2011年09月30日 18時19分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(13)旧「幌加」駅でポイント操作体験。

線路が残されていて、そしてその線路の残っている駅が交換可能駅ならば、
そこには「分岐器」があります。
ということで24時間「分岐器」操作体験が出来るのがここ「幌加駅」です。

信号扱い所が無い小さな駅で使われた転轍器ではご覧の様な『手動式』が
使われていました。
でも現役時代にそれを触る(動かす)のは当然、ご法度!

それがこの駅では誰でも操作できるとガイドさんから聞き、
他のツアー参加者の方が一頻り(ひとしきり)楽しんだ後で、
じっくり一人で堪能しました。
なおかつこんな写真まで撮っていただいたので、これで私が「鉄」で
あることがガイドさんとツアー参加者の皆さんに知れてしまいました。
と書くと、「?」と言う方もいるかも知れませんが、
この『旧国鉄士幌線アーチ橋見学ツアー』は「鉄」の方が参加者の
多数派ではないのだそうです。
「タウシュベツ橋梁」の写真をご覧になり、その美しさに惹かれた方や、
「糠平温泉」に泊まり、その存在を知って訪れた(再訪された)方が多いと
聞きました。
今回、この写真を撮影してくださった方は以前、「糠平温泉」に宿泊したことが
あるそうです。

(余談)
折角「糠平」に来ているので、糠平温泉について一言。
糠平温泉は「源泉掛け流し」宣言をしており「日本源泉かけ流し温泉協会」にも
入っています。私も体験してみたい温泉の一つです。

2011年09月29日 18時15分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(12)旧「幌加」駅にて。

『旧国鉄士幌線アーチ橋見学ツアー』の“橋”以外のお楽しみが
旧「幌加」駅の探訪です。

既に書いている通りですが「糠平」と終点「十勝三股」の間にある駅で、
かっては木材の搬出で賑わったそうです。
(確か、士幌線は木材運搬の目的もあったはず)
写真の通り、線路跡にはホームと線路が残され、ホーム上には
“真新しい”駅名標もあります。

昭和14年の開業から昭和53年のバス代行化までのおよそ40年の年月が
長いか短いかはともかく、今、この場所には駅舎もなければ、
当時はあったであろう民家を見かけることもありません。

それより、列車が通らなくなって30有余年にも関わらず、
相変わらずホームと線路が残っていること自体が奇跡とも思えます。
もっとも、もしもこのツアーがここに立ち寄ることになっていなければ多分、
というより間違いなく私がここに来ることはありませんでした。

ただ来て感じたのは、最近「廃線」となった鉄道の本が多数出版されるにつけ、
その『跡』を辿る人が増えている事実に納得している自分がいることです。
人の営みの変遷を知る“歴史ロマン”の匂いを感じたのですが、
もっとも一方でそれは「夢」のような甘いものではなく、
厳しい現実の結果であるのでしょうが・・・。

(余談)
この駅の周辺では訪問した7月13日、この写真には写っていませんが
「ルピナス」という花の群生を見ました。
「淡い紫色」が可憐で良いのですが、もともと園芸用に日本に入ってきた
外来種とのこと。十勝地方の固有種が侵食されなければ良いがと
心配になりました。

2011年09月28日 19時13分

旧士幌線「タウシュベツ橋」(11)第五音更川橋梁と三の沢橋梁。

北海道に『北海道遺産』というのがあるのをご存知でしょうか?

次世代に引き継ぎたい有形・無形の財産の中から、北海道民全体の“宝物”を
選ぶものですが、平成13年のその第一回目に選ばれたのが
「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」です。
また『北海道文化資源』と言うものもあり、こちらは北海道の文化資源を
様々なジャンルから選び、北海道の文化や歴史に触れ、学び楽しむと言う
趣旨のものですが、その「産業遺産」に中に同じ
「旧国鉄士幌線アーチ橋梁群」があります。(記述はそれぞれのHPから転載)

