2011年12月21日 18時01分

特別番組「こども鉄道博士選手権」決勝大会(3)第1ステージ。

今回の決勝大会は4つのステージが用意されており、写真はその第1ステージで、ご存じ「シンボル展示」エリアです。

この第1ステージは○×クイズで、C62と955形との間に「○」が見えますが、955形とMLX01-1との間にも「×」らしきモノがチラッと見えます。
ここでは出された問題が「○」か「×」かを考え、正しいと思われるエリアに移動するものです。

ここから次のステージに進めたのはこの決勝大会に参加した方達の内の
約半数。

さてその問題ですが・・・、これはテレビ放送でお楽しみください。また、中京テレビが見られないエリアにお住まいの方には恐縮ですが、現時点では“公開”することが出来ません。
お許し下さい。
その代わりと言っては何ですが、「こども鉄道博士選手権一次予選」の問題の作り方というか、裏側を少々。
(今はHPで見ることはできません)

第1問 東海道新幹線が開業したのは昭和何年でしょう?
①昭和34年 ②昭和39年 ③昭和47年          
答えはここで書くまでもありませんが、正解では無い答えも新幹線にとってはトピックな出来事のあった年を当てはめています。

今回の「こども鉄道博士選手権」の問題作りと回答rの関係ですが、この設問の様に『三択』問題の場合は、「この回答って???」と楽しんでもらえる工夫をしています。

一方で
第9問 新幹線浜松工場に向かう線路には珍しいものがあります。
何でしょう?
①新幹線の踏切  ②新幹線の洗車機 ③従業員通勤用ホーム
といった問題の場合は、単純に“遊んで”作りました。
(問題には番組制作スタッフのアイデアが一杯入っており、皆で楽しく作りました)

第1ステージの問題は「○」「×」クイズですのでそんな遊びは無く、ストレートに問題と解答を作っていますが、“落とし穴”の工夫をした問題もあります。

(追伸)名古屋市交通局の「年末年始特割ドニチエコきっぷ」は、私が通勤で乗降している“八事日赤”駅では売り切れとなっています。他駅はどんな状況でしょうか?

2011年12月20日 18時09分

特別番組「こども鉄道博士選手権」決勝大会(2)セッティング中。

番組の収録開始予定時間は19:30。「リニア・鉄道館」閉館後のセッティング開始のため、2時間しかスタッフに与えられた時間はありません。
※収録開始時間は、小学生のこども達が主役の番組ですので、体力なども
考慮しこの時間にしています。

ただこの“2時間”というのは、皆さん方にはとってはピンとはこないでしょうが、実は相当にハードなスケジュールで、スタッフはひたすら黙々と作業を進めていきました。

一方で私はその時間、出演者との打ち合わせやクイズに使う問題の
最終チェックをしていたのですが、セッティングが気になり、合間に
こうした写真も撮っていました。既に番組制作の仕事を離れ8年の月日が
経っているものの、制作現場に20年以上身を置いてきた私にとっては、
こうしたセッティング作業は『虫が騒ぐ』一時でした。

下段写真は今回の『主要』スタッフが着用していた番組オリジナルの
スタッフ用トレーナーです。
以前は、全ての番組とは言いませんが、こうしたスタッフ用のジャンバー・
トレーナー・Tシャツをよく作っていたものの、最近はトンと見た事がなく、
久しぶりの光景に思わずプロデューサーの気合を感じました。

2011年12月19日 18時27分

特別番組「こども鉄道博士選手権」決勝大会(1)いざ!金城ふ頭へ。

このブログでも以前UPしましたが、中京テレビでは12月25日(日)
12:33~で、「こども鉄道博士選手権」を放送します。

この選手権、小学生の子供たちの鉄道知識を競うもので、中京テレビのHPで
予選大会、11月19日(土)に2次予選が行われ、その決勝大会が
12月10日(土)19:30から、今や新たな『鉄の聖地』と言っても
過言ではない「リニア・鉄道館」で行われました。

今回、この「こども鉄道博士選手権」のクイズ監修を不肖・私が務めており、
そんな訳で写真の名古屋発17:00のあおなみ線で「金城ふ頭」を
目指しました。

ホームはご覧のようにがらんとしており、車内も座席が全部埋まる
ほどではなく、土曜日の夕方、買い物等に出かけた沿線住民の帰りの足に
なっているとは言いがたい状況でした。
「ささしまライブ」駅はともかく、一駅毎に乗客は減っていき、
稲永(いなえい)駅で残り少ない乗客も下車し、私の乗っていた車両には
私だけが取り残されました。
野跡(のせき)駅周辺にも人家はあるので、たまたま私の乗った車両だけの
現象かもしれません。
それでも驚きだったのは、金城ふ頭駅まで乗車した方がいたことで、
「こども鉄道博士選手権」への参加者と見受けられた親子連れはともあれ、
そうでない方は一体何の目的で・・・、とまで思っています。
●前にも書いた記憶がありますが、『稲永』は“いなえい”ではなく、
私には“いなえ”が馴染んでいます。その昔にあった市電の停留所等の
読みで、いまも“いなえ”と読む施設等もあるようなのですが・・・。

