中京テレビ

2012年02月19日 20時00分

豊橋鉄道「運転体験」(4)3502号の運転台。

皆様ご存知のように、豊橋鉄道3500形はもと東京都電の7000形で、もともと作られたのは昭和30年・31年で、私が就職した昭和52年に現在の車体に更新されています。そしてこの3502号は、平成4年にここ豊橋の地にやってきました。参考までに一昨年運転した3503号は平成11年の移籍組です。
ところで都電7000形と言えば、相変わらず都電荒川線の主力と言える存在です。“豊鉄”を運転しながら“都電”を運転する気分も味わえるという「1粒で2度おいしい」グリコのアーモンドチョコの様な電車です。(このキャッチフレーズを知っているのは何歳まで?最近は聞かないですよね)

等と言う話しはさておき、上段写真の右側に鎮座まします『ブレーキ』の壁に今回も苦しめられました。頭ではわかっていてもなかなか体というか手がついていきません。自己採点は50点(甘すぎる!)と言うところでしょうか?

さて今回の参加者は24名。8名ずつ3班に分かれて運転体験を行ったのですが、その参加者の中に遠路はるばる九州・熊本からやってきた方がおられ、その方が持参の熊本市電・運転体験(平成23年11月19日・20日実施)時の手袋(下段写真)を私たちのグループではお借りし、それを着用しています。昨日UPした写真にも写っています。

(参考文献)
*豊橋鉄道「でん車図鑑」
*日本路面電車同好会「日本の路面電車ハンドブック2011年版」

2012年02月18日 17時41分

豊橋鉄道「運転体験」(3)いざ!運転。

今回、運転体験をした電車は3502号(3500形)。豊橋名物「ヤマサちくわ」の広告電車とあって、地元では『チクワ』号の愛称で親しまれているようです。(一部の人だけ?)
どうでも良いことですが、私は「ヤマサちくわ」の『いわし玉』が好きで、取材で豊橋に来るといつも東名高速豊川インターチェンジの入り口近くにある「ヤマサちくわ」の売店により、お土産+取材車中でのおやつに買っていました。懐かしい思い出です。

話しを戻して、先回の運転体験(平成22年8月22日、このブログでは同年8月23日~UP)で運転したのは同じ3500形の3503号。
ということで、中段写真の私は“余裕の笑顔”です。因みに写真を撮ってもらったのは、『運転』前です。まあ、「現実の壁」にぶち当たる前は、こんなものだという典型的な写真です。

参考までに下段写真で、私同様、“余裕の笑顔”どころか“満面の笑み”を浮かべピースまでしているのは鉄道アーティストの小倉沙耶(こくらさや)さんです。
小倉さんも私と同じ2回目ということで、流石のゆとりですが、もっとも私もそうでしたが、小倉さんも僅かこの数分後に『奈落の底』に落ちていく運命が待っていることを、当然分かっていたはずですが、まだ「知りたくない」「信じたくない」という気分でした。(実のところ小倉さんはそんなことは無かったようですが、少なくとも私はそうでした)
※上記、小倉さんの名前のブロックは、彼女のブログ「小倉沙耶のやわやわ日和」にリンクが貼ってありますが、私のブログの今後UPする内容の一部“ネタばれ”があります。ご注意ください。

2012年02月17日 20時08分

豊橋鉄道「運転体験」(2)「赤岩口車庫」“中”まで直行!

「駅前」を12:18発の「運動公園前」行きに続行する形で出発した我らが「801号」は、「赤岩口」に12時48分頃に到着。
定期電車が同じ区間を22分で走るのに比べ、ゆったりと30分ほどかけて走り、「駅前」を12:25に出発した後続の「赤岩口」行きに追い付かれました。(上段写真)
もっとも追い付かれたというよりは、「競輪場前」から先の閉塞(へいそく)の関係があったのかもしれません。

ところでプラス8分の過ごし方ですが、2月11日は「鬼まつり」(国指定重要無形民俗文化財)の開催日で、その祭りの舞台である「安久美神戸神明社」(「市役所前」電停から直ぐ)を車窓から楽しんだり、豊橋鉄道の方からここの電車の“信号”等について解説を受けたりで、その30分は却って至福の時間でした。

