2011年07月11日 18時38分

東京モノレール(3)“撮り鉄”気分。

「羽田空港第2ビル駅」発14:11の区間快速に乗り、
「羽田空港国際線ビル駅」着14:17。
最後尾に乗ってきて、ホームでふと振り返ったら思いのほか良い風景が
目に飛び込んできました。

そこで後続の普通列車をパチリ。ちょっとした“撮り鉄”気分に
浸ってみました。

まあ、写真の出来はともかく、モノレールの向こうに見える巨大な建物が
気になって仕方がありません。
一体、何なのでしょう?「ご存じの方がいたら教えてください。
ちょっと気になっています。」と、ここまで書いて、
ひょっとしたらと思って「東京湾アクアライン」を検索しました。
結果は…、「風の塔(川崎人工島)」でした。ついさっき、
この下を通ってきたばかりでした。
中には巨大な送風機と排風機があり、東京湾アクアラインの命綱と
言っても良い存在でした。(参考:鹿島建設株式会社HP)

ところで、この写真を撮影した「浜松町」方面行のホームですが、
どうやら“撮り鉄”定番スポットの様で、私以外にも2人ほどの
“撮り鉄”風の方を見かけました。

撮っていて気がついたこと。当たり前なのですが、電柱が無いのは、
やはり景観がすっきりしていて気持ちが良いですね。

2011年07月11日 8時05分

東京モノレール(2)1000形に乗車。

東京モノレールは会社設立~昭和39年の開業、
そして翌昭和40年まで名古屋鉄道が資本参加していたことで
知られています。

私が中京テレビに入社後、昭和50年代後半だったと思いますが、
取材で知り合った名古屋鉄道の社員の方から、「東京モノレールから
撤退したのは今考えれば勿体無かった」と聞く一方、
開業当時「東京に名鉄が乗り込んできた」と鉄道業界で話題になったとも
聞きました。

この東京モノレールは今やJR東日本の傘下。「名鉄の撤退は理由が
あってのことでしょうが、もしも撤退していなかったら…、と今回、
『1084』を見ながら思っていました」等と言うのは戯言で、
前段はその通りなのですが、「羽田空港第2ビル駅」で『1084』を見て
思っていたことは別にあります。

それが今回、東京モノレールに乗る気になった理由なのですが・・・。

別に1000形でなくても良いのですが、
「“モノレール”が“モノレール”を追い抜くところを見てみたい。」と言う
他愛もないことが私の『本音』です。

生まれて初めて東京モノレールに乗った時、「浜松町」の駅で、
ポイントというにはあまりに巨大すぎる“コンクリートの塊”が
動く姿に妙に感動した覚えがあり、それが途中駅でも常時動くようになると
鉄道誌の記事で知った時、「空港快速」に乗って、「普通列車」を
追い越したいと真剣に思ったのです。
因みにこの「1084」は普通ならぬ区間快速で、途中の追い抜きは
ありません。

(余談)
先頭車にヘッドマークのようについている『TMR』のロゴマークですが、
最初にこれを見た時、『JNR』(国鉄のロゴマーク)に
見間違えたかと思いました。私だけ???

2011年07月10日 18時26分

東京モノレール(1)「五井」から羽田空港へ。

先回までの「房総半島横断」(乗車日は6月3日)の翌日「小湊鐵道」の
運転体験に参加(6月4日)。

それを終え、東京モノレールの「羽田空港国際線ビル駅」開業に伴う、
路線の変更区間を遅まきながら乗りに行きました。
私の“通常”の行動パターンでは、どんな理由があるにしろ、
『変更区間』を乗りに行くことは、“めったに”どころか殆どありませんが、
今回はたまたま気が向いたので向かうことにしたものです。

その理由が上段の「五井駅」発「羽田空港」行き高速バスの存在。
6月3日に宿泊した「五井駅」近くのビジネスホテルのフロントで
そのパンフレットを見て、「へーっ、そんな路線があるんだ」と思い、
だったら『東京モノレールに直行じゃん』と単純に考え、高速バスを使った
“鉄の抜け道”を辿ることにしました。

五井駅発13:15の小湊鐵道バスで、国内線(2)には
定刻の14:02から1~2分の遅れで到着。その所要時間約50分!
JRで東京湾を一周していたら気の遠くなるような時間がかかりますが、
東京湾アクアライン経由ならあっと言う間に到着。とはいうものの
鉄道を利用しなかったことは「御免なさい」です。でも小湊鐵道バスに乗ったことでお許しを!

