2011年07月21日 18時09分

近江鉄道の旅(8)貴生川駅から「快速」に乗車。

さて、名古屋から貴生川までの乗車列車の設定には理由がありました。
それは「貴生川」発11:02、「米原」着12:17の“快速列車”に
乗ることです。
で、乗車の前にまずは乗車券の購入。
近江鉄道「貴生川駅」(上段写真)の出札窓口では、
楽しそうな会話で明るい笑い声を響かせていた若い女性のグループが、
乗車券を購入するのに思いのほか手間取って(とまどって?)いました。
理由は、土・日・祝日限定の「SSフリーきっぷ」の存在。
私も今回、それを購入したのですが、なんとその金額は『550円』!
何せ、「近江鉄道全線1日乗り放題+沿線各地で割引サービス」での
価格なのです。
しかもそれは、ここ「貴生川駅」起点なら「八日市」まで
片道乗るより安いのです。(「貴生川」⇒「八日市」740円)

とまあそれはそれとして下段写真が快速電車です。
1日1本だけの片道『快速』で、平日は八日市線にも片道『快速』が
1本あるのですが、土・日・祝日ではこれ1本!だけ。
はっきり言って狙っていました!この電車に乗ることを。
その詳しい理由は又の機会に・・・。

車両は「近江鉄道」の主力である800形の『805+1805』で、
平成になってからの登場のため、私にとっては“初”の乗車なのですが、
実際には昭和の「西武鉄道」時代に何度も乗っていたお馴染みさんでは
ありました。

2011年07月21日 8時03分

近江鉄道の旅(7)柘植~貴生川の印象。

「柘植駅」から「近江鉄道」との乗換駅までは、JR西日本の既に
古豪の域に達しているといっても過言ではない「113系」で、
写真の草津方先頭車は「クハ111-7755」です。
上段の写真がそれで、柘植駅停車中です。
113系は、最近あまり乗っていないこともあり、ちょっと嬉しかったです。

駅の外やホームで写真を撮っているうちに5349Mの出発時間
10:31となり、車中の人となりました。
この電車も座れないことは無かったのですが、ほぼ満席に近い状態でした。
●参考までに、2両目・3両目は湘南色でした。
JR西日本では、これが通常なのかどうかは、私の知識の外です。ご容赦を。

柘植駅からわずか17分、10:48に「貴生川駅」(下段写真)に
到着です。「近江鉄道」への乗り継ぎに少し時間があったので、
改札を出て駅舎の写真を撮影しました。
すっかり近代的な橋上駅となっており、乗降客も多く、
実は、草津線の電化の話しが出た時、私のイメージは郊外のローカル線で、
どうしてわざわざ電化をするのだろうと思ったほどでしたが、
実際にこの線とこの駅を利用して納得しました。

また信楽高原鐵道へのJRからの乗り換えには改札も無く、
今回は写真をUPしませんが、停車中の「SKR312+2両」の
3両編成を撮影しています。
多分、信楽高原鐵道の3両編成は珍しいのでは?

2011年07月20日 18時21分

近江鉄道の旅(6)加太トンネルを通って柘植駅へ。

上段写真は、関西本線「加太越え」のサミット、『加太トンネル』です。

蒸気機関車全盛の時代、このトンネルを頂点に、加太駅側と柘植駅側の
両方に25パーミルの勾配があり、先々回の「加太の大築堤」が、
加太駅を出た列車の撮影名所なら、柘植駅から出発した列車の撮影ポイントは
下段写真の柘植駅でした。(但し、私にとってです)
柘植駅を出発した列車は、この駅構内から既に全力運転で、その姿は
未だに私の瞼に焼き付いて離れません。
(昨年3月12日にその写真をUPしています)

蒸気機関車の機関士さん、機関助士さんたちを苦しめた峠道も今や昔、
しかも国鉄ではなくJRとなり、名古屋からの直通列車も無くなって
しまいました。

そんな感傷に浸りつつ10:20、加太峠を越えたDCは柘植駅に
到着しました。
最後に架線の張られた駅構内が、とても不思議な空間に見えたことを
敢えてここに書かせていただきます。

2011年07月20日 8時07分

近江鉄道の旅(5)中在家信号所を通過。

前回の『加太の大築堤』に向かう方法は2種類。
一つは「加太駅」で下車して歩くか、「加太駅」~「柘植駅」間にあった
写真の『中在家信号所』で下車して歩くかの選択でした。

