2011年08月26日 17時49分

釧路行き鈍行2429Dの旅(12)落合駅で2432Dと交換。

平成23年7月12日(火)12:09、狩勝峠に挑む「落合駅」に
到着しました。ここで4回目の交換です。
交換した列車は2432D(帯広発滝川行き)で、2429Dの到着を待って
12:10の定刻で出発していきました。

「狩勝越え」も今は・・・、と言っても旧線時代の昭和41年以前を
知っているわけではないので偉そうには言えませんが、当時、
ここから「新得」まで日夜、峠越えの苦闘が続いていたと思うと感無量で、
その出発点の駅としては思いのほか平らな場所が広がり、
また下段写真の走り去る2432Dを見ていても“ゆったり”した
風景の広がりにいささか驚いたと言うのが実感です。

また昭和56年の石勝線開通以前は24時間体制で忙しかったはずの
「落合駅」構内も、今は『静か』というにもあまりにも寂しく、
よく言う「ローカル線に転落」と言う言葉も、何か遠い存在に覚える
ほどでした。
何せ、エンジンの音だけが辺りに響くだけで、それ以外の音が全くないのです。

列車が行き交う僅かな時間だけは「人の空間」を感じさせますが、
列車が走り去ればきっと「太古の自然」にこの空間を返してしまったようだと
言っても過言ではないでしょう。(個人的感想です)

2011年08月26日 7時00分

釧路行き鈍行2429Dの旅(11)山部駅で3430Dと交換。

2429Dの3回目の列車交換は「富良野」を出て2駅目の「山部」です。
交換したのは3430D快速「狩勝」で、この列車は「釧路」を
2522D「帯広」行きで出発し、「帯広」から同じ車両ではあるものの
列車番号と列車種別が変わり、そのまま「滝川」を目指します。
つまり“特別料金が不要”という括りでは、2429Dと同じ区間を走る
乗換不要の経済的な列車と言えます。

チラッと車内を覗いてみましたが、案の定、空席が目立っていました。

ところで今回、交換する全列車の撮影という目標をたてたのは
良かったのですが、その証拠写真の撮影方法に苦慮した駅が幾つかあります。
「それは何か?」と大袈裟に言うことも無いのですが、
対向列車とのすれ違い時、直ぐ隣の線路を通過する列車を車内から
撮影する場合、如何にカメラを窓外に出さずに撮るかと言う点です。
以前なら、レンズ部分程度なら、多少カメラが窓外に出ていても
許される範囲内と勝手に思っていましたし、そうでなくとも車掌さんや駅員が
その姿を見ていたとしても注意されることはありませんでした。

ただ、流石に昨今の『行き過ぎた「鉄」ちゃんの行動』が話題に上るにつけ、
こうした状況でカメラを窓外に出すのは憚られ、そのギリギリだと
私が思っているのがこの写真です。
正直、あと10センチ外にカメラを出せば、3430Dの後ろの風景も
広がっていたことは想像に難くありません。

そんなこともありつつ山部を11:23に出発しました。

2011年08月25日 17時41分

釧路行き鈍行2429Dの旅(10)のんびり楽しむ道東ローカル線の旅。

「キハ40-737」の車内で見つけたJR北海道の広告です。
『のんびり楽しむ道東ローカル線の旅』と言う文字が最上段にあり、
今、正に乗っている根室本線の「2429D」が主役です。
そして脇役には釧網本線の「摩周&川湯温泉足湯めぐり号」
「くしろ湿原ノロッコ号」といったところです。
参考までに、最下段には「詳しい情報はJR北海道 釧路支社のHPへ」と
ありました。

「くしろ湿原ノロッコ号」は観光列車ですが、「足湯めぐり号」は、
名前は付いているものの『4736D』(釧路⇒摩周間の定期列車)と
『4738D』(緑⇒網走間の定期列車)を『8736D』
(摩周⇒緑間の臨時列車)で繋いだだけと言ったら語弊があるかも
知れませんが、まあ、アイデア賞はあげても良いと思いますが
そんなところです。
(「足湯めぐり号」は摩周駅&川湯温泉駅の停車時間中に足湯に入れます。)
それにしても、『2429D』にいたってはただの定期の鈍行列車です。
確かに日本一運行時間の長い列車であることはその通りですが、
普通に考えれば、JRの目玉商品になるのはおこがましいような存在と
いえます。

等と、私の個人的な「鉄」の想いとは別に、随分否定的な書き方を
してしまいましたが、実はこの日、「道東ローカル線の旅」が
観光ルートになっていることを実体験することになってしまったからです。

