2011年07月22日 18時16分

近江鉄道の旅(10)日野駅でコカ・コーラ電車と交換。

上り快速電車は「日野駅」11:20に到着。
ここで4分停車し、下り列車との交換待ちです。

それにしても、近江鉄道には、私の個人的感想ですが、
心の琴線に触れる風情のある駅が今もあります。ここ「日野駅」もその一つで、
昔ながらの構内“踏み切り”のある風景は、絶滅危惧種と言っても
よさそうです。

私が“乗り鉄”だからと言って、対向列車との交換待ちで必ず電車を降りて、
こうした写真を撮影することはありません。

確かに、『4分』という時間は大事な要素ですが、
それが“きっかけ”とはならず、やはり自分の趣向とあっているか
どうかがポイントです。

そしてやってきたのが、ど派手な「コカ・コーラ電車」(810+1810)。
まあ、ラッピング電車でも、それはそれとして良しとしましょう。

まあ、電車の“色”を除けば、昭和の風が心地よく吹いている鉄道であることは
間違いありません。

2011年07月22日 8時00分

近江鉄道の旅(9)昭和の時代の近江鉄道「貴生川駅」。

上段写真は、昭和47年9月5日の近江鉄道「貴生川駅」です。
そして下段写真は昭和54年10月12日です。

昭和47年の写真は、草津線の蒸気機関車の撮影に行った際に、
たまたま撮影したもので、その時の近江鉄道の写真はこれ1枚のみです。
電車はその形状からモハ9形と思われます。
リベットの仰々しさと、窓周りに時代を感じさせますが、
改めてこの写真を見て、いくら昭和であっても駅名標の古めかしさは
特筆すべきと思うほどで、昭和から平成にかけての
ローカル線廃線ラッシュの時代でも、これほど時代がかった駅名標を
私はあまり見たことがなく、それより、今も存在している駅に
あったとは思えません。
(はっきり言って、「貴生川」の次の駅名が判読できません)

一方、下段の昭和の写真ですが、この日、私は一気に“近江鉄道”を
完乗しており、その際の1枚です。
こちらの電車は間違いなくモハ1形で、手前の車両はその「モハ1」です。

昭和54年10月12日の動き。
●米原11:03⇒高宮11:18
●高宮11:20⇒多賀11:24
●多賀11:33⇒高宮11:37
●高宮11:40⇒近江八幡12:18
●近江八幡13:37⇒八日市13:53
●八日市14:02⇒貴生川14:40

※当時の「多賀」駅は、現在の「多賀大社前」です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!