2011年07月31日 18時37分

三笠鉄道村・三笠鉄道記念館(5)静態保存車両の奥の奥に・・・。

鉄道記念館の建物の2階から、旧「幌内駅」の先に繋がっている線路を
見ていたら、下段写真の構内電気機関車を見つけました。

上段写真に写っている「DE10-1702」と貨車群、
そして右側の「排雪モーターカー」の奥に隠れるように展示され、
私の発見が遅れました。
手前の電気機関車が「10号」(昭和59年製)で
後ろに「2号」(昭和23年製)がいます。
製造年は説明の看板によるものですが、ヘッドライトとパンタグラフを
除けば本当に似ており、30有余年の年齢(?)差を殆ど感じない
不思議な印象の機関車達でした。
ナロー好きの私としては、ただ眺めているだけで「うっとり」だったことを
ここに書きます。

また走っていた場所については、「太平洋炭鉱構内で活躍」とあり、
もしそうであれば現在の「釧路コールマイン」(2010年3月1日~UP)
で走っていたのだと思うのですが、一方、「北興鉱業株式会社」から
寄贈とあり、それを手がかりにしようかとも思ったのですが、
その社名は検索ではヒットしませんでした。
ここからは私の憶測で、もしも詳しい方がいらっしゃったら
教えて欲しいのですが・・・、
●釧路の「太平洋炭鉱」で働いていた。
●走っていたのは鉱外軌道。
●釧路市内の「太平洋炭鉱」のナローは、現在とは違い、
市内にも石炭を輸送する線路があったので、そこを中心に運用されていた。

もっともそんなことは『「三笠鉄道記念館」の方に聞けば直ぐに
分かるでしょう…』と言われそうですが、残念ながら今回の訪問時は
時間切れとなってしまいました。
(一方で「釧路臨港鉄道の会」の方に聞けば済む話しでもありますが…)

それにしても610ミリのゲージには惚れ惚れします。

2011年07月31日 8時09分

三笠鉄道村・三笠鉄道記念館(4)展示物あれこれ。

ここで1つ、正直に告白をしなければならないことがあります。

実はこの三笠鉄道記念館の見学は、屋外の静態保存車両も屋内の展示物も、
はっきり言って三笠鉄道村『SL機関士体験クラブ』の「運転体験」前の
“暇つぶし”のつもりでした。

それで、10時半からの学科講習の前に1時間もあれば十分だろうと思い、
まあ折角来ているのだし、ただバスの本数が無いので、
開館と同時にこの記念館に足を踏み入れざるを得なかったというのが
見学前の偽らざる心境でした。

それにここ「三笠鉄道記念館」のある場所が、旧「幌内駅」そのものであり、
この地があったことから北海道の鉄道が始まったことなぞは、
ここの展示物を見てから知ったわけで、
事前準備をしないで“とりあえず” 出かけ、
出かけてから全てを考えるという私の悪い習性がそのまま出てしまいました。
※今回は、大きな4つの目的を『回る』スケジュールは
きっちり組み立てましたが、それ以外は相変わらずの無防備でした。

今回の写真は、この記念館に多種多様な展示物があることを知ってもらおうと
UPした2枚ですが、はっきり言ってここの展示物は想像以上の充実ぶりで、
何故私はここに「SL運転体験」だけで来ようとしたのか、反省する羽目に
なりました。

北海道の「鉄」巡りをするならば、ここ三笠鉄道村・三笠鉄道記念館訪問は
私のお勧めです。
そして極めて個人的な話しですが、「鉄道趣味」一筋でやってきた私に、
『「鉄の神様」が北海道の「鉄道の聖地」に導いてくれた』
そんな気にさえなっていました。(書いていて少し恥ずかしい・・・)



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!