さてバスに乗っていたら、小湊鐵道の線路が見え始めたので、
慌ててカバンからカメラを出して一枚。
「素晴らしい状況判断ですね」と自画自賛。
それにしてもとても「首都圏」の風景とは思えません。
この田園風景を見ていると心は安らぎます。

2011年07月10日 8時05分

房総半島横断(20)「小湊鐵道」というより国鉄~JR「五井駅」。

五井駅の東口です。上段が現在の姿で、中段が昭和54年、
下段がその当時五井駅で売っていた“硬券”の入場券です。今や昔ですね。

ところで五井駅の東口の駅舎は、30年前の今も同じで、
自分で言うのも何ですが、少々驚きました。
ただ、大きな違いもあり、中段写真の大きなガラスの入ったところは、
今は長大な歩道橋の起点となっており、そういう意味では
“同じ”ではありません。

まあ、定点観測というほどではありませんが、30年の年月の流れを
感じてもらえればと古い写真を出しました。

2011年07月09日 19時23分

房総半島横断(19)「小湊鐵道五井駅」到着。

6月3日、18:37。夕闇が迫る五井駅に定時に到着。
房総半島を横断する3時間20分の旅が終わりました。

「いすみ鉄道」は「大多喜駅」を除く全駅が無人で、ワンマン運転。
一方、「小湊鐵道」は「上総牛久」~「五井」間がほぼ有人駅で、
列車には車掌さんが乗っている。
経営的な苦しさは同様でしょうか、好対照と言えば、
その経営合理化の考え方は両極に思えました。

「小湊鐵道」はここ五井駅から上総牛久駅の間が無ければ、
もっと窮地にたっていることは容易に理解できます。

とまあ、今回の「房総半島横断の旅」は少々、難しい話しが多くなって
申し訳ありませんでした。

ここで少し、ちゃんとした話しを一つ。
「小湊鐵道」の車両はキハ200形だけで、一見面白みがなさそうに思えます。
ところが何せ昭和36年から昭和52年まで16年がかりでの増備だけあって
微妙に違うところがあります。
例えばドアや窓ですが、行き交う車両や五井の車庫で、
そんなところを見付けるのは、この鉄道の楽しみ方の“王道”に思えました。

2011年07月09日 8時24分

房総半島横断(18)「上総牛久駅」で交換。

私の乗った44列車は、17:56に「上総牛久駅」に到着。
ここで37列車「上総牛久」発17:57「上総中野」行きと交換。
(上段写真の向かってくる列車が37列車です。)

「上総中野」~「上総牛久」間、22.7キロを1閉塞で来て、
やっと辿り着いた駅らしい駅で、44列車にも活気があふれ、
37列車からは学生を中心に多くの乗客が降り立ちました。
そして44列車から“スタフ”を受け取った駅の方が、
37列車に“タブレット”を持って走って行きました。
(下段写真の真ん中に駅の方が写っています)

ところでこのタイミングで書くのも何ですが、それは「小湊鐵道」の
線路の状態です。
「上総中野」から「養老渓谷」間の線路の状態は、「小湊鐵道」で頑張って
働いている職員の方には申し訳ありませんが“乗り心地”は決して良いとは
言えません。

というのもまずは「いすみ鉄道」から乗り継いで、「小湊鐵道」に乗った途端、
いきなり上下左右への動揺を感じました。安全上の問題は無いにしろ、
まあ、軽量級かつ短尺レールゆえ、また、枕木間隔も広く、
昔聞いたことのある蒸気機関車で言えばC12かC56の走る
“簡易線”という言葉を思い出したほどです。

で、「養老渓谷」を出発するとそれが一気に改善と思いきや、
「上総牛久」からは、“打って変わって”と言いたくなるほど
またまた乗り心地が良くなります。
1本の線で、これほど差が出た経験は、記憶の中ではありません。

20キロを超える距離が1閉塞の区間を持っている根っからの民営鉄道は
他に例があるのでしょうか?
乗り心地は路盤の強化、線路の重量化や長尺化で解決できることですが、
それは望めぬ注文であろうことは容易に察することができ、
またその経営状況を切実に感じた瞬間です。

PS)何事も無ければ、今日から名古屋市営地下鉄桜通線「桜本町駅」の
“可動式ホーム柵”が稼働しているはずです。

2011年07月08日 18時18分

房総半島横断(17)「小湊鐵道」はタブレット閉塞???

上総中野駅発17:15、五井行きの44列車(キハ207)に乗り込み、
当然のように一番前の“かぶりつき”の席に着きました。
で、目に入ったのがタブレット。

以前は、「上総中野」~「上総牛久」間にも「養老渓谷駅」や
「里見駅」と言った交換可能駅がありましたが、
今や同区間に交換可能駅はないため、スタフ閉塞となっています。
が、スタフではなく、それまで使っていた“タブレット”を
代用(?)で使っていました。
もっとも“スタフ”は“スタフ”として使えればよいので、
私の“スタフ”のイメージである『棒状』のモノは
既に過去の遺物なのでしょう。
長良川鉄道の「美濃白鳥」~「北濃」間も同じですね。

それはさておき、“タブレット”って、何かいい感じですよね。
私は、単にノスタルジーとかそんなことではなく、
『やっぱり「鉄道」は人が動かしている』という気にさせてくれる小道具に
見えるのです。勿論、鉄道運行に欠かせない装備であり、
決して『小道具』といった軽い存在では無いことは十分承知は
しているのですが、それでも見ているだけで気分が浮き浮きしてきます。

