2011年11月10日 18時00分

10月8日の大井川鐵道(15)さらば「接岨峡温泉」駅。

10月8日14:22。接岨峡温泉駅にDD20形が牽引する千頭行きが
5両の客車と共に入線してきました。

トンネルを徐に抜けてきた機関車に何やらヘッドマークのようなモノが
見えますが、それは「こどもギャラリー」と銘打たれており、
地元の小学生による『大井川鐵道井川線』列車の走る風景が
描かれていました。
※アプト区間の「電気機関車」と連結された絵でした。
地元の足として生きる鉄道が故のことなのでしょうが、
もしも自分の描いた絵がこうして列車の先頭を飾ると言うことは本人にとって
とても嬉しく、また誇らしいでしょうから、子供にとって地元への
愛着のみならず良い思い出にもなるでしょう。
こうしたことは「他の鉄道でも採り入れたらよいだろうに」と真剣に
思いました。
ただこのヘッドマーク「こどもギャラリー」は全機関車に付いて
いないようで、特定の機関車だけかもしれないのですが、
今回はただ私の目に付き、印象に残ったのでどうしても紹介したくて
UPしました。

下段写真は、動き出した客車の中から駅舎と駅員さんを撮影したものです。
「動き始めた汽車の窓・・・」は『なごり雪』ですが、私は窓に顔はつけず、
窓を開けて撮影しました。
まあ「名残惜しさ」は同じ気分と言うことで・・・。

「ひょっとしたらもう2度とこの風景を見ないのでは…」。
「乗り鉄」で全国を回っていた頃はあまりそんなことは
考えなかったのですが、流石にこの年齢になってくると毎回、
様々な想いが胸の中をよぎります。
新しく開業した線や、海外などで初めて乗車する線ではそのようなことは
あまり無いのですが、やはり2度目、3度目の乗車ともなると返って
そんな『想い』が強くなる気がしています。

2011年11月09日 17時55分

10月8日の大井川鐵道(14)川根長島駅改め接岨峡温泉駅。

今の「接岨峡温泉」駅は、以前「川根長島」を名乗っていました。

平成2年の「アプト」区間の開業に伴い現駅名に改称されたのですが、
そのような事は、この看板を見つけるまでは忘れていました。
写真の右側の看板が駅名ですが、「大井川鉄道」とあってまだ
「大井川鐵道」となる前のものだと言う事が分かります。
左側に「長島 梅地共同倉庫」とありますが『梅地』とうのは
この駅から大井川を挟んだ対岸の地区の名前とのことでしたが、
きっとまだ道路の整備が行き届かずこの井川線が物流の大動脈だった時代、
ここに駅から荷送り(?)をするための2地区の『共同』倉庫があった
名残なのでしょう。確証はありませんが・・・。

さてこの2つの看板のあった場所ですが、先回の写真の左側に写っている
建物の中ほどにあり、きっとこの看板のあったところが「倉庫」だったのでしょう。ただ、今現在、使われているかどうか不明ですし、
そもそも駅名の看板は、元々駅舎の入り口に掲げられていたのが、
平成2年に廃棄されることなくここに移されたのではないかと私は
考えています。

何はともあれ私のような「鉄」系でなければ興味を惹くこともなければ
写真を撮影することも無いのでしょうが、とにかくこの「川根長島」に
出会えたことは『バスの運転手さん』のおかげであることだけは
間違い無さそうです。

追伸:先回の「駅」の写真は、大井川鐵道「接岨峡温泉」駅を紹介した
ブログやHPでもあまり見ない構図ですが、この看板を紹介したいがために
UPしています。
実際には工夫次第で面白い写真が撮れる駅ですので、そこのところは
ご容赦ください。

2011年11月08日 17時52分

10月8日の大井川鐵道(13)接岨峡温泉駅は有人駅。

さて温泉会館を出て接岨峡温泉駅13:22の列車に乗るべく
「駅」を目指しました。バスの走る2車線の道路から坂を登ること暫し。
目の前に現れた「駅」は平成からいきなり昭和に戻されたような気分に
なりました。
なお、左側の建物は「駅」ではなく、正面真ん中に見える車の止まっている
建物が「駅」です。
何となくこの駅の雰囲気をお伝えしたく、手前の建物込みの写真を
選択してみました。

そして「駅」に辿り着いて驚きました。
出札口があり、そこに駅員さんの姿が???
大井川鐵道のHPによればこの鉄道の有人駅は金谷・新金谷・家山・
駿河徳山・千頭・奥泉・井川の7駅とあり、接岨峡温泉の名前は
見当たりません。
でも駅員さんはちゃんといるのです。
その証拠に、硬券の入場券も売っていれば、乗車券もあります。
入場券があるということは、ホームに入るだけで列車に乗らない場合でも
150円が必要と言うことになります。

