2011年09月23日 18時56分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(6)遂に「タウシュベツ橋梁」に到着!

森を抜けると目の前にご覧の景色がいきなり広がりました。
写真で、川の上にかかる橋のように見えるのが「タウシュベツ橋梁」です。
このアングルでは、その何が素晴らしいのかは全く分かりませんが、
ともかく私の目に先ず飛び込んできたのがこの風景です。

この橋がかかるのは発電用のダム湖「糠平湖」(人造湖)で、
昭和30年に『湖』が出現しました。
ダムを作った電源開発株式会社のHPによれば、この「糠平湖」の水を
使って発電を行う「糠平発電所」は昭和31年1月17日から
運転開始となっていました。

『国鉄士幌線』の「糠平」~「十勝三股」間は、昭和14年に
開通したのですが、昭和30年8月にこの糠平湖を作るために
「清水谷」(「糠平」駅から2つ帯広よりの駅)~「糠平」~
「幌加」(「糠平」と「十勝三股」の間の駅)の間のルートが変更となり、
この「タウシュベツ橋梁」を通るルートが廃止されました。

つまり「糠平湖」が出来なければ、ここを昭和53年まで士幌線は
通っていた“はず”なのです。
※士幌線の廃止は昭和62年でしたが、その前に「糠平」~
「十勝三股」の間は、バス代行となっています。

2011年09月23日 8時07分

名鉄名古屋駅「新聞輸送」のある風景。

名古屋鉄道「名鉄名古屋」駅のとある土曜日の昼下がり
(午後1時半過ぎ)です。

ホームに「新聞(夕刊)」が積まれた台車が1台、取り残されたように
止まっていました。
私は電車待ちだった為、その後の作業を見ることなく
その場を去ってしまったのですが、また日を改めてちゃんとこの“風景”を
見届けたいを思いました。

私が小学生~中学生頃でしたでしょうか、平日の午後2時前後に
『新名古屋駅』を利用すると、“降車”側ホームには
「新聞」を積んだ台車があふれ、電車が到着するたびに慌しい光景が
繰り広げられていました。
今も同様かどうか確認していません(だからもう一度見たい!)が、
名鉄「新名古屋駅」特有のホーム形態のため各電車の停車時間は短く、
そんなこともあってか当時、車掌さんが降車側ドアスイッチを
「閉」にした後も、荷扱い(新聞の積み込みに使う)ドアを駅員さんが
力技(手)で開けたままの状態にし、積み終わると同時にその手を離し、
勢いよくドアが閉まっていました。
その光景は子供心にもその当時、「凄い!」と思っていたことを
思い出しました。

昭和の時代は他の鉄道会社でも「新聞輸送」は行われていた記憶が
あるのですが、今では自動車輸送に押され、きっと数えられるほどの
鉄道でしか残っていないでしょう。
今回はたまたまのタイミングでホームに取り残されたような“台車”が
気になりUPしてみました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!