で、「リニア・鉄道館」についてビックリ!
集合時間の18:30にはまだ1時間もあるにも関わらず、
既に家族連れの熱気に溢れていました。

2011年12月18日 20時23分

サクラサク切符と忘年会の関係。

昨日12月17日(土)、私は明日(12月19日)から発売される名古屋鉄道の「合格祈願 サクラサクきっぷ」を、この日13:00~16:00の時間限定で先行発売された「桜駅」で購入しました。

そしてこの“きっぷ”を購入した後、このブログで何度も紹介しているNPO法人「名古屋レール・アーカイブス」(以下、NRAと表記)の定例作業(毎月第1&第3土曜日の10:00~17:00に活動)に少々遅刻して出かけました。

昨日はその年内最後の活動日であったので、名古屋駅近くの居酒屋さんで忘年会となり、そのお開きに当たって下段写真の集合写真をセルフタイマーで撮影しました。

因みに最前列で道路に横たわっている方は、NRAの他にも鉄道趣味の会に入られているのですが、集合写真ではほぼお約束でおこのポーズをとっていらっしゃるのであまり気にしないでください。一応、このブログにUPすることは彼を含めて皆さんの了解済みです。(笑)

ところで私は中段右側にいますが、私の左側に女性がいます。この方はNRAのメンバーではありません。それにしてもよくよく見てみると・・・。
そうっ!「芸能界鉄道研究会 鉄研」でお馴染みの鉄道アイドル木村裕子さんで、昨日はたまたま名古屋におられ、NRAの活動を見学し、アーカイブ化している写真や書籍・資料等をご覧になりたいとのことででわざわざ足を運んでくれ、その流れで“忘年会”にも参加となった次第です。

まあ忘年会の席でどんな「鉄」トークになったかはご想像に任せますが、結構濃い~い話しの連続でした。

さてここからがタイトルの『サクラサク切符と忘年会の関係。』となるのですが、実は木村裕子さんとはNRAの事務所の最寄り駅となる地下鉄「亀島」駅で待ち合わせをしたのですが、いつもならそうした場合、私は素直に地下鉄で出かけるのですが、昨日は天気が良かったこともあり、散歩がてら「桜」駅まで行き、「名鉄名古屋」から「亀島」までも歩くことにしました。

で、「桜」駅についてみたら何やら人だかりが…。
「合格祈願 サクラサクきっぷ」の時間限定先行発売が「桜」駅であるのは知っていたのですが、そんなことは昨日の時点ですっかり忘れており、「ああっ、そうだ!!今日だ!」などと何とも頓珍漢なことではありますが、結果オーライということでした。
さらに言えば、木村裕子さんとの待ち合わせがなければ、名鉄を使ったにしても間違いなく『発売開始時間』前に通過しており、幾つかの偶然の結果が上段写真となりました。

2011年12月17日 18時33分

三陸鉄道復興支援証明書。

平成26年4月の全線での運転再開を目指している三陸鉄道への支援の輪が
広がっています。

例えば近江鉄道では今年の4月から「三陸鉄道グッズ」を販売
(このブログでは5月4日・5日に紹介)するとともに、
2011年11月11日には『近江鉄道×三陸鉄道「がんばろう!
三陸鉄道応援乗車券」』が発売され、近江鉄道と三陸鉄道の乗車券が
セット販売されるというこれまでにはない新しい発想の支援も
行われています。
(1セット1100円で、通信販売もされています。是非近江鉄道のHPを
ご覧ください)

そして今日の写真は、私が行ったささやかな三陸鉄道への復興支援の
証明書です。

これはとある会社が呼びかけた『三陸鉄道支援プログラム~枕木に名前を残そう~』に私が賛同したことによるもので、北リアス線「陸中野田」~「野田玉川」の2.5キロ区間に設置される枕木約8000本の支援に参加すると、支援した人の名前が刻印されたプレートを枕木に設置するというものです。
と言っても設置されたプレートは、当然のことながら開通したら見られない訳ですし、そもそもとても探しきれません。そんなことはともかく私としては、何がしかの支援で出来ないかと丁度思っていた矢先でのこの呼び掛けだったので、思わず参加した次第です。

