2011年09月15日 8時09分

名古屋レール・アーカイブス展示会、ただいま準備中。

今日(9月15日)の朝10:00から私の所属するNPO法人
「名古屋レール・アーカイブス」(NRA)の第4回所蔵資料展が始まります。

今回のテーマは「定点観測 市電が走った街並みは・・・いま
名古屋の電車風景」です。

昨日は夕方から準備を始め、終わったのは午後8時過ぎでした。
写真はその準備風景で、会場内の飾りつけを終え、
最後に一番最初に皆様方の目に触れるであろう会場の表側である
地下街サイドを最終調整しているところです。

●NRA所蔵資料展会場…名古屋・栄地下街ギャラリーチカシンA室。
●会期…明日9月15日(木)~21日(水)10:00~19:00
    最終日は16:00まで
◆会場は、地下鉄東山線の一番「藤が丘」よりの改札を出て、
 名鉄「栄町」方面への階段を下り、直ぐに左側に向かった場所です。
名古屋市民の方でも、一瞬迷われる方が多く、昨年も「少し分かり難い
場所ですね」と何人の方にも言われました。
栄地下街にあるのですが、ギャラリーがあることを私もNRAに
所属してから知ったくらいですから押して知るべしと心得ています。

展示の内容はテーマの通りですが、名古屋市電だけではなく
名鉄瀬戸線(瀬戸電)の定点観測もあります。
もしお時間が許されるようでしたら、一度足を運んでいただければ幸いです。

2011年09月14日 18時33分

「愛の国」から「幸福」へ(9)新旧乗車券の比較。

ここで新旧の「愛国」~「幸福」の乗車券を比較しても
しょうがないのかもしれませんが、一寸気が向いてしまったので
ご容赦下さい。

「旧」(上段写真)は昭和52年の2月23日の発行で、
前にも書きましたが、私が旧広尾線に乗ったのは昭和49年2月17日で、
この日付けの時ではありません。
昭和52年2月23日、この日私は旧士幌線に乗車しており、
その日は帯広ユースホステルに宿泊しているのですが、
そこで同宿だった方から頂いた(110円で)ものです。
その方は何枚もお持ちで、「欲しい!」と言う方に“原価”で
分けていました。
ということで私も「青春の思い出」の一枚と手元に残しました。

また「新」の方は、まさしく今回の訪問の際、「愛国駅」前の
お土産屋さんで購入したもので、その違いは色が褪せているかどうかと、
運賃の違いだけです。
因みに220円は廃線時の運賃で、「お土産(縁起物?)」としての
販売価格も220円でした。

「新」バージョンは「愛国駅」だけではなく「幸福駅」前の
お土産屋さんでも販売しており、私以外の人影が無かった
「愛国駅」はともかく、「幸福駅」では購入している方を何人か
見かけました。
私も複数枚購入し、私が「幸せ」になってほしいと思う数名の方に
プレゼントしました。

そんな何やかやで7月13日の午前中は時間が過ぎ、いよいよこの日の
メインイベントへ向け車を走らせる事にしました。さてそこは???

2011年09月14日 8時01分

「愛の国」から「幸福」へ(8)幸福駅名物って?

デジャブ(既視感)。行ったことが無いのに、行ったような気がする場所って
ありませんか?
私にとって、それが「幸福駅」です。

で、下段写真は「幸福駅」名物の名刺や写真などが一杯貼られている風景です。
個人情報の塊なので、どうやって撮影しようとか悩み、
挙句にここでUPするのも止めようかとも思ったものの、この写真なら
多分大丈夫であろうと判断しました。やはり「幸福駅」名物ですし…。

この光景は、それこそメディアに何度も何度も取り上げられているのを
ご存知の方も多いと思いますが、それこそこの「愛国」「幸福」が
有名になった昭和48年以降、私がここを通過した昭和49年当時には
この光景が始まっていたはずで、それが今でも、というか『これほど』までに
続いていることがある種驚きでした。

