2011年07月30日 20時23分

三笠鉄道村・三笠鉄道記念館(3)歴史展示室・科学展示室。

昨日の夕方UPした上段写真の手前の建物は機関車の
屋内展示スペースですが、その奥の建物が「歴史展示室(1階)」
「科学展示室(2階)」になっています。

今回の上段写真は、その歴史展示室にある「三笠鉄道記念館」の
シンボル・モニュメント『スチーム・パワー』です。
蒸気機関により車輪が回る様子を表しており、その動く姿は
なかなかダイナミックで、優れものと感じています。

一方、下段写真は「北海道の鉄道のはじまり~幌内鉄道~」という展示の
入り口で、展示内容は正にこの地「三笠」から北海道の鉄道の歴史が
始まった様子が良く分かるようになっています。

そもそも北海道の鉄道は、今の三笠市幌内(ほろない)で発見された
石炭を輸送するため、「幌内」と積出港である“小樽”を結んだ『幌内鉄道』が始まりで、明治13年「手宮(小樽)」~「札幌」間が
開通し、明治15年にはここ「幌内」まで開業しています。

今回、私が訪れた三笠鉄道記念館は正にその「幌内駅」のあった場所にあり、
開通順序はともかく、北海道の鉄道は、ここ「幌内」に
石炭があったからこそと言っても過言ではないと思っています。

因みに写っている人物の後ろの人は、北海道の鉄道建設の中心として
活躍したアメリカ人技師『クロフォード』氏で、
手前の人が幌内地区の石炭の調査を行ったアメリカ人地質学者の
『ライマン』氏です。2人とも幌内鉄道…北海道の鉄道の始まりには
欠かせない方たちです。
※三笠鉄道村の分館の位置づけとなっている「クロフォード公園」の名前は
この『クロフォード』氏に因んだものです。
今回、私はクロフォード公園には行ってはいませんが「キハ80系」の
フル編成が静態保存されていることで知られています。

2011年07月30日 9時01分

三笠鉄道村・三笠鉄道記念館(2)雪かき車・除雪車。

ここ三笠鉄道記念館の展示車両で“特徴”と私が思ったのが
雪かき車・除雪車の充実ぶりです。

上段写真が「DD141」で下段写真は「ジョルダン キ756」ですが、
これ以外にも「ラッセル キ274」「DD1517」
「ロータリー式モーターカー」「排雪モーターカー」が揃っており、
様々な「雪かき車・除雪車」を計6両も堪能できる場所は多分、
他には小樽市総合博物館くらいでしょうが、私は小樽の展示車両を
見ていないので、そのバリエーションまでは分かりません。
ということで、ここに来てこの並びを見た時は、少々感動しました。

何せ名古屋にいては、出動している「雪かき車・除雪車」を見ることはなく、
冬場にどこかに出かけるにしても、やはりその姿を見かける機会は少なく、
特に下段写真の「キ756」という“ジョルダン車”は私の記憶の中には
現存していませんでした。勿論、雑誌等の写真で見かけたことはありますが、
それもいつ見たことやら・・・。

(私の今回の用語の使い方)
●「雪かき車」…自走せず、機関車がないと動けない車両
●「除雪車」…自走して除雪する除雪用ディーゼル機関車



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!