2011年11月30日 18時00分

リニモ車両基地見学会(4)分岐器は本体ごと移動。

今回の「車両基地見学」では、私の入っていたA班はまず「リニモ」の
概略を知るビデオを鑑賞し、その後、「運転司令室」見学をし、
続いて屋外での「リニモ」の『浮上・着地』を間近で見、
更にご覧の「ポイント」の切り替えを見学しました。

リニモのポイント切り替えをまじまじと見たことは今回が初めてで、
実は、今回の見学会で「愛・地球博記念公園」で、ポイントの切り替え
(というより“移動”の方が相応しいですね)を乗務員さんの解説付きで
見てはいたのですが、ここ車両基地内ではより近くでそれを実感したことに
なります。

東京モノレールなどで“構造物本体”が動く大掛かりなポイント
切り替え(移動)は何度も見ているのですが、ここまでの至近距離で、
しかも側面から見るのは感動もので、金網越しではあるものの、
参加者の皆さんは盛んにカメラのシャッターを押していました。
勿論、私もその一人でした。

私は“普通”の線路でも、ポイントが切り変わる様を見るのは
『好き』な方だと思いますし、7月の北海道では2箇所でポイントを動かして
一人悦に入っていました。この「ポイント切り替え」という行為は
大袈裟に言えば「人生のターニングポイント」の選択をしているような気分で、
一度切り替わればそのレールの上を走るしかないことになります。

その選択に間違いがあれば鉄道では大事故ですし、個人の人生でも
大きな分かれ目です。もっともそんな大それたことを『ポイント切り替え』を
見る度に考えていることはなく、まずは珍しいものを見た気分でした。

2011年11月29日 17時58分

リニモ車両基地見学会(3)リニモの居場所は一目瞭然。

「運転司令室」のリニモ運行状況のモニター画面のUPです。

上段写真は「藤が丘」駅と「はなみずき通」駅の区間の表示ですが、
“赤い”線の部分が今、正にリニモがいる場所です。つまり、画面中央の
クロスしている場所が「藤が丘」の渡り線部分で、写真でそこが
“赤い”ということは「八草」発「藤が丘」行きの編成が本線から
ポイントを渡り、「藤が丘」に入線しようとしていると言うことになります。

なお時間経過で話しをすると、渡り線の色はもともと「はなみずき」から
「藤が丘」構内(上の番線)に向かって白く表示されており、
その内「藤が丘」行きが「はなみずき通」を出発すると共に徐々に
“赤い”線が「藤が丘」に近づき、最終的にご覧の通り渡り線を通過し、
この後、「藤が丘」のホームの上側の線が「白」から「赤」に変わりました。
この間、「藤が丘」の画面下側の線とそこから「はなみずき通」へ
向かう渡り線には『色』は表示されず“黒抜き”のままでした。(当然です。そうでなければシステムトラブルでしょう)
参考までに「藤が丘」と「はなみずき通」の間にも1本の“赤い”線が
ありますが、「八草」行きがここを走っている証明となります。

一方下段写真は車両基地内の表示ですが、一番上から2番目の線が
「赤く」なっており、かつ一番下の線も「赤い」のはそこにもリニモがいると
いうことで、解説すると上の3線は留置線であり、下の2線は工場内と
なっており、何れにしろ基地内までシステムで監視されているのは
少々驚きでした。

2011年11月28日 18時10分

リニモ車両基地見学会(2)車両基地を覗いてみれば。

上段写真は、実は帰りのリニモの車内から撮影した車両基地で、
今回、往路の乗務員さんの説明で気付いたと言うのも何ですが、
リニモには防音壁が無いため非常に見通しがよく、こうした写真を
撮影できました。
で、この日、私は1時間ほどこの「車両基地」の中にいました。

ところでリニモに防音壁が無い理由ですが、浮上して走行するので、
レールとの接触がなく、そのため騒音が少なく、結果、一部を除き
その路線の殆どが高架であるにも関わらず防音壁は無くても
大丈夫なのだそうです。成程ね!