とここまで書いて・・・、やっぱり『ノスタルジー』であると自覚しました。

2011年07月08日 8時00分

房総半島横断(16)昭和54年の乗車券と入場券。

今回は駅の管轄をしている会社の話しです。
上総中野駅は、今もそうですが「小湊鐵道」が管理しています。
そのため、当時は有人駅であった「上総中野駅」の駅員さんは
「小湊鉄道」の方であり、上段写真の入場券にも「小湊鉄道」の文字が
印刷されています。

一方、下段写真の乗車券の下段にある「上総中野駅発行」の文字の前には
○に囲まれた『社』の文字があることになります。

今年の4月21日に、昭和49年の鹿児島交通・国鉄の共用駅「枕崎駅」は
鹿児島交通の管轄する駅で、国鉄の駅ではなかったと書きましたが、
ここ上総中野も同様となっています。

無人駅になってしまうと、なかなかどちらの会社の駅かは分かりにくいですが、
有人駅であった時代は、このように入場券や乗車券で判断することが
できました。

ところで下段写真の行き先が「安房鴨川」となっている理由ですが、
昭和54年1月15日に、『久留里線』に乗る予定であったためで、
「安房鴨川」からは『日東交通』のバスに乗り、「上総亀山」の駅に
向かいました。

名古屋から房総半島の列車に乗るのは、実際の距離以上に、
心理的な距離が遠く、時刻表を見ながら、まるでパズルを解く気分で、
そのルートを設定した覚えがあります。

2011年07月07日 18時03分

房総半島横断(15)「いすみ鉄道」~「小湊鐵道」の直通運転の可能性は?

今のようにどこにでもビジネスホテルがない時代、
“乗りつぶし”の際の宿泊は、殆どの場合、駅前の『商人宿』
(当時、そういう言葉がまだ生きていた)で、規模は小さいものの
家庭的な雰囲気が残っていました。ただ日本中どこでも予約なしの
飛び込みであったため、この時のように宿泊できない事態はあり得たのですが、
宿の人がどこかしかスペースを作って泊めてくれることが多く、
この「上総中野」は私にとって本当の緊急事態でした。
(昭和54年の移動のまとめ)
●五井発16:46、上総中野着17:57
●上総中野発19:03、大原着20:01

ところで「いすみ鉄道」「小湊鐵道」について書かれたブログを
検索して見ていると、よく登場する“夢”に両鉄道の直通運転があります。
まずは現状分析ですが、上段写真の「いすみ鉄道」の線路は、
下段写真の真ん中の行き止まりの線です。
一方、下段写真の一番右側の線路が「小湊鐵道」で、
上段写真のもう少し「大原」よりで行き止まりとなっています。
一方、下段写真の一番左側の側線は、「いすみ鉄道」~「小湊鐵道」と
繋がっています。

何のために繋がっているかは私には分かりませんが、
繋がった線にはホームが無いものの、この駅を“通過”する列車であれば、
今でも『直通』は可能に見えました。

もしも直通するならば「いすみ鉄道」の「キハ52-125号」が
候補なのでしょうが、鉄道会社を跨ぐ運転となるため、事前の試運転を含め、
経費面のハードルがあるでしょうし、そもそも両鉄道とも1つの閉塞区間が
長いだけに、ダイヤ作成も難しそうです。

ただ、実現すれば、日本中から注目を浴びそうな気もします。
可能性は低いかもしれませんが、私としては気長に待ってみたいと思います。

2011年07月07日 8時06分

房総半島横断(14)「小湊鐵道」との接続駅『上総中野』。

上総中野駅17:09。私の乗った「いすみ鉄道」の列車は定時で到着。
ここから「小湊鐵道」への乗り継ぎですが、この日は平日だったため、
五井と結ぶ列車はたった4往復。
JR以外でこの本数の運転を私は知りません。
それゆえ「デンタルサポート大多喜駅」で一旦降り、
1列車遅らせたわけですが、それはそれとして、ここで上総中野駅の
「思い出」を少々。

まず上段写真は平成23年の姿です。
真ん中も平成の駅名標ですが、接続駅とは言え、異なる鉄道会社の駅名が
1枚の中に表現されており、左方向に「小湊鐵道」の
『ようろうけいこく』の名前が、右方向には「いすみ鉄道」の
『にしはた』の名前があり、昭和の時代に既にそうであったかは
覚えていませんが、国鉄木原線の第3セクター化によるものであれば、
面白いと思いました。

さて、下段写真は昭和54年1月14日の「上総中野」駅です。
改札の向こう側に、「小湊鐵道」のキハ200形が見えています。
この日私は、五井発16:46上総中野着17:57の
列車に乗っていました。本当は、ここ上総中野で1泊し、翌朝、
木原線で大原に向かう予定だったのですが、駅周辺にあった旅館
(確か2軒?)は、何れも土木工事の関係者の宿泊により満室で、
『廊下でも…』と粘ったものの、旅館の方から
『この時間なら五井か大原に行けますよ』と言われ、
“「上総中野」~「大原」”間で想定外の夜間乗車をするはめに
なってしまったのです。(続く)



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!