2011年09月21日 22時51分

名古屋レール・アーカイブスの所蔵資料展への来場御礼。

本日、「NPO法人名古屋レール・アーカイブス」の第4回所蔵資料展
「定点観測 市電が走った街並みは・・・いま 名古屋の電車風景」を
無事終えることができました。

このブログをご覧になっておいで頂いた方もおられ、この場を借りて
御礼申し上げます。

ところで今回の写真はその資料展で展示した写真ですが、
上段写真は、昭和45年に撮影された名古屋・上前津交差点です。
そして下段左側の写真は、今回の展示用に今年に入って撮影した
本来のものです。ところが・・・。

先週の土曜日(9月17日)、来場された方から『「三井住友銀行」の
後ろにあるビルは取り壊されて今は無いですよ』との指摘を受け、
当会の会員が確認に向かい、下段右側の写真を撮影し、会場に展示しました。
確かにビルは無くなっていました。何とも思いもかけぬ形で
今回のテーマ「定点観測」を実践することになってしまいました。

それはともかく今回の資料展用に撮影した「平成」の“風景”で、
「昭和」の“風景”と季節感を合わせているものは、早いもので昨年の秋に撮影したものもあり、実は“上前津交差点”以外にも『風景』が
想像以上に大きく変わっている場所もありました。

そんなこともありましたが、何とか資料展は終えることができました。
来年も開催を予定していますのでよろしくお願いします。

2011年09月21日 21時43分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(4)いざ「タウシュベツ橋梁へ!

今回、私が参加した「タウシュベツ橋梁見学ツアー」は
『旧国鉄士幌線アーチ橋見学ツアー』と言い、
「NPOひがし大雪自然ガイドセンター」が主催しており、
この時の参加者は私を含め5名でした。

ツアーの開催期間(平成23年度)…4月29日~10月中旬。
時間…1)9:00~11:30
2)15:00~17:30(今回、私はこれに参加)
参加料金…一人3000円
※他のお客がいない場合は4000円でツアー催行。
※これとは別に早朝ツアー(朝5:30~7:00)あり。
但し、「タウシュベツ橋梁」が水没するまでの期間。

当初、私しか参加者がいないのでは?と思っていましたが、
他の方もいらっしゃってホッとしました。
ただ、このツアーは『旧国鉄士幌線アーチ橋見学ツアー』であり、
私の今回の目的である「タウシュベツ橋梁」が見られるのは、
シーズン初めから8月中旬頃までだそうで「NPOひがし大雪自然
ガイドセンター」のHPで先日確認したところ、8月19日(今年)には
その橋は“水没”直前でした。その理由はまた後日。

ということで、写真に写っているのは「NPOひがし大雪自然ガイド
センター」のツアー車で、この場所からは徒歩で「タウシュベツ橋梁」を
目指します。
写真でツアー参加者が長靴に履き替えているのが確認できますでしょうか?
長靴は「NPOひがし大雪自然ガイドセンター」が貸してくれるのですが、
この必要性は、直ぐに分かることになります。

また、今いる場所に私たちが個人の車(レンタカーを含む)で入る場合は、
林野庁十勝西部森林管理署の『許可』と、この場所に至る道路の
ゲートの鍵を借りれば、来ることが可能だそうですが、様々な手間や安全を
考えれば、こうしたツアーで来るのが最善の方策と思いました。
※林道の鍵を開けて入山すると言うのは、今から20年以上前に、
北アルプス「槍ヶ岳」の山頂から中継した際、中継機材を登山道の
入り口まで林道で運んで以来の経験でした。
(趣味でも無いのに槍の穂先まで行っています。その時のスタッフは多分、
全員が私と同じ???)

2011年09月20日 18時35分

国鉄士幌線の思い出(3)「十勝三股」駅のスタンプ。

昭和52年2月23日の「十勝三股」駅のスタンプです。
国鉄の増収キャンペーンだった『DISCOVER JAPAN』の文字が
懐かしくもありますが、当時、キャンペーン開始から相当の時間が
経っていたこともあり、スタンプそのものが使いすぎから潰れて
しまっていたり、スタンプ台のインクが減ったりで、折角押しても
不鮮明なスタンプも少なくありませんでした。
そういった意味からここ「十勝三股」のスタンプは押す人の絶対数が
少なかったこともあるのでしょうが、綺麗に押すことが出来た駅の
部類に入ります。
(日付もハッキリ読み取れます)

また近隣の観光地として大雪山国立公園ニペソツ山の山容のイラストが
目を引きますが、「ニペソツ山」で検索すると相当な数の検索結果が
表示されるので、登山の対象となる山としては有名なようです。
ただこの「十勝三股」がその下車駅として利用されたかどうかまでは
私には調べきれていません。