それはともかく、メディアへの登場だけではなく、私の知り合いも
結構この駅に出かけており、その方たちから撮影した写真を見せて
もらったことも多く、きっとその印象が私の脳裏に焼きつき、
それでまるで自分も行った様な気になり、冒頭の『デジャブ』に
繋がったような気もしています。

それにしても、どこかの駅や神社仏閣で名刺や千社札を
一杯貼り付けられているのは何度も見ていますが、
それで迷惑を蒙っているところも多かったはずで、ここまで公認されているのは
珍しい存在かもしれません。
因みに帯広市のHPによれば、「愛国駅」に貼られた名刺や写真は
「愛国神社」の“どんど焼き”で焼却しているそうです。
「幸福駅」も同様なのでしょうか?

2011年09月13日 18時28分

「愛の国」から「幸福」へ(7)キハ22形に試乗(?)。

旧幸福駅は公園をして整備されており、そこにはキハ22形が2両
(手前がキハ22-238で奥がキハ22-221)とモーターカーが1両、
静態保存されています。

上段写真で2両のキハ22が確認できると思いますが、
奥のキハ22-238はホームに掛かっていませんが、
「221」の方はホームのあるところに停められており、
中に入って見学できるようになっています。(下段写真)

まあ扇風機のある風景や椅子の座り心地は2429Dのキハ40系も
たいして変わるわけではないですし、まあ、それほど古めかしくて
レトロ感タップリというわけでもないのですが、私が注目したのは2点。
一つ目はボックスシートの右側一番手前の所に残されていつ『灰皿』!
このタイプの灰皿は、所謂国電タイプの車両が走っていた路線の車両を除き、
昭和の時代にはボックスシートタイプの車両では必ず見かけ、
また4人がけであれば必ず使う人がいて、紫煙を燻らせていました。
(今考えればタバコを吸わない人には大迷惑の時代でしたね)

特急等の喫煙車はともかく、普通列車から灰皿が無くなった
(つまり全車両禁煙化された)のは一体いつ頃だったのでしょう?
あまりにも年月が流れ過ぎて覚えがありません。

何だか“懐かしく”なって灰皿がある車内風景を撮影してしまいました。

また、床を見て『「キハ22」って床材が木だったんだ』と気付かされました。
昭和30年代の製造でしょうから当然、不思議は無いはずなのですが、
何故か私のイメージの中ではそうはなっていませんでした。

2011年09月13日 8時06分

「愛の国」から「幸福」へ(6)「幸福駅」は観光地!

「愛の国」を出発して「幸福」に到着しました。

着いてビックリ!ここには広大な駐車場も整備されており、
何とも一大観光地のようです。
流石、「恋人の聖地」です
人影の見えなかった「愛国駅」とは大違いで、実はここに掲載した写真は、
人の流れを見計らいつつ、一瞬の隙をついて撮影したものです。
もっとも溢れるほどの人出と言う意味ではなく、ホームや駅舎・駅前には
いつも数人がいて、それが途切れないということです。

「愛国」と「幸福」のこの落差の理由は良く分かりませんが、
とにかくそういう状況でした。
やはり「愛国」を「愛の国」と見立てるより、「幸福」というストレートさが
良いのか、単に「愛国」よりも「幸福」を願う人が多いということでしょうか?

そう言えば昭和の時代にも記念写真を撮る人は「愛国」より「幸福」が
多いと聞いたような気が…。

その幸福駅にはキハ22が静態保存(上段写真)保存されているのを始め、
訪問者の殆どの方が記念写真を撮影する「幸福の鐘」(中段写真)や、
あって然るべきの愛国駅とセットの「恋人の聖地」の記念碑(下段写真)等が
あります。

「幸福の鐘」の最上部には『HAPPY BELL こうふく』と書かれていますが、
若干ですが鉄道チックな味わいが感じられる体裁になっています。(私の感想)
また「恋人の聖地」の記念碑も、ここ「幸福」では“乗車券”風のアレンジが
ご愛敬です。