もう分かっていただけると思いますが、今回の私の旧士幌線探訪の目的は
まさにこの「アーチ橋梁群」です。

『旧国鉄士幌線アーチ橋見学ツアー』は「タウシュベツ橋梁」だけが
目的ではなく、次の目的地は「北海道遺産」「北海道文化資源」の一つ、
上段写真の「第五音更川橋梁」でした。
この橋は国の登録有形文化財(平成11年登録)でもあり、
10メートルアーチの連続と写真の真ん中に見える川を越える
23メートルアーチのコンビネーションの美しさは筆舌に尽し難いものが
ありました。(昭和13年に作られた)
※「糠平」から終点の「十勝三股」方面に向かい、旧「幌加」駅を
越えた辺りです。

また下段写真は「三の沢橋梁」で、「糠平湖」誕生による路線変更に伴い
昭和30年に作られたもので、その時代にあっても昭和14年の士幌線全通時の
橋の形態をそのまま取り入れているのはある種の驚きなのですが、
それももともとも士幌線のコンクリート橋が、時代の最先端の技術で
作られたのであろうと一人、納得しています。

なお「三の沢橋梁」は写真から何となく感じ取れるのではないかと思いますが
「北海道自然歩道・東大雪の道」となっており、歩いて渡ることが出来ます。

2011年09月27日 18時04分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(10)タウシュベツ川の流れ。

上段写真は「タウシュベツ川」で、画面右側から左側に向けて
川の流れがあります。
※先回の写真を撮影した場所から右方向を撮影しています。

そうなんです!橋の名前の「タウシュベツ橋梁」とは「タウシュベツ川」に
架けられた橋と言うことで名付けられたものです。
通常なら「OO川橋梁」とかになるのでしょうがここではそうならず
「タウシュベツ橋梁」となったのは何故でしょう?
とか考える人はきっとあまり多くはないのでしょう。

ということはさておき、山間部の川にしてはその幅が広いのと、
奥の森と川の境目に土手のように見える部分が分かりますか?
何と満水時にはそこまで水が来るそうです。つまり、この時、私が
立っていた場所は『水没』地点だったのです。
そのため目の前にある近い風景の中に「木」が育つことは無いのだそうです。

次に撮影ポイントを変えることになり、先の場所よりも少し
「タウシュベツ橋梁」を見下ろす高台に移動しました。(下段写真)
※正確にはこのポイントを通って先回の場所に向かっっています。

ところでこの場所より高い標高の場所で広い画角にしようとすると
「高圧電線」が写り込むため、
私は少し下に下りて下段写真を撮影しました。

この写真では橋の下の右側に『髭』の様な木の枝が少し気になるものの、
橋と対岸の位置関係はお気に入りの一枚です。

ともかくどれだけの時間をかけて見ていても飽きの来ない「橋」でした。

(「タウシュベツ橋梁」の名前について)
北海道庁の「北海道文化資産」等の記述では「タウシュベツ橋梁」とあり、
その他の主な資料やWikipediaでも「タウシュベツ橋梁」とされていますが、
北海道庁の「北海道遺産」や地元上士幌町役場のHP、
「NPOひがし大雪アーチ橋友の会」の「ひがし大雪アーチ橋散策地図」には
「タウシュベツ川橋梁」とあります。
今回の橋梁名について、私は「タウシュベツ橋梁」という呼び方を
採用していると考え下さい。

また今回のツアー主催者である「NPOひがし大雪自然ガイドセンター」では
「タウシュベツ橋」を使っています。

2011年09月26日 18時04分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(9)絶景!

先回までの場所から車で少し奥に入り込み、そこから数分歩いた場所にある
「絶景撮影ポイント」に到着しました。

私がここを訪れた7月13日の水量は、ガイドさんの話しだと
例年より少ないそうで、今年は東日本大震災の影響からか、
水力発電を行っているのではないかと推察されていました。
(ということは、例年ならもっと橋が水没している?)

実際に撮影した感想としては、橋とダム湖の反対側の堰堤との間の
湖面の幅が少し狭いと思っていますが、もう少し時間をかけて場所を探れば
私好みの場所が見つかったのかもしれません。

まあ私一人の撮影行であれば、特に列車の様にシャッターを
押す時間が決まっている訳でもなく、しかも相手は動くわけではないので、
日の差し加減や雲の位置とかの拘りさえ私が持たなければ、
自分の足で高度を調整しながら撮影ポイントを探すのでしょうが、
ツアーと言うこともあり取りあえず『証拠写真』を撮影しました。
※実は、先回の場所もそうですが、撮影だけではなく
その場の雰囲気を楽しむ時間がそこそこあるツアーです。
以上は結果論として、自分が少々納得していないことに対しての言い訳です。

下段写真は、11あるアーチの一つを真正面から捉えてみました。
私はこの写真に湖面を揺らす風の流れを感じています。
皆さんは如何でしょうか?