そしてこの日の最初のハイライト!
「赤岩口」の電停を通り過ぎ、電車に乗ったまま「赤岩口車庫」に突入です。(下段写真)
私は、「競輪場前」を過ぎたころからこの光景を見るべく、この写真を撮影した場所に立ちその瞬間を待ち続けました。
しかし、ここで写真を撮り続けていたのは今回の参加者では私だけといっても過言ではない状況で、他の方は実に平然とされていました。

(発見)
ご存知の方も多いのでしょうが、私は初めて知りました。
道路上にある「赤岩口」の電停の先にある“引き込み線”から車庫に折り返すためのポイントが“手動”であることを!
『道路上』で“手動”の転轍機は「意外」の一言です。ところでここで『分岐器』ではなく『転轍機』という言葉を選んだのは、豊鉄の方による操作を見ての印象です。私の気分を何となくお分かりいただけますでしょうか?

2012年02月16日 20時02分

豊橋鉄道「運転体験」(1)「貸切電車」。

さる2月11日(土)、私は「豊橋」にいました。目的は、「日本路面電車同好会 名古屋支部が開いた冬の特別企画『「運転体験」と「おでんしゃ乗車」』に参加するため。
で、まずは「運転体験」のため車庫のある「赤岩口」に向かうべく“お迎え”を『駅前』電停で待つこと暫し。そして登場したのが右側の「801号」です。
時間はお昼の12時10分頃で、左側の12:11発「赤岩口」行きの出発を待って入線してきました。

「日本路面電車同好会 名古屋支部」の「運転体験」会への参加はこれで2回目ですが、先回も“お迎え”電車の形式をリクエストしており、私としてはこれが結構楽しみだったりします。
ところで、「801号」(800形)と「T1001」(1000形)には共通点が複数あります。
まずは何れもローレル賞を受賞していること。
*「800形」…2001年
*「T1000形」…2009年
そしてもう一つ。それは半径11メートルカーブが回れず、「運動公園前」に入線できないこと。
また、少々無理がありますが、豊橋鉄道では少数派の低床車です。(800形は???でしょうか)
その他にもあるかもしれませんが、私の能力ではこれが限界です。

ところでこの日の集合時間はお昼のジャスト12時。
ということで渥美線の『なのはな』号を撮影しようと少々早めに着いたのですが・・・。
昨年撮影した「新豊橋駅」を出発して田原方面に向かった地点(平成23年2月6日にこのブログでUP)に向かおうとしてショック!!!
何と“菜の花”が咲いていた見通しの場所に新しい建物を建設の真っ最中で、撮影しようにもほぼOUT。
しかも、11:30の電車の出発時間まで既に10分を切っており、他の場所に移動することもできず、泣く泣く撮影を断念しました。

2012年02月15日 18時53分

ケーブルカー番外編「ホテル祖谷温泉」(3)走行中。

上段写真は私が一風呂浴びて帰る時にのるケーブルカーを待っていた時、下ってくる車両を撮影したもので、下段写真は、その車両とほぼ同じ場所近くから渓谷を見下したものです。
私が考えるケーブルカーから臨む“絶景”は、車両の一番「麓」側に陣取り、「山上」側へ『登っていく』時の窓外の風景です。
でもここは違います。最初、目の前に広がる渓谷の広がりを楽しみ、それが下っていくにつれ、渓谷が手に届くような錯覚を覚える場所まで行き着きます。

日本のケーブルカーで、目的地へ向かうのに『下っていく』のは少数派でしょう。
私の個人的な感想で恐縮ですが、「青函トンネル記念館」が該当する位で、「立山黒部貫光」が麓側、山上側のどちらからも乗れるということで例外!です。
もっとも「青函トンネル記念館」では風景は全く見えません。

さて、こうして辿り着いた露天風呂で私の視界に入ったのは渓流と木々の緑だけ!聞こえるのはせせらぎ(というには少々荒々しいが…)と木々の葉音。
身も心の自然の中に溶け込んでいきます。

