2011年08月21日 20時44分

釧路行き鈍行2429Dの旅(3)旧国鉄色「朱色5号塗装車」。

2156Mで滝川駅に着き、根室本線の2429Dの乗車ホームに行ったら、
何とそこには旧国鉄色「朱色5号塗装車」のキハ40-777が
停まっていました。
旧国鉄色は、この「キハ40-777」の他に、「1749」
「1758」の全部で3両なのですが、その中での一番人気が
「777」というナンバーとのことで、この数字、スロットマシーンを
される方には特に縁起物なのだそうですが、その経験の無い私にとっては
“ぞろ目” の希少さに心惹かれるものであります。
ところで「キハ40-777」は一時、事故で運用から外れていましたが、
こうして元気な姿に出会えて、取り敢えずは「何より」と思った次第です。

この後、駅を出て滝川駅の写真を撮影。
そして気付いたのが下段写真の画面左側を占拠しているモニュメント・
彫像です。昭和49年(一体何年前ですか?という位古い話しです)に
この駅に下車しているのですが、当時の記憶が全く無いので、
どの駅に降りても“何も気にしていない”大学生の頃の感受性の
低い鈍感な自分を恥じていたのですが…、説明ボードを見ていたら
「昭和53年」の文字があり、どうやら私がここに降り立った頃には
この彫像は無かったようで少し“ホッ”としました。
●「希望と躍進の像」という名前がついています。

駅前広場に、地元に貢献した歴史上の人物の像や芸術作品が
置かれていたりすることはよくありますが、時間が切迫している時は
別にしても、やはり駅前は歩いてみるものだと思っています。

2011年08月21日 7時01分

釧路行き鈍行2429Dの旅(2)旭川駅からスタート。

今から私は24時間テレビ「鉄研トークショー」に出かけます。

さて、昨年の10月10日に高架化がなった旭川駅です。
手前に見える工事現場の囲いの部分からが“駅舎”部分(?)だと
思うのですが、何せ工事中で、正面に見える所から「改札・ホーム」までは
遥か彼方と言いたい位の距離があります。
それはさておき、この写真の右上に「旭川駅」の看板があるのですが、
何せ小さくて気付き難く、例えそれに気付いたとしても、それ以上に
『パッ』と見、どこが入り口かが分かりにくかったです。

実は前日、北見から旭川までは都市間バスでの移動で、19時40分に
到着したのですが、その際、前回紹介した乗車券を買いに「駅」に
向かおうとして一寸迷ってしまいました。夜だからということもありますが、
まさか日本の「大駅」で迷うとは思いもせず、私の年齢によるものなのか、
単に分かりにくいかは正直判断のしようがありませんが、
少なくともバスを降りてから駅改札までの案内標識の存在を私は
認識できませんでした。

地元の人はご存じなのでしょうが、旅人にとっては不安材料に間違いなく
なりえると思いました。もしも「旭川駅」完成前に行かれることが
ありましたらご注意ください。なお明るい時間帯であれば、その不安は
軽減されるとも思います。
それにしても北海道のJRの高架化は、札幌もそうでしたが、
以前の場所から相当に『後退』した位置にホームが作られます。
それ自体はスペース問題から致し方のないことですが、
やはり“一言”という気分になってしまいました。

気分を取り直して下段の写真です。電車は旭川8:10の
2156M岩見沢行きです。私が711系の電車にこの前に乗ったのは、
一体いつだったんだろう?というほど昔のことでしょうが、
そもそも特別なデザインの車両ではないにも関わらず、個人的には、
おでこにある2灯のシールドビームが程よいアクセントとなり、
好ましい存在と思っています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!