2011年09月12日 18時55分

「愛の国」から「幸福」へ(5)19671号機が待っています。

「愛国駅」の駅舎を通り抜けホームに出ると『19671』が
私を出迎えてくれました。

この『19671』の説明板によれば大正7年(1918年)の
川崎造船所製で、北海道各地で活躍したのち、昭和47年から釧路鉄道管理局の
配置とありましたので、ここ広尾線に縁のあった機関車ではなかろうかと
推察した次第です。
その後、昭和50年に廃車となった『19671』ですが、
廣済堂出版「蒸気機関車完全名鑑」(2009年12月20日発行)に
よれば、平成2年まで帯広市内で保存され、その後ここ移設されたようです。

保存状況は屋外の野晒しにも関わらず、思ったより良好なので、
地元の方たちがキチンと管理をされているのであろうと感じましたし、
運転台も覗くことができますがこちらの状態も良好でした。
(比較対象の問題もありますので、あくまでも私の感想です)

上段写真の様な駅のホームを広く入れ込んだ写真を撮影すると、
動かない蒸気機関車がたった1両というのは淋しい感もありますが、
北海道らしい伸びやかな空間の中にいるので、思ったよりは寂寞感が
漂っていません。

私はしばしホームに腰掛け、足をブラブラさせながらノンビリして
いましたが、結構気持ちが良かったです。
まあ、これは夏だから出来る楽しみ方なのかも知れません。

2011年09月12日 8時49分

「愛の国」から「幸福」へ(4)『恋人の聖地』って?

今時、「恋人の聖地」というのがあるのを、ここ「愛国駅」で知りました。
上段写真はその「記念碑」で、先回の写真で駅舎の直ぐ右側にあります。
(ちょっと分かりづらいですね)

最初に「Lover’s Sanctuary」(恋人の聖地)と
「ようこそ恋人の聖地 愛国駅へ」の文字を見た時は仰天というか
小っ恥ずかしくなりました。年の所為(せい)でしょうか?
何せ昭和62年の広尾線廃線当時の姿“だけ”が残されているものだと
思っていたからです。

それにしても50代後半の私にとって「恋人」と言う文字が眩し過ぎて
直視できませんでした。
(いくらなんでもそこまでのことはあり得ないですね…)
それはともかくこの「恋人の聖地」とは『NPO法人地域活性化支援センター』
が主体となって全国の『プロポーズ』ふさわしい“ロマンティック”な
スポットを選定しているそうで、ここ「愛国駅」と「幸福駅」はセットで
平成20年7月1日に「恋人の聖地」になりました。

余談ですが、愛知県の「恋人の聖地」は、1)名古屋テレビ塔、
2)恋路ヶ浜と伊良湖崎灯台、3)茶臼山高原/芝桜の丘となっています。
何れにしろ私には縁の無い話しです・・・。

画面が小さくて申し訳ありませんが、この記念碑の左側には、
なぜ「愛国」⇒「幸福」の区間の乗車券が1000万枚以上も売れる大ブームに
なったかの謂れも書かれており、これは何となく“雰囲気”で
ここを訪れた人にも分かりやすい親切な解説になっています。

また駅そのものが交通記念館になっており、広尾線の歴史が分かる
展示等がされています。
なお15分もあれば一通りの見学が可能です。

2011年09月11日 18時04分

「愛の国」から「幸福」へ(3)平成23年の「愛国駅」。

「帯広」に着いたのは10:03。
その日、宿泊の予約をしたホテルに荷物を預け、早速レンタカーを借りて
旧広尾線に存在した「愛国駅」をまずは目指しました。

私は昭和49年2月17日、この「愛国」駅(そしてこの先紹介する
「幸福」駅)を通っています。
乗車列車は826D、広尾発13:02~帯広着15:15で、
「幸福」発は14:45、「愛国」発は14:59でした。
ただその道中は冬だっただけに、景色は全く記憶に無く、
今回、改めて逆方向から車で向かい、思いのほか民家もあり、
途中には市街地もあって『何も無いところを走り抜けた広尾線』という
勝手なイメージは見事に覆りました。

ところでその「愛国」駅は、「帯広」駅から思ったよりも近く、
11時にはもう上段写真の「愛国」駅に着いていました。
昭和49年の時刻表で確認しても距離にして11キロ、時間でも15~6分
くらいですからさもありなんです。
(現在、十勝バスでも30分強で着きます)