下段写真は普段は絶対に見られない「運転司令室」です。
これは私が今回のイベントに応募した理由(1)となるわけですが、
通常、3人の方がこの中で運転状況の『監視』をしているそうで、
正面のモニターには、今、どこをリニモが走っているか?
ポイントはどの番線に繋がっているか?
が、本線のみならず車両基地内も含め一目で分かると共に、
各駅の監視モニターの映像が常時確認できるようになっていました。
まあ、当たり前と言えば当たり前の話しで恐縮ですが、やはりこうして
目の当たりにすると少々興奮してしまいました。

また、「運転司令室」の右側にはパソコンと電話の受話器が並んでおり、
駅や車内の乗客の方からの連絡はそこで対応するようになっています。

たまたまですが、丁度私たちの見学中にどこかの駅からと思われましたが
『問い合わせ』の連絡があり、係りの方が正面のモニター前を離れ、
右側のデスクで対応されていました。ガラス越しのため中の音は外に
漏れていないので詳細な状況は分かりませんでしたが、緊急事態で
ないことだけは担当者の方の表情から読み取れました。

2011年11月27日 15時54分

リニモ車両基地見学会(1)10月29日、回送列車(?)に乗車。

10月29日(土)、抽選に当たったのでリニモの車両基地見学会に
出かけました。
●イベント名…「貸切リニモで行く!リニモ車両基地見学会」

朝9:30、集合場所の藤が丘駅には小さな子供連れを中心に大勢の方が
おられ、私のような『鉄の一人』は殆ど見かけませんでした。
参加者はリニモ1編成の『座席定員』104名で、「藤が丘」10:01、
案内表示では「回送」の列車(上段写真)に乗り込み、
途中「愛・地球博記念公園」では中線に入り、そこで『磁気浮上式』の
“浮上体感”実験をしつつリニモ車両基地の最寄り駅「陶磁資料館南」には
10:25過ぎに到着しました。
(下段写真は私たちを下ろしたあと、「八草」方面に向かう『回送』列車)

因みに私たちが乗車した“スジ”ですが、『愛知高速交通』が行っている
「わくわく貸切Linimo」という貸切体験列車のもので、
パンフレットによれば毎時01、31出発で本来なら「愛・地球博記念公園」
もしくは「八草」まで乗車となっています。
(11:01~16:31発の間で運行可能とのこと)

今回の『車両基地見学会』も基本的にはそれと同様の内容で、
「貸切リニモ」の特典である
1)普段は無人運転のリニモに乗務員が添乗し、リニモの魅力や秘密を解説。
2)「急加速」のデモンストレーション。
3)「着地・浮上」のデモンストレーション。
4)特製パンフレットの配布。
以上は全て私たちも楽しみました。

それにしても家族連れの中での一人は結構さみしいものがありました…。
子供が小さければきっと無理やりにでも連れてきたのでしょう・・・。

2011年11月26日 18時06分

小田急MSEに乗りました(3)小田原駅の解結。

先回も書いた通り、『メトロはこね23号』は10両編成で、「小田原」駅で
後ろの4両の解結を行っています。

で、その解結をしっかり見ようと思っていたのですが、先回の写真を
撮影している内に幌は外され、最後に貫通扉が閉まりきる瞬間に
かろうじて間に合いました。(左側写真)
そして16:39、定刻で箱根湯本に向け出発して行きました。(右側写真)

因みに右側写真で「箱根湯本」行きの車両を見送っている方は
小田急の方で「同好の士」ではありません。

さて今回のMSEですが、私の乗った10号車には「表参道」~
「町田」間でも10人ほどしか乗っておらず、乗車率で言えば20%以下で、
とても採算が成り立つような状況ではありませんでした。
恐らく平日朝の出勤や夜間の帰宅の足としての利用はあるのだろうとは
思うものの、土休日の昼間がいつもこの程度の乗車率であるとするなら、
知名度がまだまだ低いのか、それとも走る時間帯に難があるのか、
何れにしろ先行きが不安になってしまうほどでした。

「小田原」編成の各車両の乗車率は、下車した乗客の数から察して、
さほど10号車と大差は無さそうでしたが、残念ながら「箱根湯本」編成の
乗車率は確かめていません。ただそれでも同様だったのではと思っています。

今回私が書いていることが「実態と異なる」ということであれば
是非、ご指摘頂きたいのと、私の気持ちとしては「実態と異なっていて
欲しい」というのが本音です。

(余談)「小田原」編成の車内のLED案内表示を見ていて面白いと
思ったのがこの『メトロはこね23号』の行先が終始一貫して
「小田原」となっていたこと。
乗客サービスとしては『あり』と思いますが、「箱根湯本行き」に
乗っている者にとっては少々紛らわしいかもしれません。

2011年11月25日 17時48分

小田急MSEに乗りました(2)ブルーリボン賞受賞車。

平成20年登場のMSE/60000形は、平成21年に栄えある
『ブルーリボン賞』に選ばれました。
まあ今回の列車のスピードはともあれ、地下鉄線内を走る
定期「ロマンスカー」の価値がそれで損なわれることはありません。

写真は『メトロはこね23号』の「小田原駅」到着直後で、
私は最後尾の10号車に乗っていたので、そのままホームの端に行き
撮影しました。
車内整備の方は、駅の出口とは反対方向に歩く乗客がいるとは
思っていなかったようで、いささか驚かされました。