今シリーズ(4)で、車内に団体さんが乗っていたという話しを書きましたが、
その団体さんが「富良野駅」で下車しなかったので
“ひょっとして?”と思い、1組のご夫婦に話しかけ、どこまで行くのかを
尋ねました。

その団体は、東京の某旅行社が募集したツアーで、その内容は何と、
東京(そのご夫婦は仙台から参加)を起点に鉄道で北海道を周遊するもので、
根室本線の『2429D』に全区間乗車し、翌日は根室まで行った後、
釧網本線の普通列車で網走まで行くということでしたので、
「ノロッコ号」と「足湯めぐり号」に乗車するかどうかは別にして、
この広告通りの『のんびり楽しむ道東ローカル線の旅』を一般募集の
団体旅行が実践していることが分かりました。

この2429Dを下車した後で、「釧路臨港鉄道の会」の方に聞いたところ
やはりこうしたツアーは存在するそうで、私がこの広告に感じた
「よくやるよ」という感想は木端微塵に打ち砕かれました。
でもそれは私にとって何故か「笑みがこぼれる」類のものでした。

余談ですが、このツアーの参加者には中高年のご夫婦の方が何組かおられ、
決して「鉄」ちゃんツアーではなく、色々と観光旅行をして最後に
行きついたのがこのツアーだったといった印象を受けました。

私の一言…恐るべし!!2429D!

2011年08月25日 8時08分

釧路行き鈍行2429Dの旅(9)富良野駅にて。

どうと言うことはないのですが、折角「キハ40-739」に
「キハ40-737」が繋がったのでその連結部分の写真を撮ってみました。
(上段写真)
まだ誰も乗車しておらず、とりあえずこの写真を撮影した私が、
「キハ40-737」に乗り込んだ最初の乗客でした。
高山本線で同様のことがあったとしても多分、写真を撮らないと思うものの、
やはり北海道の富良野という“特別な場所”という想いが私を
思いもかけぬ行動に走らせました。
てなことは全くなく、その内、何かの資料写真として使えればと思い、
撮影したというのが実情です。
※「名古屋レール・アーカイブス」の会員になって以来、日常的な
 写真の重要性を感じており、「撮り鉄」では撮影しなさそうな
 「何てことの無い日常」写真も撮るように心掛けています。

また、下段写真は「フラノラベンダーエクスプレス3号」が到着する前の、
ノンビリとしたローカルのジャンクションの風景です。
キハ150形との並びはそれほど珍しいものではないのでしょうが、
キハ40系の全長21.3メートルに比べ、キハ150形は
ジャスト20メートルで若干の違いがあり、この写真では、富良野線の車両が
少し下がった位置に停車しているように見えますが、2つの列車の
2両編成の最後尾はほぼ同じ位置となっており、この違いが面白いと思い
敢えて選択した1枚です。

2011年08月24日 18時36分

釧路行き鈍行2429Dの旅(8)富良野駅で増結。

昨日(23日)、三岐鉄道北勢線「楚原」~「阿下喜」間が集中豪雨による
土砂崩れのため終日不通でしたが、今日(24日)は始発から動きました。
長引かなくてまずは何よりでした。
それにしてもゲリラ豪雨の動きは読めません。

2429Dの富良野着は10:48。ここで20分の停車です。
交換列車は無いのですが、その停車時間を使って1両を増結です。
停車中の「キハ40-739」に「キハ40-737」がゆっくり
近づいてきました。
ということで私はこの連結作業の一部始終を見守っていました。

上の写真は10:53頃。そして繋がったのが10:55頃。
幌が繋がり車両間を通り抜けられるようになったのは更に2~3分後でした。
そして出発は11:08だったので、私はそれまでの間、まずは自分の荷物を
繋がった「キハ40-737」に移し、それからはホームで
ノンビリ過ごしていました。
もっともこの時期(7月12日)、富良野駅で忙しく「鉄」をしようと思えば、
フラノラベンダーエクスプレス1号(クリスタルエクスプレス車両)が
側線に停まっていますし、11:03になれば、フラノラベンダー
エクスプレス3号(ノースレインボーエクスプレス車両)が札幌から
到着します。
また富良野線では10:54に727D(旭川発富良野行き)が到着です。

一方、「鉄」行動をしない人は、ここで昼食を仕入れないと、
帯広まで飲まず食わずになりそうです。ただ、私は滝川駅のキヨスクで
サンドウィッチと水を仕入れていたので、ホームから離れることは
ありませんでした。

