中京テレビ

2011年07月26日 18時00分

近江鉄道の旅(17)釣掛電車は楽しい!

多分、多くの「鉄」の方には『220形』という呼び方が一般的と
思われるのが写真の電車です。
「多賀大社前」から戻るときに巡り合いました。
(スノープロウ付きの226号です)

ただ近江鉄道の時刻表には『221形』とありました。
その“時刻表”の説明には「老朽化した100形の後継車として登場した
1両固定の車両で、現在6両が在籍しています。吊り掛けモーターに
エアサスという台車は全国的にも貴重なものです。」とあります。

この電車に詳しい知人の言葉を借りれば、様々な車両部品を利用して
車体が作られたことで知られているそうで、近江鉄道・彦根工場の
技術力の結晶とも言える存在だそうです。
というよりも、近江鉄道だからこそ生まれた電車とも言え、他の鉄道会社では、
例え大手の鉄道会社でもそうそうはこうした電車は作れないそうです。

ものの例えとして、模型“鉄”の方で、既製の車両を短くしたり、
幅を狭くしたりしつつ、オリジナルの車両を作る人がいますが、
それを本物の電車でやっていると説明されました。
勿論、公共交通機関の車両なので、安全基準等のクリアは当然の事ですが、
模型の改造も、模型を知り尽くしていないと出来ないことと同じで、
近江鉄道の職人さんの知識とアイデア、技術力は賞賛に値し、
それが引き継がれているのが『凄い』のだそうです。

そうした事は、この電車に乗った時点ではまだ知らなかったのですが、
それはともかく驚いたのが、下段写真のブレーキハンドル。
「Wikipedia」によれば『HRD電気指令式ブレーキ』というようですが、
何れにしろ、“エアサス”を含め、驚くべき特色をフル装備した電車で、
たまたま乗れた運の良さに感謝しています。

見て楽しく、(吊り掛け音を)聞いて楽しく、さらに乗って楽しい電車は、
名古屋から1時間の近い場所にいました。

2011年07月26日 9時05分

近江鉄道の旅(16)「多賀大社前駅」の変遷。

昔「多賀駅」、今「多賀大社前駅」。
平成10年に今の「多賀大社前駅」となりました。

上段写真の“多賀大社”の『大鳥居』は以前と変わっていないはずですが、
中段写真の現「多賀大社前駅」(平成23年5月4日)と、
下段写真の「多賀駅」(昭和54年10月12日)では相当の開きがあります。

“多賀大社”は名古屋の人には、あまり馴染みが無いかもしれませんが、
今も多くの参拝客が訪れています。ただその足としてこの鉄道が使われて
いるかと言うと平成の今は『さほどでもない』と言わざるを得ません。

(思い出話し)
私が小学生の低学年の頃、両親が何を思ったのか、その年に限り、ここ「多賀大社」に初詣に出かけました。
まず名古屋から彦根に向かう猛烈に混んだ国鉄の急行電車に乗り、
彦根からも満杯の電車に乗り継ぎ、一体、どこからこんなに人が
集まってきたかと思うほどの人並みの中を「多賀大社」に向かった
記憶があります。
50年ほど前の出来事ですが、未だに覚えているほど強烈な体験だったことは
間違いなさそうです
●国鉄の電車は急行であったことは間違いないのですが、列車名は不明です。
何せ、「鉄」に目覚める前の出来事です。

下段写真でイメージを膨らませてみてください。この小さな駅舎に、
入りきれないほど多くの善男善女が溢れ、そして「鉄道」が人々の
交通手段の主役だった時代があったことを・・・。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!