形で、何でこんな山の中で3扉ロングシートに
乗らなければならないのかと思いつつ、関西線だからしょうがないと
諦めていました。