2011年08月31日 18時48分

夏の思い出…。

写真は札幌市営地下鉄東西線の8000系で、駅は「円山公園」です。

で、注目は下段写真。
お分かりいただけますでしょうか?窓が開いているのです。
札幌市営地下鉄の車両に冷房車が無かったことを、電車の中で風に吹かれて
思い出しました。
地下鉄電車で、夏に窓からの風を受けながら乗車するなんて一体何年ぶり
だったでしょう。

先週末、私は札幌に出張しており、26日(金)に南北線の
「さっぽろ」から乗車し、「大通公園」で東西線に乗り継ぎ、
ここ「円山公園」まで行きました。写真はその帰路に撮影したものです。
(今年2回目の北海道です。今回は仕事!です)

そもそも現時点で名古屋市内で冷房の無い車両に乗ることはありません。
名古屋から一番近い非冷房車が走る鉄道は三岐鉄道の北勢線です。
日常的に利用されている方には申し訳ありませんが非冷房車は
そのような存在になってしまいました。

私の記憶違いでなければ名古屋市営地下鉄の車両が全車冷房化されて
10年以上の月日が経っています。
夏に札幌市営地下鉄に乗らなければ絶対に気付かなかった
『地下鉄の中で受ける“風”』の印象ですが、思いの他爽やかでした。
札幌市民にとっては日常の出来事なのでしょうが、こういうことで
感動している私は『何者』でしょう?

今年の夏の思い出が一つ増えた気分です。

2011年08月31日 8時08分

釧路行き鈍行2429Dの旅(21)スーパーおおぞら5号に抜かれる。

2429Dの帯広着は14:10。ここで14分停車し、
出発は14:24です。
その停車中の間に4005D「スーパーおおぞら5号」に抜かれます。
(帯広着14:13、発は14:14)
※写真は帯広駅ホームで、右側に停車中なのが2429Dで、
左側が「スーパーおおぞら5号」です。

2429Dが後続の列車に抜かれるのはこの列車の1本のみで、
ここから釧路まで後続の特急から逃げ切ります。と言っても次の
「おおぞら7号」の帯広発は16:39なのでたっぷり2時間25分の時間が
あります。
ただ、釧路到着時点では35分までその差を詰められますから、
128.3キロで1時間40分の所要時間の違いがあることになります。
如何にも2429Dの鈍足ぶりが伺われると言うか、言い換えれば
「スーパーおおぞら」が早いとも言えます。
流石に車体の『FURICO』の文字は伊達ではありません。

さて、私は帯広駅で水分の補給をしました。ホーム上に飲料の自動販売機を
見つけたのです。
ここまでの途中駅では少なくとも余裕を持って何か買う時間や、
そもそも売っている自販機やKIOSKがホームにあるかどうかという
問題もあり、この列車では富良野からここ帯広までの3時間は
“無い”と言っても過言ではありません。
但し、あくまでも私の調べなので当てになるかどうかまでの自信は
ありませんが・・・。それでも「外れ」ということも無いと思います。

2011年08月30日 18時43分

釧路行き鈍行2429Dの旅(20)貨物駅で何故か停車!?

2429Dが何故か「西帯広」~「柏林台」間で停車。目の前に「帯広貨物駅」の駅名標がありました。
まあ要するに「貨物駅」の場所で停車したわけです。
※駅名標が小さく、見づらいですがご容赦を。雰囲気を伝えるべく
トリミングをしませんでした。

特段ここで貨物と交換する様子もなく、停車した理由はその時は
分かりませんでしたが、駅名標はJR貨物のもので、「帯広貨物駅」の
名前の下にある次駅の名前が右方向に「札幌ターミナル駅」、
左方向に「釧路貨物駅」となっており、多分、(正式な)駅名標に
書かれた駅名では日本でもっとも遠い隣駅ではないでしょうか?

というより、JR貨物の各駅にこうした駅名標は必ず存在するのでしょうか?
それともJR貨物がこの3月に一部の駅名を変更しており、
「釧路貨物駅」も「新富士駅」からその名を変えており、それをきっかけに
この「帯広貨物駅」だけに作ったものなのでしょうか?
少なくとも乗客にはあまり必要とは思えない情報だけに、頭に中に
「?」マークが幾つも連なりました。
ただ確実に言えそうなのは、ここに停車する列車の乗客の目には
止まるのでしょうが、特急の乗客が気付くのは難しそうと言うことです。

まあ今回は駅名標の存在が一番の興味だったのですが、ここで停車したのは、
「帯広貨物駅」に隣接してJR北海道の「帯広運転所」があることが
その理由で、これは『釧路臨港鉄道の会』の方から教えていただきました。
で、ここに停車するのは「乗務員が交代する」もしくは「添乗の
乗務員がいて、その人をここから運転所に戻す行程になっている」の
どちらかだそうです。

