2011年07月06日 18時04分

房総半島横断(13)「スナフキン」と『注意事項』。

26D「大多喜駅」発16:46上総中野行き『いすみ205号』は
“スナフキン号”でした。
そうっ!私がいわゆる「ムーミン」の中で知っている数少ないキャラクターの
一つです。
車体前面にも「スナフキン」の絵がありましたが、『いすみ207号』の
“ごせんぞさま”と同じ場所に、“スナフキン”の人形がいました。
随分可愛らしい表情ですが、これは“スナフキン”は「旅人」
(ということを知っている私は凄い!ことは無いですね)なので、
こうして列車内にいることはきっと本望だからでしょう。

ところで左の写真は、先回の苦言とは少々事情が異なる“お願い”です。

●お願い…この付近は、右側ミラーで後方を確認するため、小移動を
お願いすることがあります。ご了承ください。

最近のローカル線の車両の運転室は、半室であることも多く、それもあって、
前面の貫通扉の所で前面展望を楽しむことができます。
そこには私のような「鉄」だけではなく、子供連れや学生たちが
運転室横にいる光景をたまに見かけます。

この「お願い」は、駅への到着時、進行方向右側のドアを扱うときは
少し移動をお願いすることもあるというものですが、
私が面白いと思ったのは『小移動』という表現です。
『移動』に『小』をつけた『小移動』という言葉は多分、
辞書には無いはずですが、意味合いはよく伝わります。
私の心が「くすっ」と反応したのでUPしてみました。

タイトルにある「スナフキン」と『注意事項』ですが、
“と”とはあるものの両者に関係はありません。悪しからず・・・。

2011年07月06日 9時00分

房総半島横断(12)車内で見つけた悲しい掲示。

今回の房総半島横断で、悲しい掲示を「いすみ鉄道」と「小湊鐵道」の両方で
見つけました。

この掲示は「鉄道情報誌」でも見かけた記憶がないのですが、
何れも『運転席』にあったもので、写真では読めないと思いますので全文を
掲載します。
●左側の「いすみ鉄道」…『運転の妨げになりますので、運転士にカメラを
向けないで下さい。』
●右側の「小湊鐵道」…『走行中の乗務員室へのカメラ、ビデオ等の撮影は
運転業務に支障がきたす恐れがあり、大変危険です。誠に申し訳ありませんが
ご遠慮ください。』

私はこれほどはっきりした“お断り”をかって見たことがありません。
ようするにそれほど『目に余る行為』が横行しているということでしょうか。
これは何も『鉄ちゃん』がその全ての原因とは思いたくは無いものの、
それでも大多数は『鉄ちゃん』と呼ばれる方たちが行った行為の結果で
あることは否定できないでしょう。

私も車内でシャッターを押すことはしばしばありますが、運転士さんを
被写体とする場合は、やはり一言声をかけます。
これからこの「房総半島横断」シリーズでUPする予定の話題の中にも
運転士さんにご協力頂いた写真もあり、
それは当然ですが、運転士さんの業務に支障がないとまずは私が判断した所で
声をかけさせて頂き、ご了解を得られた範囲内で撮影をしています。

私が心配になったのは、こうした“お断り”が必要になるほど
運転士さんにとって“安全運転の妨害”的な撮影が横行しているとすると、
前回と内容が重なりますが、それこそ鉄道事業者と私たちの
信頼関係が損なわれ、どんどん撮影できる範囲が狭まって
いくのではないかという『危惧』です。

残念ですが、これが現実なのでしょうか・・・。

2011年07月05日 17時56分

房総半島横断(11)「キハ52-125号」のこと。

「キハ52-125号」が『いすみ鉄道』に来た経緯とその運転は、
様々な鉄道情報誌等に出ているので割愛しますが、普段はこの写真のように
車庫の中で休んでいるようです。

ところでこの「キハ52」の写真ですが、私が撮影したのは所謂
“鉄道利用者”が入れるギリギリのところで、車庫の敷地内にほんの数歩
踏み出せれば、もう少しその様子が撮影できるのではと思い、
駅員さんに「あと数歩、車庫敷地内に入ってはいけないでしょうか?」と
尋ねたところ、「絶対に駄目です」ということでその願いは叶いませんでした。
因みに私があと少しと言ったのは、写真の真ん中のフェンスの切れ目の所です。