確かに信号所なのですが、昭和40年代、ここでは客扱いをしており、
高校生の私も確か1回だけここを利用しています。
下段写真で、右側にある短いホームでの乗降で、こんなところから
乗降してよいかと思ったほどでした。
そして、そのホームの右側に、(記憶間違いでなければ)信号所の建物があり、
タブレット扱いをしていました。
最近、この線を通ったことは全くなく、それよりも、前回この線に乗ったのが
いつかが全く思い出せない状況で、知らぬ間にお馴染みの建物が無くなるのは
寂しくもありますが、これも時代の流れで郷愁にひたるには、
そもそももう少し私がここを通っている必要があったでしょう。

因みにもう一つの蒸気機関車撮影の名所だった岡山県の伯備線「布原信号所」は
昭和62年の国鉄民営化により“駅”となりましたが、
ここ『中在家信号所』は、“信号所”のままです。
ただ“信号所”に詰める人も無くなり、時代の流れを感じます。
※線路は撤去されてはいませんが、使われている形跡はなく、列車が交換することも停車することもない「休止」のようでした。

ところで昭和の時代、ここ『中在家信号所』に停車する各駅停車は、
基本、キハ35形で、何でこんな山の中で3扉ロングシートに
乗らなければならないのかと思いつつ、関西線だからしょうがないと
諦めていました。

2011年07月19日 18時55分

桜通線「鶴里駅」のホーム柵稼動!

先週末の金曜日(7月15日)、いよいよ翌日(7月16日)から
桜通線鶴里駅の『可動式ホーム柵』が動き始めるとあって上段写真を撮影。

そして本日(7月19日)、稼動しているのを確認しました。(下段写真)
これで桜通線の『可動式ホーム柵』未設置駅は残すところ「野並駅」のみ。

と言ってももう“稼動を待つばかり”というのが正しい表現でしょう。
普段、土・日に地下鉄に乗ることはあまり無いのですが、
今週の土曜日(7月23日)だけは桜通線『可動式ホーム柵』全駅設置記念として見に行く予定です。
まあ、だから何なんだと言うことではありますが…。
やはり名古屋市民として、軌道への転落事故防止であったり、車両との接触事故がこれで未然に防げることになるのは間違いないわけですから、その第一歩を見ておこうと思う次第です。

またこのホーム柵の設置工事の間、ホームでいつも“見張り”をしていた
警備員の姿も今週一杯で見納めとなります。
※知らない方も多いと思いますが、上段写真で言えば、開口部の左側に
1名の警備員がいて、実は上下線1名ずつ、計2名が電車の営業時間中、
立ち続けていました。

こうして桜通線の『可動式ホーム柵』の話題を書くのも今週末限り。
少し寂しい気もしています。

2011年07月19日 8時08分

7月14日の北海道(番外編)トレイン“ビュー”ホテル。

7月13日(水)は、帯広駅すぐ隣に立地する「JRイン帯広」に
宿泊していました。

宿泊した部屋は、特にリクエストした訳ではありませんでしたが、
何故か『嬉しい』トレイン“ビュー”の部屋でした。(9階です)

窓から見える根室本線は、この写真のサイズでほぼ目一杯ですから、
それほど変化に富んだ写真が撮れるということではありません。
ただこの日は、結構強い雨が降っていたのですが、
窓ガラスの上方にはあまり雨は当たらず、レンズの置き場所を工夫すれば、
窓を打つ雨を避けての撮影が可能です。

写真は上から、
1)「スーパーおおぞら4号」(釧路発札幌行き、9:11頃撮影)
2)「スーパーおおぞら1号」(札幌発釧路行、9:21頃撮影)
3)「高速貨物」(釧路行、7:57頃撮影)

実は7:30頃から帯広駅を出入りする列車を部屋からズーっと
撮影していました。
ところで、上段写真の「スーパーおおぞら4号」ですが、
歴史に『もしも』という仮定は無い!というのは承知の上で
書かせておらいますが、私がこの列車に乗っていれば、
雨による“抑止”には出くわさず、トマムへ抜けられました。
そうなんです。この後続の「スーパーおおぞら6号」から止まったんです。

悔し紛れにこんなことを書いているわけではなく、最近のJR北海道では、
トンネル火災だけではなく、車両故障による運休が続発と聞きました。
(16日の土曜日も特急が1本、運休)

それゆえ、新千歳から飛行機に乗り継ぐ根室本線からの利用者の中には、
間に合うはずの列車ぎりぎりではなく、1~2本余裕をみて移動する人も
いるのではなどと「鉄道不信」に陥っていた私は、とりあえず札幌へ抜けて、
そこで時間調整して空港に向かうことも考えていたのです。