たまたまこの駅に居合わせた大井川鐵道の職員の方に“駅員さん”の話しを
お聞きしたところ、列車の発着時間に合わせて来ていただいているとのことで、
それ以外の時間には駅にいないそうです。

(おまけ)
駅員さんに入場券にもパンチを入れてもらったのですが、
たまたま入場券と乗車券のパンチの位置が上下の違いはあるものの
ほぼ同じ場所で、上下に並べてみたら面白く思えたのでこの構図にしました。
お気付き頂けたでしょうか?単なる私の自己満足ですが誰にも気付かれないと
淋しいのでここに書いてしまいました。
自分で書いていてトホホな気分です。

2011年11月07日 18時07分

10月8日の大井川鐵道(12)接岨峡温泉を堪能。

千頭駅前からのバスの乗客は私たち2人だけでした。
そんなこともあって運転手さんから「どこまで行くの?」と聞かれ、
それなら「閑蔵に行っても何もないから接岨峡温泉でも入ったら…。」と
勧められ、それに従うことにしました。
バスの接岨峡温泉到着は12:16で、井川線の接岨峡温泉発は13:22。
1時間以上の時間が生まれ、温泉を堪能する時間は十分にあります。

上段写真はその温泉「接岨峡温泉会館」で、日帰り入浴施設です。
(入浴料は300円)
湯船が狭い(4人も入れば一杯)のが少し難でしたが、
泉質は「これぞ温泉」と感じるものでした。

その温泉に入る前に「千頭駅」で事前に購入していた「大井川ふるさと弁当」
(1050円)を味わいました。
その際、2階の大広間を利用し休憩料が掛かったのですが
まあ温泉のついでということで“良し”としました。
そんな訳で、閑蔵駅で食べる予定だった弁当を思わぬところで食べることに
なった次第です。
まあこうした展開は、行き当たりばったりの旅ならではで、
個人的には好きですね。
肝心の弁当の中身ですが、写真ではやたらおにぎりが目立っていますが、
山女の甘露煮やさといも田楽も入って賑やかでした。

因みに千頭~接岨峡温泉間の鉄道運賃は790円。
一方バスは720円でバスの方が鉄道より安いというのは???でした。
参考までに千頭~閑蔵間では鉄道…1040円、バス…820円で、
何と私たちは片道バスを選んだことで、旅費を思わぬ形で少しだけですが
節約したことになりました。

まあ運転手さんとの会話から始まった温泉ツアーですが、他の乗客の方がいたら
こうはなっていないでしょうから偶然は面白いですね。

2011年11月06日 18時10分

10月8日の大井川鐵道(11)井川線にも乗りに行くことに。

この日、新金谷の駅で一枚のチラシを見つけました。「タイトル」は「運転期間限定路線バス 千頭-長島ダム-接岨峡温泉-閑蔵運転」で、
10月について言えば8日(土)・9日(日)・10日(祝)に、
「南アルプスあぷとライン(トロッコ列車)」と「路線バス」で奥大井を
回ろうと言うものでした。

写真のトロッコ列車を使うと、千頭~閑蔵間は約90分。
それがバスならば30分で同区間を走るので、要は効率よく回れることに
なります。

そのチラシを見るまでは井川線に乗ることはあまり考えていなかったのですが、こんなルートがあるなら話しは別です。
私は井川線全線を乗ってはいるものの、
本音としてはどこかの駅まで乗りたいとは思っていました。
ただあまりにも時間が掛かることもあり、今回は諦めていたのです。
そして同行の方もそのチラシを見て「ここまで来たのだからトロッコに
乗りたい!」と言ってくれたので、行くことを決断しました。

私たちの選んだルートは、千頭駅前発11:50の期間限定路線バスに乗り、
閑蔵駅前着12:20。そこでゆったり昼食をとり閑蔵発13:05の
井川線列車に乗り千頭着14:32。

もしもこのルートを鉄道で往復するならば、千頭発11:36(写真の
列車です。千頭駅を出発して直ぐの踏み切りで撮影しました)に乗車し、
閑蔵着13:05。
折り返し交換の閑蔵発13:05に乗りバスで行ったのと同じ
千頭着14:32。
ただただ乗るだけならそういう選択肢もあったのですが、今回は
「のんびり旅」が目的でしたので、3時間も井川線の車両で過ごすのは
少々苦痛に思えました。(トイレはどうする???もあり)
それゆえバス&鉄道で、往復違う風景を楽しむことにしたのですが、
これがその後、思わぬ展開を繰り広げることになりました。
勿論良い意味です。

2011年11月05日 18時52分

10月8日の大井川鐵道(10)日本の音風景百選。

SL急行「かわね路11号」は、定刻11:11頃無事千頭駅に到着。
取り敢えず下車して直ぐに隣のホームに移動し、上段写真の様な、
全編成が見通せる写真を撮影しました。
ここも人だかりで、撮影した場所が空くのを私もしばし待ちました。
恐るべし!SL人気です。