2011年08月24日 7時02分

釧路行き鈍行2429Dの旅(7)島ノ下駅。

「赤平」「芦別」といった名だたる炭田地帯を通り抜け、
「滝川駅」を出発して1時間を過ぎた「島ノ下駅」です。
(2429Dのこの駅の発車は10:42)

この駅で交換があったわけではありませんが、ちょっと私の心に
引っ掛かったものがあったのでUPしました。
それは駅舎からホームまでの道のりです。
駅舎から上りホームへは、それほど違和感が無いのですが、
この列車の停まっている下りホームに来ようとすると、線路上の
“板”みたいなものが置いてある場所がきっと“構内踏切”部分なので
しょうが、何とも『自然体』と感じたのです。
というかパッと見、“構内踏切”というより、職員の業務用横断指定場所と
いった感があります。

名古屋人の“常識”としては、この写真の様な線路が剥き出しの状態の場所を
乗客が横断するのはあり得ません。(私だけではないはず)
大抵はこうした場合でも地平から若干の土盛りをして線路の踏面との
高さを揃え、少なくともそこが『横断してよい場所である』という
“主張”がもっと明らかになっているはずです。
※表現が難しく苦慮していますが、雰囲気は分かっていただけるでしょうか?
(第4種踏切でもここまでのものはそうは無いはず)

何とも長閑というか、とてもローカルっぽくていい感じです。
そしてこのような構内踏切はここだけではなく、今回の北海道「鉄」旅では
いたるところの駅で見かけました。多分、特急ではなく“鈍行”に乗り、
ノンビリとした『旅』だったからこその新発見だった気がしています。

2011年08月23日 18時30分

釧路行き鈍行2429Dの旅(6)「野花南駅」で2回目の交換。

長い距離を普通列車で乗り続ける楽しみは、昭和の時代ならホームで買う
駅弁や立ち食いの駅そばといった“グルメ系”(と言えるかどうかは
異論のあるところでしょうが)の楽しみもあったりしましたが、
今回の2429Dでは、ホームで買える駅弁屋さんはありませんし、
駅そば屋さんは「新得駅」にはあるものの5分の停車時間では少々難しい!
(車内持込をすれば別?)もとよりホーム上のキヨスクすらありません。

また、昭和の時代には、交換する駅や大きな駅等で3~4分の
停車時間があれば、(硬券)入場券を買う楽しみもありましたが、
今や殆どが無人駅の上に硬券のある駅がありません。
そんななんやかやで今回の乗車の楽しみにしたのが、「列車交換」。
ということで2429Dの2回目の交換は、写真の「野花南(のかなん)駅」。
相手は2428D(池田発滝川行き)で、2429Dが少し早く着き、
10:26同時の出発でした。

ところでここ「野花南駅」ですが、マイクロソフトのIMEでは
「のかなん」と打つと「ノ華南」でしたが、「のかなんえき」だと
「野花南駅」が出ました。そんなことは余談ですが、難読駅名かどうかという
判断に迷う駅名だと思いました。漢字と、その一文字ずつの読み方は
“普通”といえるのですが、素直に皆さんが読むかどうかは
分からないというのが私の感想です。
また、読み方をともかくとして「野」の「花」の「南」という字から受ける
この土地のイメージは素敵ですね。

2011年08月23日 8時36分

釧路行き鈍行2429Dの旅(5)「東滝川駅」で最初の交換。

滝川を出た2429Dは、最初の停車駅「東滝川駅」で最初の交換を
行いました。
向かってくる列車は快速3426D(富良野発滝川行き)で、
ここ「東滝川」には停車しません。
●撮影したのは、運転席横の貫通扉の場所で、運転士さんの承諾を
 得て入っています。(但し、停車中のみという条件付き)

今回、この2429Dに乗車するに当たり、私は一つだけ事前に準備を
しました。それは、2429Dが対向列車と交換する全駅の特定です。
ただ根室本線には多数の信号所があり、そこでの交換は特定できないのですが、
どの駅間で交換するかまでは時刻表から推察が可能です。その結果の一駅目が
この「東滝川」でした。

