2011年09月13日 18時28分

「愛の国」から「幸福」へ(7)キハ22形に試乗(?)。

旧幸福駅は公園をして整備されており、そこにはキハ22形が2両
(手前がキハ22-238で奥がキハ22-221)とモーターカーが1両、
静態保存されています。

上段写真で2両のキハ22が確認できると思いますが、
奥のキハ22-238はホームに掛かっていませんが、
「221」の方はホームのあるところに停められており、
中に入って見学できるようになっています。(下段写真)

まあ扇風機のある風景や椅子の座り心地は2429Dのキハ40系も
たいして変わるわけではないですし、まあ、それほど古めかしくて
レトロ感タップリというわけでもないのですが、私が注目したのは2点。
一つ目はボックスシートの右側一番手前の所に残されていつ『灰皿』!
このタイプの灰皿は、所謂国電タイプの車両が走っていた路線の車両を除き、
昭和の時代にはボックスシートタイプの車両では必ず見かけ、
また4人がけであれば必ず使う人がいて、紫煙を燻らせていました。
(今考えればタバコを吸わない人には大迷惑の時代でしたね)

特急等の喫煙車はともかく、普通列車から灰皿が無くなった
(つまり全車両禁煙化された)のは一体いつ頃だったのでしょう?
あまりにも年月が流れ過ぎて覚えがありません。

何だか“懐かしく”なって灰皿がある車内風景を撮影してしまいました。

また、床を見て『「キハ22」って床材が木だったんだ』と気付かされました。
昭和30年代の製造でしょうから当然、不思議は無いはずなのですが、
何故か私のイメージの中ではそうはなっていませんでした。

2011年09月13日 8時06分

「愛の国」から「幸福」へ(6)「幸福駅」は観光地!

「愛の国」を出発して「幸福」に到着しました。

着いてビックリ!ここには広大な駐車場も整備されており、
何とも一大観光地のようです。
流石、「恋人の聖地」です
人影の見えなかった「愛国駅」とは大違いで、実はここに掲載した写真は、
人の流れを見計らいつつ、一瞬の隙をついて撮影したものです。
もっとも溢れるほどの人出と言う意味ではなく、ホームや駅舎・駅前には
いつも数人がいて、それが途切れないということです。

「愛国」と「幸福」のこの落差の理由は良く分かりませんが、
とにかくそういう状況でした。
やはり「愛国」を「愛の国」と見立てるより、「幸福」というストレートさが
良いのか、単に「愛国」よりも「幸福」を願う人が多いということでしょうか?

そう言えば昭和の時代にも記念写真を撮る人は「愛国」より「幸福」が
多いと聞いたような気が…。

その幸福駅にはキハ22が静態保存(上段写真)保存されているのを始め、
訪問者の殆どの方が記念写真を撮影する「幸福の鐘」(中段写真)や、
あって然るべきの愛国駅とセットの「恋人の聖地」の記念碑(下段写真)等が
あります。

「幸福の鐘」の最上部には『HAPPY BELL こうふく』と書かれていますが、
若干ですが鉄道チックな味わいが感じられる体裁になっています。(私の感想)
また「恋人の聖地」の記念碑も、ここ「幸福」では“乗車券”風のアレンジが
ご愛敬です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!