2011年12月11日 18時42分

小樽市総合博物館(7)アイアンホース号、機関車庫に戻る。

最終のアイアンホース号が「中央」停車場に到着した直後、
私は重要文化財の「機関車庫」と「転車台」を、最後にしっかりと
目に焼き付けてからこの博物館にお別れしようと、とりあえず転車台に
向かっていたところ、アイアンホース号が客車から切り離され、
転車台に向かって走り始めました。

「ひょっとしたら、機関車庫に戻るのでは?」と思っていたら正に
その通りでした。
15:49、アイアンホース号は“重要文化財”の転車台に徐に入線。
(上段写真)
そして15:51、“本線”と繋がる形だった「転車台」の線路は、
同じく“重要文化財”の「機関車庫」との線路に繋がりました。
(中段写真)
15:52、アイアンホース号はこうして機関車庫に戻り、無事車庫に
収まりました。(下段写真)

実はこの光景を見たのは私にとっては単なる偶然で、入館して直ぐに
この「機関車庫」の中や「転車台」の周りに展示されている車両を
見学しており、最後にもう一度「機関車庫」と「転車台」をちゃんと
見ておこう等と考えなかったら、きっと出会えなかったものです。

言い換えると、アイアンホース号の最終便に乗車し、その後少しの時間
待っていれば、この光景に出会える可能性が高い(確認していないので
絶対とは言い切れませんが…)ということです。
この段階で、殆どの乗客は立ち去っており、ほんの数人がここにいただけで、
「鉄」趣味の方らしき姿は見かけませんでした。

こうして私は一寸どころか相当に得した気分で「小樽市総合博物館」を
後にしました。(帰りは小樽駅までバスに乗りました。約10分でした)

2011年12月10日 17時39分

小樽市総合博物館(6)走れ!アイアンホース号。

今年8月24日の最後のアイアンホース号の運転は、「中央」停車場発
15:30で「手宮」停車場着15:34頃。ほんの数分の旅を終えた
アイアンホース号は、転車台でその方向を変えます。(上段写真)
そして再びその雄姿を現したのが下段写真となっています。

最近、各地の転車台の話しを何度か書いているような気がしており、
大井川鐵道もそうだったのですが、やはり現役蒸気機関車が転車台で
一周する姿には見とれてしまいます。
それは私が「鉄」だからではなく、大井川鐵道でも同じ光景を目の当たりに
したのですが、それは非「鉄」と思われる観光客(来館者)の方達が
一斉にカメラを向けていたことで、やはり『万人受け』する一大
“イベント”と言えそうです。

その方向転換を見た後、私はアイアンホース号の雄姿をカメラに写すべく、
館内を歩いて移動しました。と言ってもほんの200メートル程度の距離で、
下段写真の左側に写っているのは「北海道鐵道開通起点(点の文字は旧字)」と書かれたモニュメントで、他にもこの列車の写真は何枚か
あるのですが、やはりこの地に相応しかろうと選んでみました。
ただ天候が曇りであり、少々輪郭がはっきりしないのが残念です。

ということで行きはアイアンホース号の牽引する客車に乗り、
帰りは歩きで走行写真というのが私の今回のパターンでした。
ところでこの列車、15:25分頃にはガラガラでしたが、発車直前に
どっと入館者が訪れ、客車内には立っている人もおられた程で、
その人気が窺(うかが)い知れました。

2011年12月09日 18時34分

小樽市総合博物館(5)「手宮口」があるのを知りました。

アイアンホース号に乗車する前に、館内の屋外展示車両を見学していたら、
その行き止まりに「手宮口」というもう一つの出入り口を見つけました。
(私が知らなかっただけかもしれません…)

そこにいらっしゃった係りの方に「外に出ても良いでしょ0うか?」と尋ねたら了解が得られたので、館の外に出て撮影したのが今回の写真です。

今シリーズ(1)で紹介しました『玄関』の荘厳さとは趣を変え、
昔の駅舎風の建物に、「鉄道」展示を行っている博物館らしいモニュメントが
あり、皆さんもここに行かれる事があったら是非、こちらもご覧いただきたいと思います。

