2011年09月12日 18時55分

「愛の国」から「幸福」へ(5)19671号機が待っています。

「愛国駅」の駅舎を通り抜けホームに出ると『19671』が
私を出迎えてくれました。

この『19671』の説明板によれば大正7年(1918年)の
川崎造船所製で、北海道各地で活躍したのち、昭和47年から釧路鉄道管理局の
配置とありましたので、ここ広尾線に縁のあった機関車ではなかろうかと
推察した次第です。
その後、昭和50年に廃車となった『19671』ですが、
廣済堂出版「蒸気機関車完全名鑑」(2009年12月20日発行)に
よれば、平成2年まで帯広市内で保存され、その後ここ移設されたようです。

保存状況は屋外の野晒しにも関わらず、思ったより良好なので、
地元の方たちがキチンと管理をされているのであろうと感じましたし、
運転台も覗くことができますがこちらの状態も良好でした。
(比較対象の問題もありますので、あくまでも私の感想です)

上段写真の様な駅のホームを広く入れ込んだ写真を撮影すると、
動かない蒸気機関車がたった1両というのは淋しい感もありますが、
北海道らしい伸びやかな空間の中にいるので、思ったよりは寂寞感が
漂っていません。

私はしばしホームに腰掛け、足をブラブラさせながらノンビリして
いましたが、結構気持ちが良かったです。
まあ、これは夏だから出来る楽しみ方なのかも知れません。

2011年09月12日 8時49分

「愛の国」から「幸福」へ(4)『恋人の聖地』って?

今時、「恋人の聖地」というのがあるのを、ここ「愛国駅」で知りました。
上段写真はその「記念碑」で、先回の写真で駅舎の直ぐ右側にあります。
(ちょっと分かりづらいですね)

最初に「Lover’s Sanctuary」(恋人の聖地)と
「ようこそ恋人の聖地 愛国駅へ」の文字を見た時は仰天というか
小っ恥ずかしくなりました。年の所為(せい)でしょうか?
何せ昭和62年の広尾線廃線当時の姿“だけ”が残されているものだと
思っていたからです。

それにしても50代後半の私にとって「恋人」と言う文字が眩し過ぎて
直視できませんでした。
(いくらなんでもそこまでのことはあり得ないですね…)
それはともかくこの「恋人の聖地」とは『NPO法人地域活性化支援センター』
が主体となって全国の『プロポーズ』ふさわしい“ロマンティック”な
スポットを選定しているそうで、ここ「愛国駅」と「幸福駅」はセットで
平成20年7月1日に「恋人の聖地」になりました。

余談ですが、愛知県の「恋人の聖地」は、1)名古屋テレビ塔、
2)恋路ヶ浜と伊良湖崎灯台、3)茶臼山高原/芝桜の丘となっています。
何れにしろ私には縁の無い話しです・・・。

画面が小さくて申し訳ありませんが、この記念碑の左側には、
なぜ「愛国」⇒「幸福」の区間の乗車券が1000万枚以上も売れる大ブームに
なったかの謂れも書かれており、これは何となく“雰囲気”で
ここを訪れた人にも分かりやすい親切な解説になっています。

また駅そのものが交通記念館になっており、広尾線の歴史が分かる
展示等がされています。
なお15分もあれば一通りの見学が可能です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!