などと言うことはさておき、その正面を見ていたらそこには
「Blue Ribbon・・・・・ROMANCECAR MSE 2009」の文字が!
それで「ハタ」と気付いたのが、小田原で開放される4両編成って「1編成」と雑誌で読んだ記憶が…、と言うことです。 

お恥ずかしい話しですが、10号車に座っていて乗務員室ドアの左上に
『ブルーリボン賞』のお馴染みのプレートを見つけた時、
少々得した気分になっていました。
これまで『ブルーリボン』賞を受賞した系列の車両に乗ることは
度々ありましたが、受賞プレートを見かけることはそうそうある出来事では
なかったからです。

「乗り鉄」にも、「路線に乗る派」と「様々な車両に乗る派」の2つが
ありそうですが、何せ私は「路線に乗る派」で車両(形式)に疎く、
こんな初歩的なことは失念していました。
家に帰ってから思わず調べてしまったのですが、『やはりやはり』で、
“4両編成”のMSEはこの1本だけでした。
まあ今回は、ご愛嬌と言うことで・・・。

2011年11月24日 17時45分

小田急MSEに乗りました(1)始発の北千住駅で・・・、私は迷いました。

11月3日(木)、所用(仕事ではありません)で東京に出かけ、
その帰りに小田急のMSEに乗車しました。

本当は、午前中の所用を済ませた後、東京から更に別場所に出かける
予定だったのですが、夜の8時頃までに名古屋に戻る急用が出来、
そのため、せめてもの“抵抗”で小田急のMSEに乗り、東京メトロの
千代田線内の『ロマンスカー乗車体験』をし、小田原から新幹線で
帰名することにしました。
(北千住発14:43、小田原着16:34の『メトロはこね23号』)

で、まず向かったのは始発の「北千住」駅ですが、
ここで『メトロはこね23号』の特急券&乗車券を買う場所が
なかなか見つからず、結局、駅員さんに聞いて自動販売機(上段写真)に
辿り着きました。私の探し方が悪かったのでしょうか?
「北千住」初心者の方でMSEを利用される方は要注意です。
(私の個人的な感想)

その『メトロはこね』は発車時間の14:43の1分少々前にやっと入線。
(下段写真)
そそくさと乗り込んだところで直ぐの出発とあいなりました。

“特急”と言っても地下鉄線内で前の列車(「北千住」を4分前に出発)を
追い抜くことは無いので、ゆっくりゆっくり走ります。それでも、
リクライニングシートに体を預けて地下鉄線内を走るのは面白い経験でした。

「北千住」~「表参道」間の所要時間は29分。各駅停車と全く同じ時間が
掛かります。
(「北千住」~「小田原」間の所要時間は1時間51分)
次に「表参道」~「小田原」の所要時間は途中、「町田」の1駅に停車し
1時間22分。この所要時間が実は長い!ことに気付きました。
この列車の前を走る「はこね33号」は「新宿」~「小田原」間を
1時間9分(1駅停車)、更にその前の「さがみ73号」は4駅停車で
1時間14分です。

代々木上原で乗務員交代があり、運転停車はしますがそれは手元の時計で
1分も掛かっておらず、何せ、地下鉄を抜けてもノロノロだったので、
時刻表を見て驚いた次第です。まあ、考えようですが「東京都心」から
「町田」「小田原」「箱根湯本」まで座っていける列車と言うことと
考えることにしました。
(新宿~小田原間の急行よりは10分ほど速いと思います)

2011年11月23日 15時40分

桜通線可動式ホーム柵、異聞。

桜通線の可動式ホーム柵は、今年の7月23日に全駅で使用開始されました。
それで・・・。

『6207』の車体番号の下に、何かシールを剥がした痕跡があるのを
見て取れますでしょうか?
もともとここには広告があったはずですが、その位置ではその広告の一番下の
部分が、ホーム柵で隠れて見えにくくなりそうなのはご理解いただけるのでは
ないかと思います。

そこで名古屋市交通局では、一旦ここにあった広告を外し、
広告が隠れない場所に移動させたのがこの『痕跡』の存在する理由と
思われます。
これは車体番号下の広告だけが一部隠れたために移動させたわけではなく、
その編成の全ての広告が同じ高さの場所にあったことから、
隠れない位置への移動が行われた模様です。
ただ車体番号の所にあった広告は移動させるスペースが無いため、
今は写真のように何もない状態となっています。

もっとも私が毎日、通勤時に桜通線の車両を見ている限り、
『6000形』全編成の全ての広告が移動されているわけではなく、
どれ位の枚数が残っているかは不明ですが、編成によっては
まだまだこの写真の『痕跡』の場所に広告がある場合も見受けられます。
恐らく、順番に作業をされているのでしょう。