さて一旦駅外に出ようと思っていたら、下段のヘッドマーク(?)が
目に入りました。
「日本の音風景百選」というのがあるのを今回、初めて知ったのですが、
この『看板(?)』だと、まるで『SL復活35年』の記念すべき
『2011年』に選ばれたみたいに見えますが実際にはそんなことは無く、
歴史は更に遡ります。

調べました。環境省のHPを!
と大仰な書き方ですが、環境省は平成13年からで、その前は環境庁でした。
「日本の音風景百選」は、その環境庁時代の平成8年に公表されたもので、
環境省のHPには「残したい日本の音風景100選」とあり、
事業主体が環境庁(省)ゆえ「残したい」というところにメッセージ性を感じました。

そしてそこに大井川鐵道のSLの“音”も選ばれており、環境省のHPには
「川沿いを行く蒸気の排気音と汽笛の響き」とあり、
その音がよく聞けるところとして沿線の静岡県本川根町
(合併で今は川根本町となっています)『智者の丘公園』
(最寄り駅は「千頭」)があげられています。
川根本町のHPで確認したところ、千頭駅を見下ろす場所で、
確かにこだまする汽笛の音は気持ち良さそうです。

それにしても「SL復活35年 2011」は、大井川鐵道からの
『今もそうである』というメッセージでしょうか…。
ともあれ“汽笛の響き”だけではなく、「シュッポ、シュッポ」と
童謡「汽車ぽっぽ」(でしたよね)で歌われた蒸気機関車の排気音の世界も、
確かに残したいですね。

2011年11月04日 17時45分

10月8日の大井川鐵道(9)茶畑を行く。

「お茶、お茶、お茶」。静岡といえばやはり「お茶」ですね。
『東海道本線』でも『東海道新幹線』でも「茶畑」は見えますが、
大井川鐵道のSL列車から見る「茶畑」はまた“格別”です。
しかも「金谷茶」を味わいながら眺めるなぞ最高の贅沢と言うか至福の時と
言っても過言ではありません。

特に、上段写真のように茶畑の中、緩い右カーブを行くSL重連を
後方の車両から眺めるのはなかなか乙な気分です
こういう風景は、前方の車両ではなく、後方の車両であるがゆえの
特権ですね。(SL重連の牽く列車は私にとって初めての体験です)

そうこう(走行?)している内に、下段写真の大井川鐵道撮影の名所に
差し掛かりました。
家に帰ってから数えたらここだけで14名の方がおられ、
また写真だけではなく、ビデオカメラの方もおられました。
わざわざ“ビデオカメラ”と書いたのは、何せ私は撮影に出かけた事が
無かったので、ビデオ派がいるのは知ってはいたものの
(身近にもいますので…)、そんな当然の事を初めて確認した次第です。
それはともかく、今回、このSL列車の中から見ていて、
少なくとも100名以上の『撮り鉄』の方達を見ました。
特に、今回からバック運転が無くなった事も「大井川鐵道」人気に
拍車を掛けたような気がします。
※ここにおられた「撮り鉄」さんたちは、自分たちの撮影が終わると、
乗客に向けて『手を振って』おられました。心和む一時でした。

実は…。
この日の翌日、10月9日にここ大井川鐵道のSL列車に乗りに来た
知人がおり、その人は帰路、千頭発15:25、金谷着16:37の
普通列車(全SL列車通過後に走る金谷行き電車)に乗ったそうですが、
まず千頭で満席のSL急行から溢れた人で既に一杯。
その後、途中駅から大型カメラバックに三脚を持った「撮り鉄」さん達が
続々を乗り込み、「家山」では乗り切れない人も出たそうです。
何せ、一人一人の荷物が嵩張るだけにその状況は痛いほど分かります。
大井川鐵道では乗り切れない人に「バス・タクシーをご利用ください。
大井川鐵道が負担します」と案内していたそうですが、「撮り鉄」さんによる
超ラッシュ状態はきっと想定外だったのでしょう。

重連はともかく、1日に6本のSLが撮影できるのは全国的に見ても
ここしか無い訳で、その過熱振りはさもありなんといった所でしょうか。
その普通列車に乗り合わせた方、お疲れ様でした。

2011年11月03日 17時39分

10月8日の大井川鐵道(8)福用駅で『近鉄特急』と交換。

10:16頃、「福用駅」に到着。ここで千頭発9:26、
金谷着10:40の『近鉄特急16000系』の“普通列車”と交換。
SL列車が少々遅れていたので、
『近鉄特急』も2分程度の遅れが出たと思われます。
※一瞬の出来事ゆえ、車両NO.は確認できず。