まず上段写真で目を引くのが画面右側にある大きな『動輪』です。
この動輪の中には『鐘』もあしらわれておりなかなかおしゃれです。
また下段写真は『出発進行』と思わず声をかけたくなる右手のモニュメントは、思わず同じポーズで私も一緒に写りたいと思ったほどで、ただ私以外に
人が見当たらずその願いは成就しませんでした。

これらのモニュメントは、小樽市の発行する「広報おたる平成21年7月号」によれば昭和63年(1988年)、小樽青年会議所が寄贈したものだそうで、『道内で最初に鉄道が開通し、その起点となった小樽。
“夢や希望を抱いて進んだ小樽の先人たちのように、子どもたちもこの地から
未来を切り開いてほしい”と
いう願いが込められています。』とありました。

2011年12月08日 18時31分

小樽市総合博物館(4)アイアンホース号の雄姿。

上段写真は国の重要文化財の“数々”です。
小樽市のHPを見ますと、これらは「旧手宮鉄道施設」とあり、
まず手前の転車台は大正8年(1919年製)で昭和49年まで現役だったと
あります。
また正面の車庫は『機関車庫3号』と言い、明治18年(1885年)竣工の
現存する我が国最古の機関車庫で、展示の除雪車両を挟んだ左側の建物は、
『機関車庫1号』で明治41年(1908年)竣工です。
これらの機関車庫には蒸気機関車「7150形(大勝号)」、
「キハ03形 」等々も展示されていますので合わせて見学することを
お勧めします。もっとも「キハ03」をしげしげと隅から隅まで見ている人は
間違いなく私の同類の方と思われます。

下段写真は小樽市総合博物館名物、動態保存の「3号」機関車
『アイアンホース号』です。今年度の運行は終えておりますが、
来年の参考になればと書かせて頂きます。

1909年(明治42年)、アメリカのポーター社製の如何にも西部劇で
出てきそうなそのスタイルは、北海道の地に似合っていると言っても
異論は出ないでしょう。
●そう言えば最近、「西部劇」って見ないですね???

恐らく日本で一番年代モノの動態保存機であると思われますが、
100年前にここ北海道の地に降り立ったと時と同様にここ小樽の地で
煙を吐いていることは、『老体に鞭打つ』というより『命ある限り働きたい』と
当のアイアンホース号も思っているのではないでしょうか?

ところで上段写真の転車台&車庫とアイアンホース号の関係についてはおって書きます。

2011年12月07日 17時59分

小樽市総合博物館(3)修復作業が行われていました。

小樽市総合博物館の展示車両たちを見ていて、ここの車両は「幸せだなあ」と
感じたのは、修復作業を定期的に行っていることです。

展示用に車両を持ってきて、それを公開することはそれだけでも
『簡単』とはとても言えず、様々な関係者の尽力が必要です。
でもそれはまず車両保存の第一歩で、実は現役当時の姿を如何に留めるかの
取り組みが本当の“保存”の始まりだと私は思います。

そのための“修復”が定期的に行われているのがここ「小樽市総合博物館」の
車両たちで、その作業の様子が今回の3枚の写真です。
なお、8月に撮影した写真ですので現在は終了しているものと思われます。

(上段写真)ワフ29984(昭和41年製)
(中段写真)オハ36125(昭和25年製)
(下段写真)キシ8034(昭和40年製)

修復は『NPO法人北海道鉄道文化保存会』の方達や、小樽市の実施事業
『鉄道文化遺産の保存推進事業』で行われており、ボランティアも多く
参加されているようですが、何せ展示車両が多いだけになかなか追いついて
いないように見受けられました。ただそれでも地道な積み重ねにより
確実に歩んでいることは実感できます。

私が行った8月24日、キ718、キ752の除雪車両等が修復を
終えたばかりの美しい姿を見せており、是非多くの方に関係者の皆さんの努力の結果を知ってもらいたいと思いました。