それでは「徳重」延長用に導入した『6050形』はどうなのでしょうか?
こちらは、車両導入の大前提に“可動式ホーム柵”があったためでしょうが、
当初から『全てが見える』広告となっています。

今回、実際の広告位置のバリエーションを写真で紹介しようと
思ったのですが、何せ広告をそのままUPするわけにもいかず、
この『痕跡』の写真を使うことにしました。ご容赦ください。

2011年11月22日 18時27分

10月8日の大井川鐵道(27)昭和53年の井川線。

昭和53年11月25日、私は「大井川鉄道」を完乗しました。
上段写真はその時の井川線井川駅で、下段写真は井川線の列車の前で
撮影した記念写真です。

この日の足取りは、
1)熱田8:27~浜松10:14
2)浜松10:17~金谷10:59
3)金谷11:34~千頭12:53
 ●大井川鉄道大井川本線SL急行
4)千頭14:05~井川15:41
 ●大井川鉄道井川線
5)井川15:48~静岡18:20
 ●大井川鉄道バス(時刻は私のメモ)
◆その後新幹線に乗り継ぎ。

この行程を見ていて気付いたのは、SL急行の所要時間はあまり差が
無いのですが、井川線はアプト区間が出来、機関車の付け替えが
発生したこともあり、当時は現在よりも10分ほど短い時間で全線を
走っています。

また、井川駅前から静岡駅前へ行く定期バスが当時はありました。
今も「畑薙第一ダム」~(井川駅)~「静岡駅間前」間に
『しずてつジャストライン』のバスが夏季に季節運行されているようですが、
この時期は運行されていないので、「井川」まで行った場合、
又来た道を帰るしか選択の余地がありません。
※「井川」は当時も今も静岡市内です。こんなと言ったら失礼ですが、
あまりにも山中で驚いたことを覚えています。

ところでここに写っている機関車はDB1形であることは間違い
ありませんが、現在、井川線で使用されているDD20形とのギャップの
大きさに唖然とさせられます。
如何にも『KATO』(加藤製作所製.模型メーカーではありません)と
書きたくなるそのフォルムには堪らない魅力がありますし、
現役時代を知っていることは幸せなのかもしれませんが、
線路の幅の違いはともあれ、客車も含めナローの森林鉄道との
あまりの差の無さには懐かしさよりも思わず笑みがこぼれてしまいました。

(大井川鐵道 完)

追伸:無料乗車体験『金谷茶を飲みながらSL重連列車に乗ろう!』では、
地元特産の「C11227」と記された志戸呂焼きの箸置がお土産に
付いていました。
そのお土産には地元の小学生の“手書き”のメッセージも同封されており、
その内容は金谷の街、そしてSLへの愛情が詰まっており、
心温まるものがありました。
今回のSLの旅で私は、新しい転車台の登場を含め。島田市が
大井川鐵道を観光の中軸として捉え、かつそれが全島田市民に
認知されていると感じました。出来そうで出来ないことですね。

2011年11月21日 18時23分

10月8日の大井川鐵道(26)オハの車内は風情あり。

帰りの「かわね路2号」は機関車の次位、1号車でした。
(下段写真参照)
1号車のオハ35-435の車内は、上段写真で見てとれるように
昭和の香りを漂わせており、何となく乗客の皆さんも昭和に
タイムスリップしたみたいです。
また、前方の貫通扉の窓越しに見る「C10 8」のヘッドライトが、
より「昭和」を深く味合わせてくれていました。

中段写真の灰皿も、そう言えばこんなスタイルのもあったと
席に着いてから思い出し、思わず一枚撮影してしまいました。
灰皿に蓋が付いていないタイプのものを見たのは一体、何年ぶりなのか
全く記憶がありません。

ところで、他の乗客の方の行動を見ていて「成程」と思った事が一つ。
それは、マスク持参の方がいたことです。
当然、トンネル対策なのですが秀逸なアイデアと思いました。
何故なら『トンネルに入る時は窓を閉める』という昭和の常識が
やはり一般的には通じておらず、というよりトンネルの中の「煙」を
楽しまれる方もおられるので、なかなか賢い対応策です。
(写真を撮影するのは憚られましたので証拠写真はありません)

その方たちは、60~70歳位のグループで、マスクをしてトンネル内の
煤煙を楽しまれているような気がしないでも無かったです。
但し、そのグループの方の名誉のために付け加えますと、
自分たちの席横の窓は閉められていました。

こうして私たちの大井川鐵道の旅は、新金谷16:10に到着して
終わりました。

最後に、この列車も“撮り鉄”さんのカメラの放列の中をひた走ったことを
報告します。皆さん、お疲れ様でした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!