ただでさえ皆さんに馴染みの薄いケーブルカーで、それも公共交通機関でないケーブルカーを、私が「もう一度乗ってみたい」お勧めするのは如何か?と思わないでもないですが、あくまでも私の好みと言うことで、、、。

2012年02月14日 18時51分

ケーブルカー番外編「ホテル祖谷温泉」(2)車両。

四国有数の大河「吉野川」の支流「祖谷川」の作りだす渓谷沿いにある『露天風呂』を目指し、ゆっくり5分ほどかけて下っていくケーブルカーは、左側の写真の様なシルバーの車体(当時)。
またこのケーブルカーの傾斜角は見ただけでも『凄い!』を通り過ぎて『恐るべし!』と言いたくなりますが、何と何との42度(高低差約170メートル)もあり、車内(右側写真)は他のケーブルカーでは見かけたことが無いほどの急角度です。車内を一番下から見渡すと、これは「見渡す」というレベルではなく、「見上げる」という表現の方が相応しいと思ったほどです。

公共交通としてのケーブルカーの急勾配日本一は「高尾登山電鉄(高尾山ケーブル)」の31度18分ですが、それをはるかに凌いでいます。ここの傾斜角42度のケーブルカーが公共交通ではないのは少々残念に思えるほどですが、あくまでも『露天風呂』への足であり、今後も公共交通になることは無いでしょう。

ところで今回、「ホテル祖谷温泉」のHPを確認したのですが、ケーブルカーの車体が変わっていました。車体を新たに製造したのか?これまでの車体を改装したのか?そこのところの情報は私には無いので全く分かりませんが、車体の色は明るい黄色(と思われる)になり、一新された客席窓も車内からの眺望が良くなっているのではと感じさせます。

何れにしてもこのケーブルカーは、ホテルの一施設というにはあまりにも勿体無い存在です。

2012年02月13日 18時45分

ケーブルカー番外編「ホテル祖谷温泉」(1)絶景。

“公共交通機関”としてのケーブルカーの次は、このケーブルカーです。

平成22年3月19日のこのブログで、徳島県三好市にある新祖谷温泉「ホテルかずら橋」のケーブルカーをUPしています。そこからJR四国の「阿波池田」駅方面に向かうバスに15分ほど乗った先に「ホテル祖谷温泉」があります。

新祖谷温泉「ホテルかずら橋」のケーブルカーに乗った翌平成15年6月22日、「ホテル祖谷温泉」にあるケーブルカーに乗るため、日帰り入浴を楽しみました。

まずそのロケーションですが、上段写真の赤い矢印の場所にホテルの建物があり、その建物の所から谷底を覗いた下段写真の赤い矢印の場所に露天風呂があり、建物と露天風呂を結ぶケーブルカーの線路が確認できます。
よく目を凝らすと矢印の先に、銀色のケーブルカーがチラッと見えています。

と、ここまでは事実経過のみを淡々と書いていますが、私がかって乗車したケーブルカーの中で「もう一度乗るとしたら?」と聞かれたら、真っ先に挙げたいのがこのケーブルカーです。

所謂『鉄道』としてのケーブルカーではないので、時刻表にも載ってはいませんし、“記録”としての「『乗り鉄』の対象外です。
それでも『なお』です。
「ケーブルカー」の魅力は『風景』と何度も書いていますが、それはこの写真で十分皆様にご理解が得ら得ると思っています。『絶景』です。

2012年02月12日 21時40分

男山ケーブルそしてケーブルカーのこと。

今回で私が乗った“公共交通機関”としてのケーブルカーのこのブログでの紹介は終わりです。
最後の写真は男山ケーブルの車内と「男山山上」駅の外観です。車内は今見ても“モダン”な感じですし、「男山山上」駅の佇まいは山間の小駅の雰囲気を醸し出しています。好感が持てますね。