三陸鉄道への支援は、現地に出向かなくとも例えば「三陸鉄道オンラインショッピング」のグッズ購入であったり、何がしかのことは出来そうです。
※私の手元には、近江鉄道ミュージアムで出会った『久慈ありす』がいたりしています。(普段の私なら絶対に購入しない・・・)

今日は極めて私的な報告で恐縮です。

2011年12月16日 18時58分

名古屋市交通局「年末年始特割ドニチエコきっぷ」。

今年も名古屋市交通局では「年末年始特割ドニチエコきっぷ」を発売しています。
購入した駅の駅員さんによれば、『好評』とのことで、このブログをUPした段階で売り切れている駅等があるかもしれません。
確か、昨年は早々に売り切れた記憶があります。

今年は12月14日(水)の発売開始で、限定1万セットですが
何せ4枚セットで2000円、1日分で500円とあって、
地下鉄で260円区間を2回乗れば元が取れるだけに、マニアというより
一般の市民の方に好評なのも納得です。
いつもの「ドニチエコきっぷ」よりも“100円”安いだけではありますが
多分、今年もバスを利用しない私のような場合は、1日500円は
結構買うかどうかの分かれ目の金額だったりはします。

その『お得感』プラス“ハッチー”と“辰”の2ショットの
オリジナルイラストもなかなか可愛くそれも含めて“得割”の看板に
偽りはないと思っています。
基本的に昨年と同様のパターンのデザインで、「卯」が「辰」となっただけと言えばその通りですが、毎年の恒例行事としてはなかなか良いアイデアでしょう。

ところで昨年の私の周り(当然「鉄」です)の方たちは、例外なく
この「年末年始特割ドニチエコきっぷ」を使い切っており、地元・名古屋の人であれば未使用で手元に残している人は少数派では無いでしょうか?
ただ、500円分まで使っているかどうかは別かもしれませんが・・・。
昭和の時代の『紙』製の記念乗車券・入場券の時代には考えられないことであります。

2011年12月15日 18時03分

鶴舞線の「LED式案内表示装置」間もなく稼動か?

名古屋市営地下鉄の「LED式案内表示装置」については、昨年の
11月24日、今年に入り1月12日、19日、20日の3回、
『桜通線』の徳重延長に伴う既存装置の置き換え(延長区間については新規)に伴う話題としてこのブログでUPしました。
※当初私はそれを「接近表示器」と表記していましたが、途中から
「案内表示装置」に変えています。

今日の写真は鶴舞線の「いりなか駅」で昨日(12月14日)撮影したもので、久しぶりに鶴舞線に乗ったところ、いよいよ“旧タイプ”の案内表示装置の最後の牙城(???)とも言える鶴舞線でも「LED式案内表示装置」への置き換え工事が始まったことを知りました。

既に東山線・名城線・名城線・上飯田線・桜通線では皆様ご存知の通り、
「LED式案内表示装置」が整備済みで、鶴舞線については平成23年度
(つまり今年度)中の使用開始ということは名古屋市交通局からは
発表されていたものの、その具体的な時期については私の知る限り
発表されていなかったと思います。

まあ、使用開始のインパクトとしては、N3000形の運用開始と
同時ということはあるのでしょうが、さてその結末や如何に?

ところでたまたま昨夜は、名城線のダイヤが乱れており、鶴舞線から
乗り継いだ桜通線の「LED式案内表示装置」では、その“案内”が
正に“表示”されていたのですが、当然の事ながら鶴舞線の『旧タイプ』では
表示されません。
『新タイプ』への切り替えでサービス向上となることは間違い無さそうですね。

なお『旧タイプ』を味わいたい方は急がれた方が良いかも知れません。
(写真を撮影し、資料として保存する必要性もありそうです)

2011年12月14日 18時09分

六本木ヒルズから見た東京タワー。

先週の木曜日(12月8日)、私は東京・六本木の六本木ヒルズにいました。
その六本木ヒルズからは、ライトアップされた「東京タワー」(写真の右側)も望め、この写真を撮影した場所は、日没後の写真撮影の定番スポットとなっています。

夜の時間にここに出かけた理由ですが、中京テレビも製作に関わっている映画「ALWAYS三丁目の夕日‘64」の『完成披露試写会』が、TOHOシネマズ六本木ヒルズで行われたことによるもので、私もその製作スタッフの末端に名を連ねているというのがことの真相です。

今回で3作目となる「ALWAYS三丁目の夕日」ですが、以前このブログでも、中京テレビの「金曜ロードショー」においてシリーズ一作目が放送される前の平成22年4月5日から、その映画撮影時の裏話をUPしています。その理由はこの映画、『鉄道』(だけではないのですが…)の歴史考証及びその表現は念には念をいれと言うより、実にマニアックな拘りで撮影されていたことによります。

