2011年08月06日 18時15分

三笠でSL機関士体験(11)学科実技講習終了証明書。

最後に写真の「学科実技講習終了証明書」が交付されます。
上段写真が表で、下段写真が裏面です。
「SLの汽笛が今も聞こえる・・・」なんて、痺れるフレーズですね。
北海道はそうそう行ける場所ではないので、少し欲張って
「体験」しましたが、それだけの“価値”はあったと思っています。
ところで私は「練習運転」後に、「運転体験」を4回やったと
報告しましたが、その申し込みはどうしていたのでしょう?
今回の手順をここで書きます。

1)三笠鉄道村『SL機関士体験クラブお申込みフォーム』で
「学科講習」と「運転体験」を申し込む。
※その時に「最低2回は運転したい」というリクエスト。
2)「体験運転」実施時間における“予約”が満杯の場合を除き、
「三笠鉄道記念館」担当者から、当日の参加者に対し「体験運転」の追加が
出来ることの案内がある。
3)「体験運転」追加希望者は、三笠鉄道記念館の担当者に申し出て
「体験運転」を行う。

●今回は、三笠鉄道記念館の方から「今日は時間とお金の許す限り
何回でも運転体験できます」と言われました。

●「運転体験」の各開始時間は「三笠鉄道村」のHPにある通りですが、
予約が入っていなければ“随時”受け付ける方式ということが分かりました。

●この日は、学科講習を申し込んだ私を含めて4名にプラス、
ベテラン2名の計6名の参加申し込みで、初心者の内、
2名は「学科講習」に含まれる「練習運転」だけで帰られたので、
午後の大半の「運転体験」の時間は実質、4名にその全てが委ねられた
格好でした。
またその際、「練習運転」を含め5回目の運転から“山の中”までの
全区間450メートルが運転できると説明されました。

●そこで、“時間とお金の許す限り”というよりは“お金”の許される範囲と
言うことでギリギリ“山の上”まで行くことにしたのです。

2011年08月06日 9時02分

三笠でSL機関士体験(10)記念写真。

「機関士体験」が終わると『記念写真』撮影の時間です。

機関士制服(なっぱ服)に制帽の出立ち(いでたち)でしかも左腕には
“光り輝く”『機関士』の腕章。(全て借り物です)
それで運転席に座り、さもちゃんと運転してきたかのような顔をして
写真に納まりました。
これぞ「運転体験」時の至福のひと時です。

ところで機関士制服ですが、様々なサイズが用意されていますので、
余程のことが無い限り、着られるものが無いと言うことはなさそうです。
私のウエストは90センチを肥えており、いや越えており、
心配していたのですがそれは取り越し苦労でした。

最近、名古屋の「鉄」4人での『呑み鉄』の際、蒸気機関車全盛時の
機関士さん、機関助士さんに『太目の方はいたのだろうか?』という話しに
なりました。
確かに昭和の鉄道写真で、車掌さんや駅長さんはともかく、
『運転系の方でそういう写真はみたことが無いね』というのが全員の
一致した結論でした。

とまあ、そんな話しは後日談として、記念写真の後、
「学課講習料」と「運転体験料」を支払い全ては終了しました。
350メートル×往復×4回=2800メートル
450メートル×往復=900メートル
計3700メートルがこの日の成果でした。

さて今回の「運転体験」のまとめです。
当たり前ですが『難しい』の一言に尽きます。特に“ブレーキ”は
これまでの数回の“体験”で会得できるものではなく、
写真の私は爽やかな表情をしていますが実態は相変わらずの悪戦苦闘でした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!