ところで皆さんは急行「大平原」号をご存知でしょうか?
知っている人は今では少数派と思いますが、私の手元にある昭和42年の
交通公社時刻表(8月号)では掲載されています。
この列車は広尾線「広尾」と士幌線「糠平」を結ぶ夏季の臨時で、
支線と支線を結ぶ急行として、またその名前の“雄大さ”から話題を
呼んでいたと記憶しています。
因みに下り広尾発16:05、糠平着19:06
上り糠平発7:35、広尾着10:16で
時刻表ではいわゆる広尾線・士幌線のページにはその記載はなく、
「夏の季節列車」のページにあり、実は私はこの列車を時刻表で捜すのに
手間取りました。
(Wikipediaによれば昭和42年~昭和50年間まで運行、
昭和50年は広尾線内のみ)
もう一点、この列車は日高本線~国鉄バスと連絡となっており、
時刻表では、札幌~糠平間の通しで掲載されていました。

当時、その名前に惹かれ、一度は乗ってみたいと思いつつその願いは
結局叶いませんでした。士幌線の話しを書きつつ思い出したので…失礼。

2011年09月20日 8時00分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(3)旧士幌線は散歩道。

上士幌町鉄道資料館の奥には、旧士幌線の線路が残っています。

左の写真が旧「糠平駅」から「十勝三股」側で、右の写真が「帯広」側に
なります。
ここ「上士幌町鉄道資料館」を起点に、夏場(7月~8月の土・日・祝。
但し2011年度)には、「NPOひがし大雪アーチ橋友の会」により
『鉄道トロッコ試乗会』が行われており、この線路上を“足こぎトロッコ”で
走ることが出来ます。片道662メートルを一往復するもので、
所要時間は約20分とのこと。
風景も良いとのことで、子供向けのアトラクションなどとは思わず、
時間とタイミングが合えば体験してみたいと思いました。
(と言っても一人で乗るのは悲しいですが…)

また左側の写真の「十勝三股」側は、ここ「上士幌町鉄道資料館」を起点に
約8キロ先の「メトセップ」(地名と思われます)までの『北海道自然歩道
大雪の道』となっており、昭和30年(1955年)に作られた
3つのアーチ橋の上を歩くことも出来ます。“健康+鉄”が楽しめる場所は
他にはあまり無いでしょう…、等と書きながら私は歩いていません。
悪しからずご了承ください。
また、「上士幌町鉄道資料館」では“熊避け”の鈴も売っています。
これは“お土産”にもなりますが、どうやら北海道では『洒落』では
ないようです。

2011年09月20日 0時00分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(2)上士幌町鉄道資料館の展示物。

この「上士幌町鉄道資料館」、規模は小さいものの、士幌線の歴史が
よく分かるように工夫された展示になっています。

上段写真では「上士幌駅」の駅名標が輝いていますが、
画面中央にある駅の出札口でみかけた硬券乗車券を入れていた乗車券箱に
心惹かれました。
鉄道ピクトリアルの2011年10月号「特集:去り行く風景」にも
その姿がありましたが、実はこうした“道具”が現役時代の写真を
私は持っていません。
まだまだ現役で使っている鉄道会社も多くありますが、
こうしてここで改めて見て、やはり既に『郷愁』の世界の出来事に
なっていると実感しました。

下段写真は、士幌線が現役時代の「駅」の写真で、
『懐かしい光景』というより、何か不思議な遠い世界のように見えました。

この他、「第三音更川橋梁」(国登録有形文化財)の建設中の写真が
展示されているなど、興味深い内容が多く、当初はささっと10分くらいで
回るつもりが結局30分近くかけてじっくり見てしまいました。

ところで帯広からここ上士幌町糠平まで、公共の交通機関(路線バス)で
来るには、旧士幌線並みの本数ではありますが、バスの所要時間は
1時間40分強で、旧士幌線の所要時間と大差が無いのが少々悲しいです。
※昭和52年2月当時の帯広~糠平間の最速列車の所要時間は1時間19分。
時間のかかる列車はバス並みもあったと当時の時刻表から推測されます。
※帯広~旭川間の都市間バスなら同区間は1時間10分ほどで到着しますが
帯広からのバスで下車することは来ません。参考までに。

私は今回、レンタカーで回りましたが、時間効率と立ち寄り場所を考えれば
止むを得ない選択でした。

2011年09月18日 18時33分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(1)上士幌町鉄道資料館に立ち寄り。

平成23年7月13日の最大の目的は、旧士幌線の「タウシュベツ橋梁
(をメインにした)見学ツアー」に参加し、自分の目で
「タウシュベツ橋梁」の美しさを感じること!でした。
勿論「タウシュベツ橋梁」のみならず、士幌線はその廃線後にも
数多くのアーチ橋が残されているなど、楽しみどころが満載なのも、
ここに足を運ぼうと思った大きな理由です。