2011年12月06日 17時57分

小樽市総合博物館(2)スエ78形。

小樽市総合博物館の屋外展示には本当に様々な車両(上段写真)があり、
車内が見学できる車両も多数あります。
その中で私の「お気に入り」になったのがスエ78-5(下段写真がその外観)。救援車と言うくらいで、脱線事故の時などに出動した車両ですが、
中段写真にあるように様々な工具が積まれており、こうして中を見たのは
私にとっては初めての体験で、ちょっとしたパラレルワールドに迷い込んだ気分でした。

この博物館にはもう1両、救援車(オエ61-309)が展示・公開されており、そこには“だるまストーブ”を囲むように椅子が置かれ、
暖かく休憩が取れるようになっていたことが伺えました。
何れも『昭和の遺物』と言っても過言ではない車両たちですが、
この車両たちがあることで鉄道が守られてきたという歴史があることは間違いなく、「想いを馳せる」車両ではなく、鉄道が「生きてきた証」の様な印象を持ちました。
ところで救援車の中の公開は他の事例を私が知らないこともあり、
「小樽市総合博物館」ではお勧めの逸品です。

この他、北海道内だけで使われていた石炭運搬用の「セキ」の展示車両には
黄色の帯に『道外禁止』と書かれており、ある種懐かしさと共に、
石炭産業から北海道の鉄道が始まったことを改めて感じさせてくれ、
C12やC55と言った蒸気機関車や客車・気動車、北海道らしい除雪車の
展示もあって楽しい一時を過ごすことができました。

2011年12月05日 18時35分

小樽市総合博物館(1)「しずか号」と対面。

小樽市『総合』博物館と言っても、その展示は「鉄道」に尽きると言っても
過言ではありません。もともと「小樽交通記念館」として存在したものが
平成19年に今の形となったのは皆さんもご存知の通りですが、
敷地に入るとまず出迎えてくれたのが北海道の鉄道の開通に尽力した
アメリカ人技師の「クロフォード」氏の像です。
「クロフォード」氏については「三笠鉄道記念館」の展示でも
詳しく紹介されていますが、正にここ「手宮」から始まった北海道の鉄道の
歴史はこの方を抜きにして語ることは出来ません。

そして館内に入ってまず目に飛び込んでくるのが『しずか号』です。
明治17年(1884年)製造の古豪で、この7106号機のアメリカンな
スタイルの優美さは何ものにも置き換えがたいものがあると感じるのは
きっと私だけではないはずです。
因みにこの機関車はJR北海道の「鉄道記念物」に指定されており、
なおかつこの場所が『しずかホール』と命名されていることからも
北海道にとって如何に大切な“文化財”であるかが分かります。

またこの場所の“暗さ”は、写真を撮影するには不向きですが、
雰囲気を楽しむには却って心地よさを感じます。

そんな出迎えを受けた「小樽市総合博物館」ですが、今日から
少々お付き合いください。ただ、展示物全般については、先回の
「旧手宮線」も含め、様々な出版物やHP、ブログがありますので
あまり触れません。今回は私が気にいったもの、気になったものを数回、
紹介させて頂きます。
皆さん方が訪問されるための参考にはあまりならないかもしれませんがあらかじめご容赦ください。

2011年12月04日 17時28分

北海道・小樽の旧手宮線跡。

昔、「紙ふうせん」というデュオが『冬が来る前に』と言う歌を
歌っていたのを思い出しました。
「冬が来る前に」と思いつつもう全国的に冬ですね。でも8月の
小樽に“もう一度めぐり逢いたい”と今、こうして書いています。多分、このブログを読んで下さっている殆どの方には通じない
歌の話しですね。(反省)

今年は2度北海道に渡っており、1度目は7月9日から14日の三笠鉄道村等への「鉄」旅(このブログでは7月28日~10月26日の間でUP)で、2度目は8月24日から28日までで、こちらは会社の出張でした。
その初日の24日に少し時間が取れたので「小樽市総合博物館」に
出かけました。

で、まず向かったのは旧手宮線です。この線への探訪は結構マニアックかと思いきや、何と小樽市の観光ルートの一つになっており、
駅に併設の観光案内所で「旧手宮線マップ」(旧手宮線沿いにある観光名所を紹介している)なるものを手に入れ、早速向かいました。
と言ってもメインの「小樽市総合博物館」の滞在時間の問題もあり、
小樽駅前から海岸へ向かう『中央通』と『旧手宮線』のクロスする場所を
確認しただけに留まりました。
(小樽駅からそこまでは徒歩で5分も掛かりません)