時刻表で、「東滝川」の出発時間が9:50になっているのですが、
他の列車の「滝川」の出発時間から「東滝川」の出発時間が8分にも関わらず、
2429Dは13分かかっており、一方3426Dは、「東滝川」は
通過なのですが、「滝川」到着時間9:58で、そこから逆算し、
この2本の列車の交換はここ「東滝川」という結論が容易に出せました。
ということで2429Dの「東滝川」到着は9:45。
5分停車の間に3426Dは通過していきました。
それにしても、最初の停車駅で5分も停車させるなら、
どうして「滝川駅」の出発時間を少し後倒ししないのか不思議です。

2011年08月22日 17時55分

24時間テレビの御礼

昨日は雨の中、またお忙しい中、24時間テレビ「芸能界鉄道研究会
鉄研」のトークショーに足をお運びいただきありがとうございました。

無事、『ハウジングパークみなと』『サンシャインサカエ』のイベントを
終えることが出来、これも皆様方のご協力の賜物と『三根孝彦・木村裕子・
杉ちゃん&鉄平・南田裕介・尾原秀三』の鉄研メンバーを代表して
重ねて御礼申し上げます。

上段と中段の写真が『ハウジングパークみなと』、
下段写真が『サンシャインサカエ』のその模様です。
観客の方のためのスペースは2会場ともほぼ一杯の状況で
お出で頂いた皆様にご満足いただけていれば幸いです。

中段写真は、昨年に引き続き「名古屋鉄道名古屋乗務区」の皆さんの
募金を「鉄研メンバー」がお預かりしているところですが、
木村裕子さんが受け取っている募金箱は、今年の4月11日~13日に
このブログで紹介させていただいた紙パックを再利用して製作した
『デキ+ホキ』達です。
今回は、特に東日本大震災で被災した各鉄道事業者の方たちへの
応援の気持ちもこめて募金が集められたそうです。

また今年も、本職の鉄道マンの仕事の一端をご紹介していただいたり
このトークショーにもご協力頂き、感謝の念に堪えません。

ところで今回のトークショーを行っていて感じたのが、
小さなお子様のいる家族連れの方達が思いのほかいらっしゃったこと。
正直言ってその方達に、鉄研メンバーの濃すぎるトークの内容がどれほど
伝わっていた(理解できた?)かはよく分かりませんが
『ハウジングパークみなと』のトークショー終了後、ホリプロマネージャーの
南田裕介さんは、子供達との記念写真やサインに追われ、時代の風が
確実に私達に向いて吹いていることを思わぬところで実感しました。
(南田さんは流石、全国ネット番組の常連だけありますね)

今回、このショーの構成を担当した私としては、「鉄研メンバー」による
このようなイベントを開くチャンスがあれば、またチャレンジをしたいと
新たな決意をしているところです。

2011年08月22日 8時08分

釧路行き鈍行2429Dの旅(4)JR北海道の標準色???

昨日は24時間テレビの「芸能界鉄道研究会 鉄研」イベントに
沢山の方においで頂き、合わせて募金にご協力を賜り大変感謝しております。
ありがとうございました。
このイベントの報告は今夕にもさせて頂きます。
で、とりあえず今朝は、2429Dの旅の話しをさせて頂きます。

2429Dの滝川発は9:37。
私は乗車するために9:30頃ホームに入ったのですがそこでビックリ!
停まっていたのは何とJR北海道の標準色車「キハ40-739」。

9時頃ホームに停まっていた「キハ40-777」は
『一体何だったんだ』と思っていたら、それは2424D
(新得発滝川行き)が到着後(滝川着8:46)もホームに
停まっていただけと言うことで、まあ欲張りすぎてはいけないと言う
神様の配慮だったのかも知れません。
●参考…旧国鉄色「朱色5号塗装車」のキハ40系の運用は、
JR北海道・釧路支社のHPに出ています。確実に乗りたい方は
事前に確認できます。

その「キハ40-739」の左側にあるのが下段写真の看板で、
『滝川駅は「日本一運行時間がなが~い定期普通列車」出発駅です』とあり、
全長308.4キロ、所要時間8時間2分の文字が如何にも誇らしげで、
特に“なが~い” の中の“~”の存在感が何とも言えずGOODでした。

ところでこの2429Dは、こんな看板をわざわざ作るほどの価値が
あるかというと、この日、単行とはいえ、私の乗車した9時半ごろには
既に全てのボックスに乗客がいて、満席ではないものの私の
“ウルトラローカル列車”のイメージは覆されました。とは言うものの、
団体客が1組いたので、『富良野』でどうせ下車するであろうし、
それでなくても富良野から増結されることだし、ボックスシートでなくても
少しの辛抱と悠然と構えていました。まだ、この時は・・・。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!