「タウシュベツ橋梁」については近いうちに説明しますが、
『廃線マニア』の方には垂涎の的といっても良い場所(多分、反対する人は
いない思う…)で、その美しい姿は「鉄道」系というより、
「風景写真」のジャンルで何度も発表されており、『廃線マニア』では
ない私も、自分の目で一度は出会っておきたい風景でした。

そしてそこに向かう途中、糠平温泉の玄関口「糠平」駅跡にある
「上士幌町鉄道資料館」に立ち寄りました。
「鉄」の方で私と同じ「旧士幌線」を目的にした方には、
『立ち寄らない理由が見つからない』と言われそうな場所です。

洒落た建物の横には、下段写真の貨車(ヨ4843)+何かの台車部分が
静態保存されています。
私がここに着いたのは既に午後2時を回っており、人影もなく、
この資料館が本当に開館しているかどうかが不安になるほどでした。

2011年09月17日 18時30分

国鉄士幌線の思い出(2)真冬の十勝三股駅。

昭和52年当時、1日4往復の列車が発着していた終点の「十勝三股」です。

当時「国鉄完乗」を目指すものにとって、効率の悪さでは
トップクラスの路線で、ここだけではなく当時北海道は閑散路線の宝庫で、
それゆえこれまでにも何度か書いた覚えがありますが、就職前に
「まずは北海道を完乗」と誓いを立てたのは当然の帰結でした。

ところで北海道に並ぶ、もう一方の「完乗」の大敵は九州の筑豊地区でした。
ただ筑豊地区はそれぞれの線が微妙に絡み合っていたりして、
まだパズルの解きようがあったのですが、北海道は盲腸線
(行き止まり)が多く、相当に苦労しました。(まあ、今では苦労と言うより
楽しい思い出となっていますが…)

そんな“苦労”の結晶がこの写真です。
この時、この駅でというか士幌線で撮影した写真は全部で4枚。
この2枚にプラス上段の写真に私が写っている記念写真と、
下段写真を逆方向から撮影したものです。
たったそれだけしかありません。でもそれが私の当時の精一杯で、
今思えば残念×5どころか30乗くらいの悔しさです。

こうして見ていると私の乗ってきた酷寒地向け仕様のキハ12形2連は、
そのバス窓が時代を感じさせますし、そもそも「幸福駅」で保存されている
「キハ22」の一世代前の車両となります。
余談ですがキハ12形は豊橋鉄道の「納涼ビール電車」の『3203』と
ほぼ同世代のはずです。

「昭和は遠くなりにけり」。実感です。

●「十勝三股」まで乗車した人は私以外に数人いたような記憶がありますが、
この駅から家路につくとか仕事に向かった人の記憶がありません。
きっといたのでしょうが、それ位『鉄道』の必要性に“?”がつく
路線でした。

2011年09月16日 18時27分

国鉄士幌線の思い出(1)入場券ラインナップ。

昭和52年2月23日。この日、私は士幌線の「帯広」~「十勝三股」間を
乗車しました。

(往路)725D/「帯広」発12:50、「十勝三股」着14:59
(帰路)728D/「十勝三股」発15:21、「帯広」着17:14

そこで今回、その時に購入した入場券を並べてみました。
なお、並びは帯広から十勝三股に向けて並べてありますが、
実際には「音更」」は帰路に購入しています。

「士幌」は時刻表では13:37発とあり、ここでの交換列車は
無かったのですが、多分、運転時間に余裕があったものと思われます。
「糠平」は14:31発なのですが、上り列車では隣駅の
「黒石平」と「糠平」間がどの列車も9分の設定にも関わらず、
この725Dでは15分の設定になっています。
「黒石平」から「糠平」方向には上り勾配が続いているので、
それを斟酌する必要があるもののそれでも15分もかかることはなく、
多分、2~3分程度の停車時間があったのでしょう。

「十勝三股」はさておき、帰路に購入した「音更」ですが、
ここは下り727Dと交換しており、なおかつその727Dの発車時間
(16:58)から3分過ぎての17:01出発だったので余裕で
購入していたと察しがつきました。

2011年09月16日 8時00分

名鉄電車の不思議…座席の番号。

写真の座席番号をとくとご覧下さい。

小さな画面の方には、多分読み取れないと思われ申し訳ありませんが、
右の座席番号は「12A、12B」となっており、
左の座席番号は「13C、13D」です。

「あれっ?」と思いませんか???