2429Dの旅は本当に奥が深い。

2011年08月30日 8時02分

釧路行き鈍行2429Dの旅(19)西帯広で2524Dと交換。

8回目の交換は西帯広駅。
13:53頃に到着し、2524D(釧路発新得行き)と交換しました。
(写真左奥に停まっている車両)
2429Dは定刻13:59発で、2524Dの到着を待って
直ぐの出発となりましたが、2524Dはこれから14:09まで
10分ほどここに停車し、4005D「スーパーおおぞら5号」
札幌発釧路行きと交換です。

単線ゆえ交換待ちの時間は致し方ありませんが、「スーパー」系の
特急の誕生により、スピードアップが無理な普通列車の所要時間に
シワ寄せが来ているのではと、この駅に到着する頃になると考えていました。
ただし優先順位を考えれば、この状況を否定する気はありません。

ところでこの写真、一見したところ少々違和感があります。
それは上り列車が左側に見えること。
別に何てことはない種明かしですが、実は、西帯広駅の出発直後に、
列車最後尾の貫通扉の窓から撮影したものです。その証拠に、
画面右上に2429Dの停まっていたホームが見えます。

(余談)
この西帯広駅では左側に見えている線が、“一線スルー”になっています。
副本線のある『駅』でもこれを取り入れ高速化をしているのは
『天晴れ』と言いたいですね。

2011年08月29日 18時26分

釧路行き鈍行2429Dの旅(18)芽室でスーパーとかち6号と交換。

7回目の交換は「芽室駅」。
2429Dは13:36頃到着。出発は13:44のため8分ほどの停車と
なりました。

対向列車は36D「スーパーとかち6号」(帯広発札幌行き)で、
「芽室」に停車する列車でした。
「芽室」は「スーパーとかち」の全列車と「スーパーおおぞら」の
一部列車が停車し、また「帯広」との間で区間列車も設定されている謂わば
拠点駅で、はたと思いついて芽室町役場のHPを見たら、
人口は2万人弱で結構な町であることがわかりました。
道理で駅の周辺に建物が多いはずでした。

ところでここ「芽室」の名前の由来ですが、『アイヌ語の「メモロベッ」、
すなわち「メム・オロ・ペッ」(わきつぼの所の川)に、
「芽室」の字をあてたもの』とのことで、まさかアイヌ語が起源とは
思いませんでした。
※引用出典…JR北海道/釧路支社HP

何故そんなことを思ったかと言うと、特別な理由があるわけでは
ないのですが、「芽室」という漢字の語感と「めむろ」という読みからで、
何となく明治期に入植した人たちが付けたような気がしたからです。
想像以上にアイヌの文化が今も残り、かつ息づいていることに
気付かされた出来事でした。

2011年08月29日 8時06分

釧路行き鈍行2429Dの旅(17)上芽室信号所で交換。

6回目の交換は「上芽室信号所」でした。
「御影駅」と「芽室駅」の間にあります。

ここに13:24頃到着。待つことしばし。
13:29頃、2434D(帯広発滝川行き)が右側の線路を通過して
いきました。

そろそろ乗っているのに飽きて来ており、我ながら「“乗り鉄”の
わりには情けないなあ」と思いつつ、駅ならホームに降りるという楽しみも
あるものの、信号所では何ともなりません。それでも季節が良いので
窓を開けていても他のお客さんの迷惑にならず、また他のお客さんでも
窓を開けている人がいたので、せめてもの抵抗と言うことではないものの、
外の空気を楽しんでいました。

そう言えば、窓を開けて列車に乗るなんて一体いつからしていないのだろうと
妙なところで感じ入っていました。

2011年08月28日 19時14分

釧路行き鈍行2429Dの旅(16)御影駅でスーパーおおぞら8号と交換。

「新得駅」を出て3駅目。「御影駅」には13:12頃に到着。
13:16出発なので、ここで4008D「スーパーおおぞら8号」と
交換であろうと思っていたら、やはり1線スルーの線路をハイスピードで
通り過ぎて行きました。
本日5回目にして初めて特急列車との交換で、いよいよ『幹線』に
入ってきたことを実感しました。

ここまでにも既に、石勝線と合流した上落合信号所以来、交換列車は
無かったものの、連なって存在する信号所の存在は、駅間距離が長いという
北海道ならではの理由もさることながら、やはり交通の大動脈を思わせるには
十分でしたが、やはり特急との交換があっての“大動脈”と言えそうです。

ところで今回、生まれて初めて目の前を通過する283系を体験しましたが、
「なるほど、速い!」の一言でした。
そして、ここ「御影駅」から、“待つ”(“待たされる”?)ことが
増えていきました。
「そりゃあ時間もかかるよね。」などと思いつつ、滝川から155.9キロの
距離にあるこの駅で全行程の半分(154.2キロ)を越えました。