2011年09月25日 18時01分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(8)朽ち果てていく「タウシュベツ橋梁」。

遠目では気付かないものの「タウシュベツ橋梁」は傷んでいます。

何故こうなっていくのでしょう?
勿論、長い間、手入れもされずにいることもありますが主には
この橋が水没することに原因があると聞きました。つまり水に浸されることが
無ければ、ここまで短期間(と言っても50年以上経っていますが)で
朽ち果てることは無いそうです。
コンクリート建造物の残念な特性だそうです。

このダムが「発電用」であることは前にも書いたとおりですが、
ここの水を使って『発電』するピークは冬なのでそうで、
そのため、5月くらいから水を溜め始め、冬を迎える頃には満水となり、
その後、徐々に発電のためにその水量が減って行き、翌年の4月頃には
ダム湖はスッカラカンになるそうです。

ということで、毎年5月に入ると徐々に橋が姿を消し始め、
8月中・下旬には全部水没!の可能性あり。
そして明けて1月からその姿を現し始め、4月には橋桁の一番下まで
見ることができるそうですが、橋として美しいのは当然の事ながら
「メガネ橋」を実感できる、ある程度「貯水」されている時期と
言うことになりそうです。
そんなこともあり、このシリーズ(4)で「タウシュベツ橋梁が水没」と
書いた理由が分かっていただけたでしょうか?

下段写真で「V」の字型にコンクリートが“壊れ”ているのが
確認できると思いますが、これは平成15年の「十勝沖地震」に
よるものだそうで、何せ発生したのが9月26日の既に
この「タウシュベツ橋梁」が水没した後だったため、地元では気を揉みつつ
「タウシュベツ橋梁」が湖面から顔を出すのを待っていたそうです。
そしてその姿を見た時、状況悪化が一気に進んでしまったことに
愕然としたそうです。

(注意)橋の上は危険なため立ち入り禁止です。

2011年09月24日 18時58分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(7)「タウシュベツ橋梁」の全貌。

いつもならこうした『記念写真』はあまり撮らないのですが、
「長靴」姿を残したくて同行のツアー参加者の方にとってもらいました。

この日は、天候の関係で、アーチ橋の存在感は実感できたものの
『メガネ橋』を実感とまでは残念ながらいきませんでした。

それでも下段写真でギリギリ「メガネ」っぽくはあるのですが
ここから少しずれるだけで、湖面に映る橋は全く見えず、
ちょっとした湖面を渡る風であったり、微妙なところで「メガネ」が
見えることはあまり多くは無さそうです。
ただ“早朝ツアー”に参加すれば見える確率は高いのだそうですが、
「糠平温泉」に宿泊していないとなかなか参加は難しそうですね。

それにしても単なる「コンクリート製」の橋に何故心惹かれるのでしょうか?
私にも正直、よく分かりません。でも何かが「良い」のです。
アーチの連続性がそう想起させるのでしょか?
ちょっと話しが飛びますが、スイスの世界遺産「レーティッシュ鉄道」や
オーストリアの「センメリング鉄道」のアーチ橋も私は大変美しい造形で
あると思っており、
勿論、素材の違いはありますが、その優美さは共通だというのが
偽らざる感想です。
※地元の上士幌町観光協会が発行している観光パンフレット
「大雪山国立公園かみしほろ」の表紙写真は下段写真とほぼ同位置で
撮影した綺麗な『メガネ』橋(風景を切り取ったサイズは異なります)です。
パンフレットをここで掲載しないという不親切なブログで恐縮です。

(余談)
この辺りは『黒曜石』の産地だそうで、このタウシュベツ橋梁近くでも
探せば見つかるそうです。高校生の時、歴史の授業で『石器』
(刃物として…だったかな?)として使われたと習ったと記憶があります。

2011年09月23日 18時56分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(6)遂に「タウシュベツ橋梁」に到着!