この座席番号は、名鉄のパノラマスーパー1000系のもので『2号車』の山側(豊橋方面に向かって左側)の座席です。

つい先日、豊橋に行く用事があり、いつもならミューチケットを買って乗車することは無いのですが、何故か気が向いて特別車の乗客となりました。

私の席が12Dだったので、自席を捜し『13D』の次・・・???『12D』が並んでいないのです。
で、反対側を見たらありました!『12D』が。

こうして私はこのA・B・C・Dの“謎”にぶち当たったのです。
参考までに、『13』『14』の席は車椅子対応の3列シートとなっており
お察しの通り、『13C』『13D』が2人席。
通路を挟んで反対側(海側)が1人席で席番号は“A”がふられており、
“B”は欠番です。

どうしてこうなったのでしょう?
名鉄電車に詳しい方に聞いたところ、そもそも全車特別車の4連を
2両づつに分けて一般車の4連と合わせて、「一部特別車」の
6連としたことが発端なのだそうです。

その際、岐阜方の2連は方向転換を行っており、
そのため、1000系パノラマスーパーの3列シートの1人席は、
半分の編成が山側で、半分が海側にあるのだそうです。

更に座席指定の“A”が1人席、“C・D”が2人席となっているのは、ミューチケットの発券上の問題(特に一人席の特定)から変更するわけにはいかず、この席番となったのではないかとのことでした。

なお、この席番の車両に乗り合わせるのは「結構珍しい」と聞き、
なんだか一寸得した気分になりました。

ただ、この文章を書きながら「知っている人が多かったらどうしよう?」と
ドキドキしている自分がいます。

2011年09月15日 18時53分

「名古屋の電車風景」今日から開催中。

私が会員になっているNPO法人『名古屋レールアーカイブス』
(略称;NRA)では所蔵資料展を今日から開いています。

今回は 「定点観測 市電が走った街並みは…今 名古屋の電車風景」という
テーマですが、少し『街並み』を写真として残すことについて考えて
みることにしました。

写真は昭和47年2月29日に、今の名古屋駅前で私が撮影した写真です。
(名古屋市電の話題は、これまでにも平成22年11月19日・
20日にUPしています)

この写真には無くなったもの、変わらないものなどいろいろ写っていますが、
それより何より当時の『街の風景』を感じていただけるのではと
思っております。

ところで最近私は、鉄道を撮影した写真のジャンル分けには以下の考え方もあるのではと思い始めています。

一つは、“鉄道”をテーマにした“撮り鉄”さんの渾身の一枚ともいえる写真。

二つ目は『車両形式写真』と言われるジャンルで、通常であれば
特定の車両を斜め前から撮影し、その車両の特徴が詳細にわかるモノですが、
駅などで停車中の車両を撮影した写真を含めても良いと思っています。
また車両の各パーツを押さえた写真もここに入りそうです。

そして三つ目が今回の展示会のような、その時代の生活感や時代背景を
感じさせる『改めて見てみれば資料的価値がありそうな情景』とも言える
写真群です。
勿論、その3つの境目がはっきりしていることなどはあるはずもなく、
撮影した時は私もそうですが、それぞれが『渾身』の一枚でしょう。
まあ写真の受け止め方(見た印象)だとは自分でも分かっていますし、
私の考え方はあくまでも私個人の考えであり、独善的であることを
お許しください。

で会場においで頂き、写真を見てもらえば分かってもらえるとは思うのですが、
それは今回のテーマ『電車(鉄道)のある街並み』を写真として残すことの
難しさです。
実際、いわゆる「鉄道」写真で『街並み』の変貌を伝えられる様な
写真を私は殆ど持っていません。

また今回の新旧比較の『新』の写真は、“鉄道”が写ってはいないため
『旧』の写真がなければ、ひょっとしたら見向きもされず、
それ以前に撮影する人はいないでしょう。
でも、例えばこれから20年後くらいに、今回と同テーマで展示会を
行ったとすれば、間違いなく今回の『新』写真も意味を持つはずです。

例えは難しいのですが、皆さん方が自宅での“いつもの”食事を
撮影したことはありますか?
もっともあるとすれば『何か特別』な記念日の特別なメニューかも
しれませんが、10年単位の“庶民の日常生活の記録”と考えれば、
『“いつもの”の食事』に価値がありそうだとお感じになって
いただけないでしょうか。

路面電車は道路を走るという特性上、『街並み』を写すことは簡単とは
言わないものの可能でしょう。
今回の展示をきっかけに私は、『街』を感じる路面電車に限らない
鉄道の写真も撮っていきたいと思い始めています。

最後に、今回の写真は自分でも(写真芸術とは無縁な)
「単なる情景」写真だと思っていますが、そこに写っているのは
まさしく『昭和』の“風景”であると確信していますし、
こうした写真も残す必要性もありそうだと思っています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!