余計なことですが、阪神・阪急の「御影」の地名の起源は分かりませんが、
JR北海道の駅のある「御影」はこの地の産物『花崗岩』に
因んでいるそうです。

2011年08月28日 9時10分

釧路行き鈍行2429Dの旅(15)狩勝峠を下る。

「日本三大車窓」と言えば、
1)篠ノ井線姨捨駅(善光寺平)
2)肥薩線矢岳駅付近(矢岳越え)
3)根室本線新内駅付近(狩勝峠。三大車窓の区間は昭和41年廃線)
となっていましたが、狩勝峠は新線に切り替わり、「三大車窓」の地位を
降りたと言われています。

では、現代の「日本三大車窓」はどこかと問われた時、私は、
この「落合」~「新得」間の、やはり石狩から十勝に入り、ひたすら十勝平野を
目指し下っていく写真の風景を挙げても良いのではと思っています。
※タイトルの「狩勝峠と下る」という表現が地理的に正しいかどうかは
 さておき、雰囲気と言うことでご容赦を。

「日本三大車窓」と呼ばれていた時代の“絶景”の素晴らしさを知る方には、
今の風景は『さほどでもない』と言う話しを聞いたことがあるのですが、
遠くの町並みや近くに広がる牧場も含め、北海道らしい俯瞰の風景が
楽しめる場所(路線)は、それほど多くは無いと思っており、
そんな気持ちで何枚か2429Dの車内から“窓を開けて”撮影しました。

この風景をご存知の方にはきっとご賛同いただけるのではないかと思います。
とここまで書いていて少し疑問が?
「日本三大車窓」って、どうして峠越えの雄大な風景を見下ろす
ポイントなのでしょう。
海や渓谷の絶景もあるではないかとは思うものの・・・。

今回の「鉄」旅でというか、それも含めこれまで特急列車でここを通ったことは
何度かあるのですが、やはり窓越しではなく、空気を直に感じて風景を
楽しんだのは初めてで、それも好印象の一因でしょうか…。
(下り勾配のため2429Dのスピードは決して遅くはありませんが…)

また、昭和の時代に乗りつぶしをしていた頃、私は普通列車でここを
通ったことが2回あるのですが・・・記憶は全くありません。
その理由は何れまた機会を改めてさせていただきます。

2011年08月27日 18時56分

釧路行き鈍行2429Dの旅(14)上りホームの監視カメラ。

左側の写真は、先回の「積雪計測板」を裏から見たものです。
そしてその写真の右上にあるのが右側の写真の監視カメラです。

ここ「落合駅」は無人駅のため、駅構内が今、どうなっているかを
常時、この監視カメラで確認しているそうです。
(「富良野駅」で見ていると聞いたような気がしていますが、すいません。
記憶が定かでありません。)

何れにしろ、「積雪計測板」はそのカメラに向かって設置されており、
そのためホームに対して不思議な角度となっているとのことでした。

のんびりローカル列車で「先を急がない旅」をする身にとって、
こういう発見をすることこそ『2429D』の醍醐味であると“妙な”
納得をしてしまった次第です。

また到着から出発まで10分以上の余裕があったからこその成果であり、
合わせて、この列車が2両編成と言うのも駅の“探検”には
ピッタリだったのかもしれません。
それにしても、下車して風情を楽しむ乗客の方は思いのほか少なく、
何か勿体ない気が一方でしていました。

そして12:21、2429Dはゆっくりと「落合駅」を後にしました。

2011年08月27日 8時51分

釧路行き鈍行2429Dの旅(13)落合駅での発見。

「落合駅」のホームでこんなモノを見つけました。
上段写真の赤い矢印の先に、下段写真の縦型メジャー(?)が
置かれていました。

奥に除雪車を入れ込んでみましたが、もうお分かりのようにホームの
積雪状況を測るためのものです。
※これの正式な名前は聞き漏らしましたので仮に「積雪計測板」と
 させていただきます。
 また、ここからは2429Dの運転士さんからお聞きした話しを元に
 書きます。

ここ「落合駅」周辺は、“豪雪地帯”と言うほどではないものの、
根室本線では比較的積雪が多い駅で、この「積雪計測板」の最高値である
『120センチ』まで降る事も稀にはあるのだそうです。
とはいうものの、普段はよく降り積もっても下から2つ目の青く塗られた
50センチ程度とのことでした。

この「積雪計測板」の設置ですが、いつからあるかは定かではないとの
ことでしたが、やはり乗客の安全確保を考え、これで積雪状況を把握し、
ホームの除雪および線路の除雪に役立てているそうです。

ところでこの「積雪計測板」ですが、見ての通り、ホーム上に斜めに
設置されており、どこか不自然な印象を私は持ちました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!