皆さんもご存知のとおり、大井川鐵道にはこの近鉄車を始め
「京阪」「南海」の車両が走っていますが、実は私、
ここ大井川鐵道大井川本線では『SL急行』に乗った記録は残っていますが
“普通列車”の乗車記録がありません。

最初に乗車したのは昭和53年11月25日で、金谷発11:34、
千頭着12:53の『SL急行』でした。
ただこの『SL急行』については、何故か写真のみならず乗車券類も
探し出せず、今思えば残念でなりません。
何れにしろそんなこともあって私は“普通列車”に乗った事がありません。
実は今回、『帰路に乗ろう』と思ってはいたものの、時間の都合と
折角なので「ノンビリとしたSLの旅」(バック運転でも無いことですし…)
を楽しもうと、結局、“普通列車”を選択しませんでした。

余談ですが、私が乗った「大井川鐵道」の“普通列車”については、
日付は定かではなく恐縮ですが平成4年頃に一度(往復)あり、
その際には千頭の駅に近い旅館に一泊しているのですが、
何せ仕事だったためか、乗車券類も写真も乗車列車の記録も
一切手元に残っておらず、まあ、出張の時は普段は利用しない「鉄道」を
使ったとしても、あまり『気』が無い私の本領発揮をしてしまっており、
私にとっての乗車記録からは除外しています。

更に言えば、昭和52年か53年頃、私は報道部で駆け出しのカメラマンを
しており、「SL急行」を撮影したことがあります。
その時は、本当に乗車しておらず、車で新金谷の先から千頭の近くまで、
追いつ追われつひたすらたった1本のSL列車の撮影をし続けていました。
因みに「金谷」の出発と「千頭」の到着は別のカメラマンが
撮影していました。

そんなことを、“普通列車”と行き違いながら思い出していました。

2011年11月02日 18時36分

10月8日の大井川鐵道(7)SL重連列車快走。

新金谷の駅を9:57に出発したSL重連列車「かわね路11号」は、
大井川に沿って快走です。
昭和53年に私が最初に乗車したときの記憶が全く無く、
こうして風景を見ていて、「大井川はこんなにも川幅が広かったのか」と
驚かされると共に、自分の思い込みである「渓谷沿いをひた走る大井川鐵道」
のイメージが覆されていきました。

客車は先頭が7号車で私たちの車両は前から5両目の3号車。
発車して暫くすると右側写真のように、今回、私たちが参加した
『金谷茶を飲みながらSL重連列車に乗ろう!』の車内イベントがスタート。
“茶娘”の方たちが一人一人の乗客に自慢の『金谷茶』を振舞い、
旅気分を盛り上げてくれました。
急須で入れ、陶器の湯呑み茶碗で飲む淹れたてのお茶(品評会で受賞した
2部門のお茶)は味も香りも最高で、非「鉄」の同行者は「旅気分は上々」と
言いつつ何杯も御代りをされ、正直、ここまで連れ出して大丈夫だったかな?
と心配していたのでホッとしました。

なお3号車のイベント参加者の殆どの方は非「鉄」で、
皆さん『SLとお茶』の旅を楽しまれていました。勿論、
「鉄」の方達もおられましたが、やはり「お茶」を楽しまれていました。

2011年11月01日 17時34分

10月8日の大井川鐵道(6)新設転車台で記念写真。

いつもですと『「鉄道浸り旅』は『一人旅』なので、上段写真のような
記念写真は滅多に手元に残りません。今回は同行者のおかげでこうして
撮影することが出来ました。

ところで私は、取材(仕事)を含めても「鉄系」の大掛かりな記念イベントに
立ち会ったことが殆ど無く、特にここ20年ほどは記憶にありません。

まあそんなに大層な話しではないですし、タイミングさえ合えば、
イベント時でなくともこの様な写真はいつでも撮影できるわけです。
とはいうものの、「金谷駅」の混雑に恐れをなし電車ではなく
金谷駅~新金谷駅間をタクシーで移動したが故の1枚であり、
大井川鐵道にとって記念すべきというか歴史に残る日に立ち会えたのは、
物は考えようで“ラッキー”だったような気もしていますし、
良い思い出にもなりました。

さて午前9:45になり、改札が始まり列車に乗り込みました。
で、乗る前に下段写真を撮影したのですが、この写真を撮影した位置が
ギリギリ蒸気機関車を2両とも写しこませる場所で、
なおかつこの日は客車だけで7両あり、しかもほぼ満席と聞いており、
人の流れを見つつ、ただ1編成の列車を撮りたかっただけにも関わらず、
思いのほか撮影に苦労しました。

それでもこうして人が多く集まると言うことは「地域の足」を守る術としては
有難い訳で、なかなか世の中に『適当』ということは無いものだと
実感しました。
何はともあれ凄い人出でした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!