ところでこのブログでの紹介順とは別に、実際の乗車順は、この男山ケーブルの後に「能勢電鉄」(平成23年1月30日UP)、「摩耶ケーブル」(平成23年1月28日UP)、「六甲ケーブル」(平成23年1月26日UP)、「鞍馬山ケーブル」(平成22年10月10日UP)、「天橋立ケーブル」(平成22年10月8日UP)を3年がかりで乗っており、最終的に日本のケーブルカーを完乗したのは平成18年9月24日でした。

私が“全国の鉄道乗りつぶし”を意識した昭和52年頃、『乗り鉄』は今ほど確立した鉄道趣味のジャンルではありませんでした。そこに宮脇俊三さんの名著「時刻表2万キロ」が世に出たことで、『乗りつぶし』という楽しみが広く知られるようになり、私もまずは『国鉄完乗』が目標となり、その次に『私鉄・公営鉄道完乗』を目指しました。昭和55年にその時点での完乗を達成しましたが、それから『ケーブルカー』に乗ってみようと思うまでには凡そ20年の月日が流れていました。

「でも…」という繋ぎの表現が日本語として正しいかどうかはいささか自信がありませんが、ともかく『ケーブルカー』“乗り鉄”にはまりました。もしも、このブログをご覧の方の中に完乗を目指している方がおられたら是非、ケーブルカーも乗って下さい。きっとその魅力の虜(とりこ)になるはずです。

2012年02月11日 19時02分

京阪・鋼索線。

平成15年12月4日、近鉄「生駒」発14:04。「西大寺」着14:14、同発14:20で「近鉄丹波橋」着14:52。京阪「丹波橋」発15:02で京阪「八幡市」着15:15。

こうして上段写真の京阪鋼索線「男山ケーブル/八幡市」駅に到達しました。
そして「八幡市」発15:30に乗車し、「男山山上」には15:03に到着しました。
下段写真は「八幡市」駅のホームで、そこに停車中のケーブルカーは、単に車体色のイメージだけではなく、そのデザインも含め一目で『京阪』と分かるものでした。先回までの近鉄のケーブルカーが“近鉄”のイメージとは少々違う「観光仕様」とも言える雰囲気全開なのとは両極ですね。
「どちらが好みですか?」と問われれば、個人的にはこの京阪の方がGOODです。

さて「男山山上」に着いた私は『石清水八幡宮』に詣で、16:00発のケーブルカーで下山しました。僅か400メートルの路線なので、「歩いて下山」も一瞬頭をよぎりましたが、生駒山の下山で力を使い果たしていた私には無理な相談でした。(相当に大袈裟な表現をしています)

2012年02月10日 18時30分

「ゴリ夢中」に築港線登場!(2)

名鉄築港線の「東名古屋港」駅は、旅客電車の終点であり、その先にも線路があり、名古屋港の『大江ふ頭』まで線路が繋がっていることはご存知の方も多いと思います。
ということでこの静止画は、「東名古屋駅」から西方の線路を見たものです。『線路の先端が見たい』という画面中央の“文字”が意味深長ですが、さてさて番組では…。そう言えばその手前に、名古屋臨海鉄道東築(とうちく)線とのダイヤモンドクロッシングがあったはずだが、それは今回の番組に登場するのだろうか?
などとあまりにバラエティー番組のCM前みたいな『あおり』文言を連ねると、番組を見た後に皆様から“絶賛”ならぬ“誇大表現”とお叱りを受けるといけないので、これ位にしておきます。

ところで名鉄築港線は非常に面白い線です。朝夕だけの運転で、日中の運転がされないことが良く知られているのですが、この数少ない電車が結構混むことは実際に利用する人にしかあまり知られておらず、そもそも名古屋市民であっても、ここに電車が走っていることを知らない人の方が多数派です。
今回の番組スタッフもそれらの点が「面白かった」と言っていたほどです。でもそれがこの線の面白さの全てではありません。
この線に乗ったことが無い方は是非、2往復位ここの電車に乗って下さい。色々(と言うほどの数ではない?)なことに気付くはずです。
と、勿体ぶった言葉で今回は筆を置きます。
もしよろしければ明日(2月11日)の「ゴリ夢中」をご覧ください。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!