以前なら、許された範囲だったと思ってはみたものの、
何故そこまで厳しいのか考えてみました。

この「キハ52-125」は、その興しいれから始まり、
塗装変更(大多喜駅構内で作業)、エンジン整備、お披露目撮影会、
公開試運転、4月末からの営業運転と、何かと話題が多く、かつ連続し、
沢山の「マニア」の方が押しかけたそうです。

昨年12月20日の「いすみ鉄道 社長ブログ」には、
『深夜に「キハ52」の問い合わせの電話があり、宿直の社員の業務の妨げ』
とも書かれていました。

ファンの気持ちは“分からないでもない”とは今回は書きません。
やはり自分の逸る(はやる)気持ちを自制し、鉄道会社あっての私たちの
趣味であることを知り、同じ断られるにもせめて“やんわり”と断られる関係で
いたいと思います。

2011年07月05日 8時04分

房総半島横断(10)「いすみ鉄道」の挑戦!ネーミングライツとは?

「いすみ鉄道」では、その公式HPにも出ていますが、
「大多喜駅」の正式名称は「デンタルサポート大多喜」であり、
「久我原駅」は「三育学院大学久我原」です。
残念ながら市販の時刻表では「大多喜」「久我原」での表示ですが…。

ところで「ネーミングライツ」という言葉をご存知でしょうか?
日本語では『命名権』と言い、一般的に知られているのは
新しく見つかった“天体(星)”や動植物の名前を発見者が付けることが
出来るというものですが、その『命名権』の中でも
特に「ネーミングライツ」と言う場合は、施設管理者がスポーツ施設や
文化施設の名前に、特定企業が望む名前を付ける権利を『売る』
“ビジネス”とされています。

名古屋市内で言えば金山駅の直ぐそばにある「名古屋市民会館」は
「中京大学文化市民会館」ですし、JR笠寺駅直近の
「名古屋市総合体育館・レインボーホール」は今や「日本ガイシホール」の
呼び方に慣れてしまっています。
あと、全国レベルで考えても、本当に多種多様の「ネームングライツ」があり、
名古屋市では「歩道橋」の名前も売られています。

一方、地下鉄「名城線八事日赤駅」の『中京テレビ前』というのはこれとは違い、
“駅名下の広告”であり「ネーミングライツ」とは異なります。

それはさておき、「いすみ鉄道」に戻りますが、
「大多喜駅」の名前を買ったのは駅名からも分かるように
「デンタルサポート株式会社(千葉市に本社があります)」であり、
「久我原」は「三育学院大学」です。
参考までに1年3000万円×5年間の資金があれば、
鉄道名の“命名権”も買うことができます。
但し、それは中京テレビが買ったとして“中京テレビ鉄道”になるのではなく
駅名の「ネーミングライツ」からも分かるように
“中京テレビいすみ鉄道”となります。
さて、買う人は現れるのでしょうか?

まあ売れないにしても、「鉄道名売ります!」はもっと全国的に
知られてほしいとは思っています。話題性は十分です。

2011年07月04日 18時12分

桜通線の可動式ホーム柵、「新瑞橋」稼動開始。

地下鉄桜通線「新瑞橋」駅の『可動式ホーム柵』が稼動を始めました。

初日の7月2日と昨日は所用で行くことが出来ず、本日(7月4日)、
通勤の途中で確認しました。

いつの間にか稼動している駅の数の方が多くなっており、改めての感慨は
特にありませんでしたが、私はともかく他の乗客の方々の動きを見ていても
特に、「おっ!」とか「へエー」とかの様子は全く見られませんでした。

やはり「新瑞橋」で下車する「中村区役所」行きの乗客の大半は、
「鳴子北」~「徳重」間からの乗車と思われ、“慣れている”から
“違和感”がないということかもしれません。

それにしても、乗客の全員が『日常』で下車していったのには、
「鉄」としては少々寂しい気持ちになりました。
と、書きながら気付いたのですが、考えてみれば『下車』という行動時には、
『ホーム柵』という存在はあまり気にならず、それを実感するのは
“乗車”の時かも?ということです。

