2011年09月17日 18時30分

昭和52年当時、1日4往復の列車が発着していた終点の「十勝三股」です。
当時「国鉄完乗」を目指すものにとって、効率の悪さでは
トップクラスの路線で、ここだけではなく当時北海道は閑散路線の宝庫で、
それゆえこれまでにも何度か書いた覚えがありますが、就職前に
「まずは北海道を完乗」と誓いを立てたのは当然の帰結でした。
ところで北海道に並ぶ、もう一方の「完乗」の大敵は九州の筑豊地区でした。
ただ筑豊地区はそれぞれの線が微妙に絡み合っていたりして、
まだパズルの解きようがあったのですが、北海道は盲腸線
(行き止まり)が多く、相当に苦労しました。(まあ、今では苦労と言うより
楽しい思い出となっていますが…)
そんな“苦労”の結晶がこの写真です。
この時、この駅でというか士幌線で撮影した写真は全部で4枚。
この2枚にプラス上段の写真に私が写っている記念写真と、
下段写真を逆方向から撮影したものです。
たったそれだけしかありません。でもそれが私の当時の精一杯で、
今思えば残念×5どころか30乗くらいの悔しさです。
こうして見ていると私の乗ってきた酷寒地向け仕様のキハ12形2連は、
そのバス窓が時代を感じさせますし、そもそも「幸福駅」で保存されている
「キハ22」の一世代前の車両となります。
余談ですがキハ12形は豊橋鉄道の「納涼ビール電車」の『3203』と
ほぼ同世代のはずです。
「昭和は遠くなりにけり」。実感です。
●「十勝三股」まで乗車した人は私以外に数人いたような記憶がありますが、
この駅から家路につくとか仕事に向かった人の記憶がありません。
きっといたのでしょうが、それ位『鉄道』の必要性に“?”がつく
路線でした。