でも私はやはり「鉄」として「鉄道」を信じたいと思い、
「スーパーとかち4号」を選びました。
それが、車両故障ならぬ天災とはJR北海道は『ツキ』にも見放されている気が
しました。
※根室本線の特急は結構混んでいます。車両火災で1編成を失い、
そのため車両のやり繰りが厳しく、減車しているのがその理由です。

2011年07月18日 19時57分

7月14日の北海道(7)2時間29分遅れで「南千歳」到着。

2時間30分遅れの16:02。
何とか「南千歳」駅に到着。
「新千歳空港」行き(16:13発)に乗り換えました。

なお、スカイマークの便変更に必要な『遅延証明』を「新千歳空港駅」で
もらいつつ、乗車券を記念に貰いました。
まあ、ここまでくれば「鉄」としてとるべき道を進むだけでした。

でも、ショックなことが「南千歳」「新千歳空港」でありました。

1)後続の「スーパーおおぞら8号」は、「スーパーとかち4号」から
遅れることわずか9分。16:11に「南千歳」に到着。
1時間26分の遅れでした。

2)『「乗車券」を記念に下さい』と「新千歳空港駅」の駅員さんに
お願いしたら、「乗車券」と「2260円」を手渡されました。
2時間以上の遅延のため、特急券は払い戻しのため没収されてしまった
のです。『払い戻しより「特急券」』とはとても言い出せませんでした。

3)電車を降りてとりあえずスカイマークのカウンターへ。
JRの『遅延証明』を提出し、「前割」購入チケットの便変更を
“追加負担無し”でしてもらいました。(「前割」でも、
そうした変更が出来ることを今回、初めて知りました)

で、ふと目の前の案内表示を見たら、スカイマーク766便は
出発が遅れており、15:30発⇒16:15発となっていました。
私がカウンターの到着した16:20頃は更に遅れ、正にその時間に
搭乗案内中!だそうで「あと10分早くおいで頂ければ
間に合いましたね。」とのこと。
それを聞いた時、私はショックで立っているのがやっと。
そして心は完全に折れました。お察しください。

まあ、「帰れるだけでも幸せ」だと思うことにし、
それでも手持無沙汰の4時間は本当に長く感じました。

そう言えば、乗車した列車の遅れによる特急券の払い戻しの経験ですが、
あるにはあるのですが、もう思い出せないほど昔の出来事・・・???

こうして7月14日、私にとっての長い一日が終わりました。

2011年07月18日 8時41分

7月14日の北海道(6)「広内信号所」で『2429D』と交換。

午後2時過ぎ、「新得」定刻なら12:05発の
上り「スーパーとかち4号」はおよそ2時間遅れで出発。
※定時ならもう「札幌」に着いている時間。トホホ。

乗って直ぐに私は最後尾1号車の『展望室』へ移動。
交換列車の状況を確認しました。
※最前部は立入禁止ですが最後部は入れます。

14:20頃、まず「西新得信号所」で下り「スーパーとかち3号」と交換。
(定時の「新得」着発12:23)

続いて14:36。「広内信号所」で、
上段写真の日本一長い距離を走る鈍行2429D
(定時の「新得」着12:46)と交換。
と、思いきや少し通り過ぎたら中段写真のように、
下り「スーパーおおぞら5号」(定時の「新得」着発13;46)とも
交換。ここ、広内信号所の機能をフルにいかしての2429Dの
追い抜きですが、ただ、こうして更に2429Dは遅れていくのかと思うと
少し心が痛みました。日本一の長時間運転の普通列車は一体、
何時に「釧路」に着いたのでしょう???(定刻なら17:39)
これほど嬉しくない『日本記録』の更新はありません。
乗車していた方には「同情申し上げます」という言葉しか
見つかりませんでしたが、逆に「同情するなら飲み物と食べ物を!」と
言われそうな気がしました。

更に14:42。下段写真の「新狩勝信号所」では(多分)帯広行き
高速貨物とも交換。
この後、新狩勝トンネル内の「上落合信号所」(14:45に通過。
交換列車無し)まで確認して自席に戻りました。

ところで速度制限ですが「広内信号所」までが25キロ運転で、
そこからはそれまでと打って変わり『突っ走る』という言葉が
相応しい状況となりました。
何と、信号所に入った途端にスピードがUPし、
抜ける頃には100キロ超と思われ、その加速力は驚きでした。
※「新得駅」に掲示された運転見合わせ区間の「広内」~「新狩勝」間は
結局、全速力での運転で、察するに、運転を見合わせた区間の点検を
優先させたと言うことでしょう。

