2011年08月28日 19時14分

釧路行き鈍行2429Dの旅(16)御影駅でスーパーおおぞら8号と交換。

「新得駅」を出て3駅目。「御影駅」には13:12頃に到着。
13:16出発なので、ここで4008D「スーパーおおぞら8号」と
交換であろうと思っていたら、やはり1線スルーの線路をハイスピードで
通り過ぎて行きました。
本日5回目にして初めて特急列車との交換で、いよいよ『幹線』に
入ってきたことを実感しました。

ここまでにも既に、石勝線と合流した上落合信号所以来、交換列車は
無かったものの、連なって存在する信号所の存在は、駅間距離が長いという
北海道ならではの理由もさることながら、やはり交通の大動脈を思わせるには
十分でしたが、やはり特急との交換があっての“大動脈”と言えそうです。

ところで今回、生まれて初めて目の前を通過する283系を体験しましたが、
「なるほど、速い!」の一言でした。
そして、ここ「御影駅」から、“待つ”(“待たされる”?)ことが
増えていきました。
「そりゃあ時間もかかるよね。」などと思いつつ、滝川から155.9キロの
距離にあるこの駅で全行程の半分(154.2キロ)を越えました。

余計なことですが、阪神・阪急の「御影」の地名の起源は分かりませんが、
JR北海道の駅のある「御影」はこの地の産物『花崗岩』に
因んでいるそうです。

2011年08月28日 9時10分

釧路行き鈍行2429Dの旅(15)狩勝峠を下る。

「日本三大車窓」と言えば、
1)篠ノ井線姨捨駅(善光寺平)
2)肥薩線矢岳駅付近(矢岳越え)
3)根室本線新内駅付近(狩勝峠。三大車窓の区間は昭和41年廃線)
となっていましたが、狩勝峠は新線に切り替わり、「三大車窓」の地位を
降りたと言われています。

では、現代の「日本三大車窓」はどこかと問われた時、私は、
この「落合」~「新得」間の、やはり石狩から十勝に入り、ひたすら十勝平野を
目指し下っていく写真の風景を挙げても良いのではと思っています。
※タイトルの「狩勝峠と下る」という表現が地理的に正しいかどうかは
 さておき、雰囲気と言うことでご容赦を。

「日本三大車窓」と呼ばれていた時代の“絶景”の素晴らしさを知る方には、
今の風景は『さほどでもない』と言う話しを聞いたことがあるのですが、
遠くの町並みや近くに広がる牧場も含め、北海道らしい俯瞰の風景が
楽しめる場所(路線)は、それほど多くは無いと思っており、
そんな気持ちで何枚か2429Dの車内から“窓を開けて”撮影しました。

この風景をご存知の方にはきっとご賛同いただけるのではないかと思います。
とここまで書いていて少し疑問が?
「日本三大車窓」って、どうして峠越えの雄大な風景を見下ろす
ポイントなのでしょう。
海や渓谷の絶景もあるではないかとは思うものの・・・。

今回の「鉄」旅でというか、それも含めこれまで特急列車でここを通ったことは
何度かあるのですが、やはり窓越しではなく、空気を直に感じて風景を
楽しんだのは初めてで、それも好印象の一因でしょうか…。
(下り勾配のため2429Dのスピードは決して遅くはありませんが…)

また、昭和の時代に乗りつぶしをしていた頃、私は普通列車でここを
通ったことが2回あるのですが・・・記憶は全くありません。
その理由は何れまた機会を改めてさせていただきます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!