さて私がこの駅を訪れた7月13日は、夏休みにはまだ早いのか、
駅前にも駅構内にも人影はなく、下段写真のかの有名な
「愛国から幸福ゆき」を模(かたど)った記念碑だけが私をまず
出迎えてくれました。
●記念碑の一番下にある「愛国地域活性化協議会発行」の文字ですが、
本来の乗車券ならここは「愛国駅発行」となるはずです。
どんな事情があったのでしょうか?
まあ、これを作った方たちの『思い』という意味なのでしょう。

余談ですが、駅前には廃貨車(「ヨ4353」と読めました。
ボロボロの状態ですが…)が1両とお土産屋さんがあります。
そのお土産屋さんでは“復刻版”愛国⇒幸福の乗車券が購入できます。

2011年09月11日 9時01分

名古屋の電車風景

今週の木曜日(9月15日)から、来週の水曜日(9月21日)の間、
私が会員になっているNPO法人『名古屋レールアーカイブス』(略称;NRA)では所蔵資料展を開きます。

今年で4回目となった今回のタイトルは
「定点観測 市電が走った街並みは…今 名古屋の電車風景」です。

“定点観測”ということは、上段写真のような名古屋市電が走っている
過去の街並みの写真と、下段写真のような現在の街並みの比較を
しているのですが、例えば今回の写真は展示写真の一例で、
広小路通りの納屋橋界隈で撮影されたものです。

※と言っても場所が分からない方もいらっしゃると思いますが、
名古屋駅と名古屋の繁華街・栄(当時は栄町…地下鉄は「栄」に
変わりましたが、名鉄電車の駅名でその名が残っています)の間を結ぶ、
昭和の時代の名古屋のメインストリートで、納屋橋はその間にあります。
名古屋ヒルトンホテル、名古屋観光ホテルの西側あたりと言えば
分かってもらえるでしょうか?

●第4回NRA所蔵資料展「名古屋の電車風景」
●9月15日(木)~21日(水)
 10:00~19:00(最終日は16:00まで)
●場所…名古屋・栄地下街/ギャラリーチカシンA室
 (名鉄瀬戸線栄町駅の南)

私のように「名古屋市電」の現役時代を知っている者にとっては懐かしく、そして過去から現在まで思い出を繋いでください。
そして知らない世代の方には「名古屋市電が走っていた時代」の
息吹を感じてもらえれば幸いです。
手前味噌で恐縮ですが、皆様にお越しいただければ幸いです。

私も18日(日)、19日(月)の2日間は、ほぼ会場にいる予定です。

2011年09月10日 18時42分

「愛の国」から「幸福」へ(2)キハ283系の展望室。

以前にも書いていますが、私は今回の釧路訪問まで、283系
(だけではありませんが)の、編成両端にある展望室は全面的に
立入禁止となった誤解していました。
よくよく考えてみればJR北海道も「先頭車両の展望室は立入禁止」と
発表していましたが、「最後尾車両の立入禁止」とは言っていませんでした。

キハ261系ですと上り列車の帯広方の最後尾車両はグリーン車ですので、
それを横断するのは少々勇気が要りますが、キハ283系の
釧路方最後尾車両は普通車ですのであまり気が引けません。

そこで1号車を通り抜け…、と言っても私の指定席は1号車でしたので
さほどの距離を歩くこともなく展望室に辿り着きました。
上段写真の「関係者以外の立ち入りはご遠慮願います。」の札の掛けられた
ロープは、最後尾車両の展望室部分の入り口では、片隅に片付けられて
いました。

こうして私は、指定席を取っていたにも関わらず、この楽しみを
知ってしまったばかりに随分長い時間、この場所を占拠していました。
多分、30分近くはそこにいたと思いますが、その間、誰もここには
現れませんでした。

大多数の『ビジネス』と思われる乗客の方にとっては興味の対象外
なのでしょう。
それとも先頭車ではないので、展望ビデオ気分が味わえないからでしょうか?



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!