さて、時速25キロの狩勝越えは、「旧線」時代の蒸気機関車の走りを
髣髴(ほうふつ)させてくれたと言うか、まあそんな感じなのでしょうが、
正直、2度と経験したくありません。

(おまけ)どうでも良いことですが、時速25キロでも
「振り子」が効いています。(絶対に気のせいではない!!!)
不思議な乗り心地でした。

2011年07月17日 18時34分

7月14日の北海道(5)時速25キロの世界。

平成23年7月14日の13時過ぎ、スカイマークの766便(新千歳発15:30)をすっぱり諦め、スカイマークに連絡。
JRの「遅延証明」があれば、そのままの料金で後続便に乗れるということで
即!手配。

とにかく列車さえ動けば最終の770便(新千歳発20:00)には
乗れるだろうと思いつつ、ひたすら我慢の時間を過ごす内に
運転見合わせは解除され、まずは下りの3427D「快速狩勝
(旭川発帯広行き)」が、2時間33分遅れて13:17「新得」に
到着しました。(定刻では10:44)

ただ新得周辺の25キロ制限は解除されておらず、ゆっくり入ってきて
ゆっくり立ち去っていきました。

そして、更に待つこと30分少々。13:53になってやっと「スーパーとかち4号」の前照灯(希望の光)が見え始めました。
しかし、時速25キロではその希望もなかなか近づいてくれまえん。
因みに最上段の写真は13:56、中段・下段が13:57、
列車がホームに止まる頃には13:58になっていました。

交換の下り特急は、「新得」定刻11:07の「スーパーおおぞら3号」
(「釧路」行き)で、2時間50分遅れての到着でした。

参考までに、この「スーパーおおぞら3号」には、たまたま昨日
コメントを書き込んでくれました『鉄ネット・タカ」さんが乗車してことを、
タカさんのツイッターで知りました。一部抜粋すると…。

*トマムに停車して50分、動く気配無し・・・。
*車内アナウンスで、トマム〜新得間の線路点検を実施中とのこと。
終了見込は12:40過ぎとか…。こりゃ2時間以上遅れるな…。
*新狩勝信号場から徐行運転に。新得までだと相当時間かかりそう…
*2時間50分遅れで新得到着。皆さんお腹減りまくりなのか、・・・。

新得駅で行き違った私には、その状況が手に取るように分かりました。

『鉄ネット・タカ』さんは、釧路在住の「撮り鉄」さんで、
「東北海道鉄道撮影地ガイド+鉄音」という強力なHPを開設されています。
今回のタカさんのツイッターには、労苦を共にしたという不思議な
『連帯感』を覚えました。

2011年07月17日 9時08分

7月14日の北海道(4)あきらめて「新得そば」。

「新得抑止予定」とあった「スーパーとかち4号」が、その時点でまだ
『帯広』駅にいるアナウンスが入り、一気に見通しが暗くなり、
どう頑張っても運命の分かれ目である、13時に到着する可能性が
一気に減って、とりあえず当初のも目的であった「駅そば」を
食べることにしました。

注文したのは『かしわそば』。『かけそば』に50円プラスした
370円でした。
「新得」という町は“そば”の産地で知られており、
この店はその“そば”のお店を町内で構える「せきぐち」の
『分店』とのことで、『手打ち』の本物だそうですが、私の胃は
残念ながら、これから考えられる最悪の事態が気になり、若干縮み気味で
「じっくり味わう」余裕はありませんでした。
というより喉越しを楽しむ(と言われる)“そば”の通りもよく
ありませんでした。
※話しがずれますが、そもそも“そば”の『喉越し』という表現は
私にはよく分かりません。

黒目で太い麺はあまり見慣れないパターンです。
鶏肉を「かしわ」というのは、名古屋とか九州ではよくありますが、
「かしわ」というには何か理由があるのかも思い注文しました。
気のせいかも知れませんが、歯応えと肉そのものの味を感じました。

やはり食事は「楽しく」が基本で、こんな状態では、きっと何を食べても
味わうことは難しかったでしょう。

参考までに、私がこの駅にいた2時間少々で、お昼時だったにも関わらず、
この“駅そば”を食べたのは私だけでした。
実は、結構駅に来る人はいたのですが、『JRが止まっていて運転再開の
目処がたたない』こともあってか、直ぐに出て行く人も多く、
“駅そば”にも影響があったかのように見受けられました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!