2011年08月24日 18時36分

釧路行き鈍行2429Dの旅(8)富良野駅で増結。

昨日(23日)、三岐鉄道北勢線「楚原」~「阿下喜」間が集中豪雨による
土砂崩れのため終日不通でしたが、今日(24日)は始発から動きました。
長引かなくてまずは何よりでした。
それにしてもゲリラ豪雨の動きは読めません。

2429Dの富良野着は10:48。ここで20分の停車です。
交換列車は無いのですが、その停車時間を使って1両を増結です。
停車中の「キハ40-739」に「キハ40-737」がゆっくり
近づいてきました。
ということで私はこの連結作業の一部始終を見守っていました。

上の写真は10:53頃。そして繋がったのが10:55頃。
幌が繋がり車両間を通り抜けられるようになったのは更に2~3分後でした。
そして出発は11:08だったので、私はそれまでの間、まずは自分の荷物を
繋がった「キハ40-737」に移し、それからはホームで
ノンビリ過ごしていました。
もっともこの時期(7月12日)、富良野駅で忙しく「鉄」をしようと思えば、
フラノラベンダーエクスプレス1号(クリスタルエクスプレス車両)が
側線に停まっていますし、11:03になれば、フラノラベンダー
エクスプレス3号(ノースレインボーエクスプレス車両)が札幌から
到着します。
また富良野線では10:54に727D(旭川発富良野行き)が到着です。

一方、「鉄」行動をしない人は、ここで昼食を仕入れないと、
帯広まで飲まず食わずになりそうです。ただ、私は滝川駅のキヨスクで
サンドウィッチと水を仕入れていたので、ホームから離れることは
ありませんでした。

2011年08月24日 7時02分

釧路行き鈍行2429Dの旅(7)島ノ下駅。

「赤平」「芦別」といった名だたる炭田地帯を通り抜け、
「滝川駅」を出発して1時間を過ぎた「島ノ下駅」です。
(2429Dのこの駅の発車は10:42)

この駅で交換があったわけではありませんが、ちょっと私の心に
引っ掛かったものがあったのでUPしました。
それは駅舎からホームまでの道のりです。
駅舎から上りホームへは、それほど違和感が無いのですが、
この列車の停まっている下りホームに来ようとすると、線路上の
“板”みたいなものが置いてある場所がきっと“構内踏切”部分なので
しょうが、何とも『自然体』と感じたのです。
というかパッと見、“構内踏切”というより、職員の業務用横断指定場所と
いった感があります。

名古屋人の“常識”としては、この写真の様な線路が剥き出しの状態の場所を
乗客が横断するのはあり得ません。(私だけではないはず)
大抵はこうした場合でも地平から若干の土盛りをして線路の踏面との
高さを揃え、少なくともそこが『横断してよい場所である』という
“主張”がもっと明らかになっているはずです。
※表現が難しく苦慮していますが、雰囲気は分かっていただけるでしょうか?
(第4種踏切でもここまでのものはそうは無いはず)

何とも長閑というか、とてもローカルっぽくていい感じです。
そしてこのような構内踏切はここだけではなく、今回の北海道「鉄」旅では
いたるところの駅で見かけました。多分、特急ではなく“鈍行”に乗り、
ノンビリとした『旅』だったからこその新発見だった気がしています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!