2011年08月15日 8時29分

昭和52年の2月、私は就職を控え、働き始めたら「乗りつぶし」に
出かけるのが難しくなるであろうと考え、一番出かけることが困難そうな
北海道の鉄道の完乗を目指しました。
そして2月19日、「りくべつ鉄道」の前身というか
「北海道ちほく高原鉄道/ふるさと銀河線」の前身というか
国鉄時代の池北線に乗車しました。
この日の前日、小樽で乗車した423レ「からまつ」(小樽発釧路行き)は、
池田に6:49(定刻は6:19)に到着。乗り継ぎの池北線は
931D(池田発北見行き)、定刻から2分遅れの6:51に
出発しました。
(北見着は定刻の10:32でした)
池田駅では乗り継ぎの時間が無くなっていたため、写真も撮影しなければ
入場券も買えませんでした。
その後の931Dは、記憶の糸を手繰ると池田では
さほど混んでいなかったと思うのですが、1時間も乗ったころから混み始め、
それこそ「陸別」(8:51着)あたりは満席どころか立っている人もいて、
その先は通勤電車並みの混雑で、写真の入場券を買いに席を離れるのも
憚られたような覚えがあります。※931Dは単行だったと思います。
またこの日は冬の北海道には珍しく快晴で、天候は最高だったのですが、
それゆえ雪の反射がとにかくまぶしくほぼ全ての窓の日除けが下ろされ、
外の景色を楽しむことは許されませんでした。
もっとも外に広がる風景は白一色なのではありましたが…。
この日は土曜日だったのですが、何か沿線住民が北見に出かける
イベントでもあったのでしょうか?とにかくこれほど車内の記憶の
残っている路線は例外です。
(入場券の購入順)
*高島⇒本別⇒上利別⇒小利別⇒置戸⇒終着の北見。
因みに入場券はありませんが、「陸別」は「上利別」と
「小利別」の間です。
また「小利別」と「置戸」は隣合せの駅です。
これらの入場券は931Dが途中で対向の旅客列車と交換した
全駅分(置戸駅は除く)で、当時の列車の運転密度はさほどでは
無かったものの、長大路線ならではだったと今、思い返しています。