2012年02月01日 19時54分

南海電気鉄道・鋼索線(4)高野山ケーブル。

「高野山ケーブル」の1編成(2両)の乗車定員はWikipedia等で調べた限りですが、「箱根登山ケーブルカー」よりも多く、日本最大の260名です。
またWikipediaの「南海コ11・21形客車」の記述には特急「こうや号」の1編成分の乗客が乗車できるとあり、それは私自身が体験していました。

ということで平成15年11月1日、「極楽橋」に9:28に到着した私は、上段写真の9:34発のケーブルカーで下段写真の「高野山」駅を目指し、無事9:39に高野山ケーブルを完乗しました。

ここから接続するバスでまずは『金剛峯寺』を目指し、そこから最終的には『奥の院』まで足を延し、ほぼ“高野山”を一巡しました。そして分かったことは高野山が、弘法大師空海が開いた仏教の聖地であるだけではなく、山上に広がる堂々たる(宗教)都市だったことです。

深山を切り裂くように走る南海高野線で周りに何もない「極楽橋」に到着し、そこから黙々と「ケーブルカー」に乗り継ぎ、やはり何もない「高野山」駅からバスに乗りしばらく走ったところから急に視界に入ってくる『人の息吹』は感動すら覚えました。
今は自家用車や観光バスでここを訪れる人も多いのですが、その方達も私と同じような感想を持つのでしょうか?

ここへの足がほぼ鉄道だけだった時代もそんなに遠い時代では無かったわけですが、その前は自分の足で人々はこの高野山を目指しました。いつからここが『都市』を形成していたかは歴史の研究家にお任せすることになりますが、単に“門前町”というには少々違和感を覚えたほどです。

余談:この日、アマチュアカメラマンの姿を至る所で見かけました。いくら標高が高いとはいえ、紅葉の時期には少々早かったのですが、それでも一部は色づいていました。

こうして私はほぼ一日を山上で過ごし、「高野山」駅発16:04で下山し、「極楽橋」着16:09。そして「極楽橋」発16:28の『こうや10号』で難波に戻りました。

この日は天候が良かったこともありますが、折角ここに来るのなら「乗り鉄」だけのタッチアンドゴーでは勿体無いというのが私の感想です。

    

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    プロフィール

    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!