まあ、一般の利用客にとってはどうでも良いことかもしれませんね。
この『ホーム柵』稼動に伴い、所要時間が1~2分伸びても、
気にする人は少ないようですし・・・。

次にこの『ホーム柵』のことを書くのは「野並駅」の稼動開始時、
つまり桜通線の『ホーム柵』完成時を考えていましたが、
ハッキリ言って他の乗客の方々の様子を見ていて、気分が萎えました。
まあ、身近な「鉄」の方達と“完成祝い”という『呑み鉄』の口実にすることは
十分にあり得ますが…。

2011年07月04日 8時28分

房総半島横断(9)「大多喜駅」のムーミン。

「大多喜駅」にも『ムーミン』が一杯です。是非、実際に自分の目で
確かめてください。

ところでどうしていすみ鉄道が『ムーミン』なのでしょう?

私にとって一番分かりやすかった答えは「千葉商工会議所」の
HPの中にありました。
2年前の9月21日にUPされた同商工会議所「販売士会講演会」の
講演録がそれで、講師はいすみ鉄道の鳥塚亮社長でした。

ここでその要約を引用します。

●いすみ鉄道再建のために…
*新たなアイデアは「ムーミン」です。・・・
*・・・登場人物を描いたキャラクター列車を運行します。・・・
*「昭和」や「メルヘン」を好む30代以降の女性をターゲットにして、
いすみ鉄道に乗って頂く仕組みを作りました。・・・
*・・・ムーミンを起用した理由は、大多喜の町には山・花・谷があり・・・
現実の世界にムーミンの谷を作れると考えたのです。

「公募社長らしいアイデア」と一言では片付けられない“夢”と“現実”が
一杯詰まった再建策と言えます。
一体どこをどう考えれば「大多喜」の町が「ムーミン谷」になるのかは、
少々戸惑ってしまいますが、実際にいすみ鉄道に乗って思ったのは、
『常識』の枠をどう外し、外した『常識』をどう“商売”として
成功させるかということです。

いすみ鉄道に棲む『ムーミン』たちが、これからも生き生きとしていて
ほしいと思います。

2011年07月03日 22時58分

房総半島横断(8)大多喜駅に到着。

「大多喜駅」に15:56頃到着。
昭和の時代でもここは木原線の拠点駅で、1往復ではあるものの
折り返し列車もありました。

上段写真は、平成の「大多喜駅」構内で、中段写真は駅前から見た駅舎です。
下段は昭和54年当時の入場券です。昭和54年1月14日、
私の乗った774D(上総中野19:03発大原行き)は
ここ「大多喜駅」で列車交換のため4分ほど停車し、
その時間を利用して買いました。
有人駅とは言え小さな駅であり、しかも夜の7時半頃に入場券を買う
「鉄道マニア」は、きっと駅員さんを驚かせたと、今、思い返しています。

少し分かりにくくて恐縮ですが、今の大多喜駅の駅舎には『時計台』あり、
その上には“風見鶏”がいて、なかなか洒落た外観です。
さすがに本社も車庫も、そして「いすみ鉄道のグッズ売り場」もあって、
『いすみ鉄道』で唯一の“有人駅”だけのことはあります。

ところで何故今回「大多喜駅」で下車したかということですが、
単に「いすみ鉄道」から「小湊鐵道」への接続の問題で、
私が乗ってきた23Dでもその1本あとの25D
(大原発16:14上総中野行き)でも、上総中野から乗る列車は
44列車(上総中野発17:15五井行き)。
さて「大原」「大多喜」「上総中野」のどこで時間を潰そうかと考え、
“どうせなら”ということで選んだのが『いすみ鉄道』の車庫のある
ここ「大多喜駅」でした。

2011年07月03日 8時02分

房総半島横断(7)「いすみ鉄道」名物の信号機。

23D(大原発15:27上総中野行)の車両の前の方に座り、
のんびりした車窓の風景を楽しみ『ボーっ』としていて最初の交換可能駅
「上総東(かずさあずま)駅」で『あれっ?』『まさかね…』と思い、
とりあえず次の交換可能駅「国吉駅」でそれを確かめようと思っていて
待ち構えて撮影した写真がこれ!