森を抜けると目の前にご覧の景色がいきなり広がりました。
写真で、川の上にかかる橋のように見えるのが「タウシュベツ橋梁」です。
このアングルでは、その何が素晴らしいのかは全く分かりませんが、
ともかく私の目に先ず飛び込んできたのがこの風景です。

この橋がかかるのは発電用のダム湖「糠平湖」(人造湖)で、
昭和30年に『湖』が出現しました。
ダムを作った電源開発株式会社のHPによれば、この「糠平湖」の水を
使って発電を行う「糠平発電所」は昭和31年1月17日から
運転開始となっていました。

『国鉄士幌線』の「糠平」~「十勝三股」間は、昭和14年に
開通したのですが、昭和30年8月にこの糠平湖を作るために
「清水谷」(「糠平」駅から2つ帯広よりの駅)~「糠平」~
「幌加」(「糠平」と「十勝三股」の間の駅)の間のルートが変更となり、
この「タウシュベツ橋梁」を通るルートが廃止されました。

つまり「糠平湖」が出来なければ、ここを昭和53年まで士幌線は
通っていた“はず”なのです。
※士幌線の廃止は昭和62年でしたが、その前に「糠平」~
「十勝三股」の間は、バス代行となっています。

2011年09月23日 8時07分

名鉄名古屋駅「新聞輸送」のある風景。

名古屋鉄道「名鉄名古屋」駅のとある土曜日の昼下がり
(午後1時半過ぎ)です。

ホームに「新聞(夕刊)」が積まれた台車が1台、取り残されたように
止まっていました。
私は電車待ちだった為、その後の作業を見ることなく
その場を去ってしまったのですが、また日を改めてちゃんとこの“風景”を
見届けたいを思いました。

私が小学生~中学生頃でしたでしょうか、平日の午後2時前後に
『新名古屋駅』を利用すると、“降車”側ホームには
「新聞」を積んだ台車があふれ、電車が到着するたびに慌しい光景が
繰り広げられていました。
今も同様かどうか確認していません(だからもう一度見たい!)が、
名鉄「新名古屋駅」特有のホーム形態のため各電車の停車時間は短く、
そんなこともあってか当時、車掌さんが降車側ドアスイッチを
「閉」にした後も、荷扱い(新聞の積み込みに使う)ドアを駅員さんが
力技(手)で開けたままの状態にし、積み終わると同時にその手を離し、
勢いよくドアが閉まっていました。
その光景は子供心にもその当時、「凄い!」と思っていたことを
思い出しました。

昭和の時代は他の鉄道会社でも「新聞輸送」は行われていた記憶が
あるのですが、今では自動車輸送に押され、きっと数えられるほどの
鉄道でしか残っていないでしょう。
今回はたまたまのタイミングでホームに取り残されたような“台車”が
気になりUPしてみました。

2011年09月22日 8時47分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(5)ヒグマ出没!注意。

車で先回の場所まで林道を走っているときにも“怪しい落し物”
(お察しください)が道路のそこここにありましたが、駐車場所から
タウシュベツ橋梁に向かう“遊歩道”の入り口には上段写真の
「ヒグマ出没!」の看板が・・・。

「この一体は、ヒグマの生息・多発地帯です。十二分にご注意して下さい」
とあり、『十分』ご注意ではなく、『十二分』にご注意は、
冗談であったり過剰表現ではなく、今回のガイドさんも実際にこの近くで
見かけたことがあるとのことでした。
また少し前に「上士幌町鉄道資料館」で“熊避け”の鈴を販売していると
書きましたが、ガイドさんも『鈴』を身に着け、軽やかな鈴の音を
響かせながらの道すがらで、音は“軽やか”でも、身の安全には
重い存在でした。
実際、上段写真の「注意して下さい」の下に、鋭利な刃物で
切り裂いたような『キズ』があり、それは熊の爪で出来たものだそうで、
ある種のマーキングだとその時に聞きました。
(写真では分からないでしょうが…)確かに人がドライバー等で
こじ開けたとは思えない不思議な感じでした。

そうして歩いたのが下の写真の歩道で、そこそこ整備はされていますが
歩きやすくはなく、倒木の間を縫って歩き、また所々泥濘(ぬかるみ)も
あり、足元に注意を払いながら一歩一歩、目的地に近づいていきました。

その目的地までもう少し。正面の木立の切れ目の先にそれはありました。



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稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!