2011年09月04日 19時19分

釧路行き鈍行2429Dの旅(27)尺別で2528Dと交換。

尺別では珍しく対向列車をあまり待たずに16:20に到着・出発でした。

12回目の交換列車は2528D釧路発芽室行きです。
●「芽室駅」は今シリーズ(18)で出てきた、2429Dが、
「スーパーとかち6号」と交換した駅です。

こうして書いていると、何となく2528Dが“区間列車”っぽい感が
無きにしもあらずですが、実際の運転距離は141.9キロあり、
ここ尺別からでも94.8キロと100キロ近い道のりをこれから
ひた走ることになります。
「流石に北海道ですね。」などと書いていて、東海道本線の名古屋周辺と
比較してみたら、「大垣」~「浜松」間が152.9キロなので
それ位の距離であることが分かりました。100キロ超というと『遠い』という感じがしていましたが、JRなら意外と微妙な距離かなと
妙な納得をしてしまいました。

(JR北海道キハ40系の標準塗色のこと)
●JR北海道の標準塗色ですが、一見爽やかな感じで私は『良い感じ』と
思っていたのですが、一方で今回『今一つ』という話しも聞きました。
それは冬の雪の中での視認性です。
この色が雪に溶け込んでしまい、接近してきても気付き難いのだそうです。
それに比べ、リバイバルでブームになっている旧国鉄色「朱色5号塗装車」
(通称?タラコ色)は視認性も良く、「何故変える必要があったのだろう」
とか「雪を知らない人が色調のデザインの良し悪しで決めたのでは?」
という声もあったと聞きました。
それ自体の是非の判断は私には分かりませんが、何かを変えることが
如何に難しいかを考えさせてくれたエピソードでした。

2011年09月04日 8時00分

釧路行き鈍行2429Dの旅(26)常豊信号所で“初貨物”交換。

浦幌駅と上厚内駅の間にある「常豊(つねとよ)信号所」に15:41に到着。

時刻表では、この時間帯で交換する旅客列車はないため、ここで停車した
ということは、おそらく貨物との交換であろうと目星を付け、
私は何時に到着するやも知れぬ列車を、ジーッとカメラを構えたまま
待ち続けました。
(少ないとはいえ周りに乗客はいたので、私は結構不思議な存在だった
はずです)
そして待つこと6分、15:47に現れました!高速貨物の2092列車です。
11回目の交換は、旅客列車が、DF200-110に牽かれた
長大なコンテナ列車の通過を待っていたことになります。
こうした事は昭和の時代にもあるにはありましたが、今時風に考えれば、
『速い列車』優先ということでしょう。

ところでこの「常豊信号所」ですが、その名前は、
DF200(RED BEAR)の右側の更に右側にある建物
(写真では一番右側)に掲げられていました。
またこの写真ではDFに隠れて見えませんが、ほんの数メートルの
短いホームがあります。信号所用なのでしょうが長さはともかく、
こういう言い方は一寸違和感があるものの『真っ当な』感じのホームでした。

そして2429Dは15:48に上厚内に向け出発しました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!