ご覧の通り、信号機の位置が異常(?)に低いのです。
ここ「国吉駅」は、列車の停止位置から離れているので“まだしも”ですが、
最初に見た「上総東駅」は、停車中の運転士さんの座り位置からでは、
まるで左下を覗き込むような感じでした。
※本線ではなく、側線の入替信号機を色灯表示にした感じと言った
ところです。

国鉄木原線の時代はタブレット閉塞で腕木式信号機の記憶があり、
特殊自動閉塞は「いすみ鉄道」発足後でしょうが、この背丈の信号機は
いつからあるのでしょう?
また、他の鉄道会社にも同様のものはあるのでしょうか?

参考までに、こうした情報に詳しい知人に確認したところ、
「知る人ぞ知る」存在のようですが、それでも私の「驚愕の発見」
「ひっくり返りそうになった」は、如何にも大袈裟だと
窘たしなめられました。
確かに、「行けば分かる」ことではありますし、沢山の「鉄」が
ここを通っている訳ですから、確かに『何を今更』でした。

ただ、それでも私の感想「驚愕の発見」に変わりはありません。
やはり最初に乗ってから30年以上経過している訳で、
特に第3セクター化された路線は、車両の変化もあるので、
“乗りつぶし”ではなく“乗り『なおし』”も楽しいと感じ始めている
私です。

2011年07月02日 18時29分

房総半島横断(6)“ムーミン列車”に乗車。

さて「いすみ鉄道」と、言えば“ムーミン列車”が運転されていることで
つとに有名です。
今回、久々に房総半島を横断する気になった理由の一つが
「いすみ鉄道」のいたるところに『棲んでいる』と言われる
「ムーミン」であったことは否定しませんではなく、肯定します。

とはいうものの、「ムーミン」は世界的に超有名な存在ではあっても、
私にとっては、アニメも含めあまり熱心に見たことがなく、
精精フィンランドの“どこか”を舞台にしたファンタジーという
レベルの知識です。
ただ、「ムーミン」や「スナフキン」といった登場キャラクターを
知らないわけではありません。つまり、「ムーミン」は私の年代も含め、
それほどまでに日本人に親しまれている存在とは言えそうです。

ただ、「いすみ207号」の前面に描かれた『スニフ』は、
一目で『きっと「ムーミン」の登場人物であろう』とは察しがつくものの、
その名前は「いすみ鉄道」のHPで確認したほどで、それが私のレベルです。

一方、「いすみ207号」の上総中野側の運転室横には左側の写真にある
“ごせんぞさま”(文字通り「ムーミン」の先祖だそうです)が、
どっしりと乗客達を迎えています。
ただ日常的に利用する学生や地元の人にとっては
あまりにも身近すぎる存在ゆえか、私のように『どれどれ』と覗き込み人は
いませんでした。
やはり、定期外利用者で、かつ観光客か「鉄」の人向けなのかもしれません。

2011年07月02日 8時05分

房総半島横断(5)「ようこそいすみ鉄道へ」。

いよいよ「いすみ鉄道」の車輌とご対面。
『ようこそいすみ鉄道へ』の看板は、他の鉄道会社ではあまり見ない
パターンです。
ようは観光地の鉄道の駅前広場や、観光地へのアクセス道路等でよく見かける
「ようこそOOOへ」と同じことなのですが、
例えば新幹線の駅で「ようこそ東海道新幹線へ」等という看板は
見たことが無いわけですが、やはり“ズバリ”鉄道会社名での看板は
異色なのではないでしょうか?
とはいうものの鉄道会社としての取り組みとしては、
こうした細かいところから考えられること、思いつくことを一つずつ
やっていこうという“姿勢”は応援してあげたいです。

さて、停車中の車両は「いすみ207号」。
「いすみ200型」は、形式名は変わったもののご存知のように
昭和63年に「国鉄木原線」から第3セクター『いすみ鉄道』に転換された時に
導入された車両で、樽見鉄道の運転体験で使われているモレラ号
(ハイモ230-314号)とほぼ同じです。

私が乗車した列車は、「大原駅」発15:27の上総中野行きで、
これで車庫のある「デンタルサポート大多喜駅」をまずは目指しました、
車内はロングシートで、やはり居場所が無いというのが感想ですが、
肝心の乗客はそれほど多くなく、様々な経営努力はさておき、
将来の見通しの不透明さはひしひしと伝わってきました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!