平成17年の第一作では、「都電」や「C62」、「上野駅」の再現が注目され、2作目の「ALWAYS続・三丁目の夕日」では「国鉄151系電車」が話題となり、今回は『‘64』という東海道新幹線開業の年が舞台設定となっているだけあり、当然、開業当時の「東京駅新幹線ホーム」が再現されていると共に、「0系新幹線」がその雄姿を現します。

ところで「ALWAYS」と「RAILWAYS」って何となく語感からして似た空気を感じませんか?
「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」(私のブログでは昨年の5月19日から紹介)、
「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」(現在公開中)もこの「ALWAYS三丁目の夕日」シリーズも、その核となっているエグゼクティブ・プロデューサーは同一人物「阿部秀司」さん(「RAILWAYS」では製作総指揮)なのです。

阿部さんは「鉄道」でも特に「模型」派であり、それゆえディテールの拘りが、私のような「乗り鉄」以上にあるのかもしれませんが、やはり映画の舞台の時代を知っている人が多いだけに、その拘りはどれだけあっては足りることはなさそうです。

今作ではもう一つ「キハ58」系も目玉です。
(私はその登場シーンで「オオッ」と思いました)
年明けの1月21日に公開されますので、是非、ご覧下さい。「鉄」的な素晴らしさだけではなく、映画としても『素晴らしい!!!』と私自身、胸を張って皆さんに伝えています。

ところで今回、「東京タワー」の写真を使った理由ですが、「ALWAYS三丁目の夕日」のシンボルはやはり「東京タワー」にあるということによります。
(映画をご覧頂ければ納得していただけると思っています)

2011年12月13日 17時57分

博物館ではなく「小樽交通記念館」の頃。

何で又「アイアンホース号」と言われそうですが、この「アイアンホース号」は平成23年ではなく、15年前の平成8年の姿です。

今シリーズの「(4)アイアンホース号の雄姿。」の写真と比べて頂けると
判るのですが、機関車そのものはあまり変わっていませんが、
客車の“色”に変化がみられます。
(右側の何かの作業風景は平成23年写真にはありません)

平成8年、当時担当していた番組の収録スケジュールの調整が出来、
また「24時間テレビ」の担当パートの日程も遣り繰りが出来たので、
珍しく子供の夏休み期間中に休みが取れることになり、7月26日から8日間、私は家族で北海道にキャンプに出かけました。
当時は福井県の「敦賀港」から北海道の「小樽港」へのフェリー航路があり、
それを往復使っての『車』旅だったのですが、その帰りの「小樽港」での
出航待ちの時間であれば『鉄分』補給OKとの家族の同意が得られたので、
同年8月2日、『小樽交通記念館』(当時の名称)を訪問しました。

既に15年の月日が経っているので当時との比較は、写真でしか
出来ないのですが、展示車両等で大きな変化はありません。
勿論、全く変わっていないと言うことはないのですが、それでも当時の
写真を見ていると、「しずか号」の展示も(ほぼ?)そのままですし、
C55の美しい姿は月日が流れても惚れ惚れします。
また私の子供たちは各車両を背景に、また車内が公開された“運転席”に
座ってお約束の“敬礼”をしてカメラに収まっており、これは平成23年の
子供たちの記念写真とあまり変わらないのに「クスッ」となってしまいました。
(家族写真が非公開で恐縮ですが、ご想像いただけるのでは思っています)

2011年12月12日 18時03分

小樽市総合博物館(8)おまけ???

左側の写真は、機関車庫の“裏”にひっそりと佇んでいる今は使われていない
蒸気機関車に給水するための『貯水槽』ですが、こちらも重要文化財
「旧手宮鉄道施設」の一つです。
明治末期から大正初期頃に竣工したものだそうですが、一般の観光客が
ここに足を運ぶことはあまり無さそうなので、せめて「鉄」分のある
私達だけでも見学したいですね。
また右側の写真は“ただ”のマンホールですが、真ん中に蒸気機関車が
ドンと描かれており、「小樽」らしさを感じたのでUPしました。

その存在する場所は、『機関車庫1号』と『貯水槽』の間です。
私の知合いに全国のマンホール写真を撮影して回っている方がいますが、
こうして見ると、マンホール絵柄の魅力に妙に納得している自分がいました。
(『マンホールマニア』って結構多いそうです・・・)

最後にここ小樽市総合博物館での見学に要する時間ですが、私の感想では
最低でも2時間程度、アイアンホース号に乗る場合にはその運行時刻にも
よりますが約3時間は見ておいたほうが良いでしょう。
ただこれは目安であり、1つ1つの展示をちゃんと見るならば1日がかりで
あっても十分に楽しめると思っています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!