右側の写真は、そのクロスポイント、中央通の中央分離帯に設置された
モニュメントで、車輪(動輪)には「TEMIYA LINE」と
刻まれており、道路を横断した左側には「旧手宮線」の解説板が
設置されていました。
また左側の写真ですが、道路を横断した先から「南小樽」方面を
臨んだもので、遊歩道として整備されているのが見て取れます。写真でのお分かりいただけるようになかなか雰囲気が良く、多くの
観光客や地元の方も歩かれており、人のいない写真を撮るには
意外と時間が掛かってしまいました。

私は「小樽市総合博物館」の入館時間を計算し、結局ここからタクシーに乗ってしまったのですが、時間が許せば「散歩しながら行くのも良いだろう」と思いました。

2011年12月03日 18時11分

リニモ車両基地見学会(7)見学会を終えて。

写真は2005年の3月18日に撮影したリニモです。
(万博の開催年だけは平成の年号より2005年の方が私には馴染んでいます)
この写真のようなリニモとゴンドラの組み合わせを撮影された方も多いと
思われますが、これは万博開催前に業務打ち合わせで会場に向かった際、
開業直後のリニモに乗り、万博塗装の第9編成を(偶然)撮影したものです。
(ところでこの編成、ここを去った今、どうなっているのでしょう?)

このリニモ。その先端的な技術はともあれ、愛知万博終了後は
「折角作っても・・・」と、その存在意義が問われ続けています。
もっとも作る前から『需要予測』についての疑義があったのも事実です。

今回、久しぶりに乗車し、確かに藤が丘駅の乗り換えは不便ですが、
乗り心地も良いですし、10分間隔の利便性も都市交通としては及第点です。
ただ如何せん、足として使う必要のある人が少ないのが現状でしょう。
その分析はネットで検索すればいくらでも出てくるでしょうから私が
ここで触れるまでも無いほどその前途は明るくありません。
その他にも細かいことですが、全線が地下か高架であり、駅の入り口に
辿り着いてもそこからホームまでの導線が長く、またエスカレーターの
設置準備はされていても、その部分にはまだ何もない駅もあります。
(エレベーターは設置されています)
一方「浮上式鉄道」ということで一般的な電車よりも電気代などの
ランニングコストもかかるような気もします。
またマナカが使えないのも残念です。

それでも今回『車両基地見学会』に参加し、少しでも多くの方にリニモを
知ってもらい、もっと多くの方に利用して欲しいという想いが、説明を
して下さった方たちの丁寧な対応ぶりから伺えました。
『走るパビリオン』と言われ注目を浴びた「リニモ」を“パビリオン”で
終わらせない方策は無いものでしょうか?難しい課題ですね。

2011年12月02日 18時09分

リニモ車両基地見学会(6)リニモ浮上!

見ようと思っても普通では絶対に見られない『8ミリの世界』がこの2枚の
写真です。

右側が“浮上”状態で、左側が“着地”状態です。
赤い矢印の上の部分に注目!何となくでもよいのですが、この違いに
お気付きいただけましたでしょうか?
リニモが浮いたその瞬間、参加者が一斉にどよめきました。

今回、リニモの“8ミリの浮上” は先に書いたとおり「愛・地球博記念公園」駅に停車中に乗車した状態でまず体感しているのですが、
参加者の歓声は、この目の前で実際に浮上し、着地した時の方が
大きかった印象です。

リニモの“浮上”“着地”は、余程集中していないと気付き難いと
私は思っており、今回も往路の「藤が丘」での“浮上”、
「愛・地球博記念公園」での“着地”は『これだな???』という
「気のせいでは無かろう」というレベルだと感じており、『体験時』には
乗務員さんの「アナウンス」があったので実感できたと思いました。

それが実際に目の前で軌道から車体が浮き上がり、そして着地する模様を
見ていると流石に「オーッ」と思ってしまい、それは全参加者にとって
共通の出来事だったようです。

やはり車両基地見学会は得難い体験の連続となりました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!