2012年03月15日 18時45分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(3)。

私が名阪ノンストップ特急に始めて乗ったのは、手元の記録では昭和55年1月19日。その頃「国鉄」完乗後の「私鉄乗りつぶし」に精を出しており、この日は阪神・神戸市営地下鉄・神戸電鉄に乗っています。
近鉄名古屋を8:00発で鶴橋10:06着の“ノンストップ”でした。それ以降、何度か“ノンストップ”に乗る機会はあったものの2~3度程度しか思い出せません。
※当時の名阪甲特急は1番列車からノンストップでした。もっとも当時の始発は私が乗車した8:00発で、今の甲特急の7:00始発とは若干の違いがあります。

さて、今回私が乗車したのは6号車。大阪難波寄りの先頭車で、車番は『21101』で、単なる偶然なのですが、おかげさまでアーバンライナーのトップナンバーの編成でした。記念乗車の場合、同じ乗るならこれ位のプレミアムがあると嬉しさが倍増ですね。(「鉄」でなければ、きっと興味がないというか、『どうでもいい』こととして嘲笑の的となりそうです。例えば私の・・・。)

で、チケットの席番は「9」。車内は空いており、6号車はガラガラで、車内を撮影するにあたり、上段写真のような“贅沢”なシート配置も出来ました。なお撮影後は、自席ではなく、BOX仕様にした席におとなしく座っていました。これも名古屋を出発してから大阪(鶴橋)まで“ノンストップ”だからこそ出来る芸当ですね。(私と同じ様なBOX席にして足を伸ばしている方が何人かみえました)

ところでその座席ですが、「plus」になった時に更新されたのは知っていたのですが、その席の枕カバーの絵柄が『近鉄特急博物館』状態になっているのには驚きました。(大袈裟でした。「へーっ、」というレベルです)
いつから始まったサービスかの知識を私が持ち合わせていないのは申し訳ないのですが、そんなことはさておき、マニアだけではなく、子供たちにも受けが良いのではないでしょうか?思わず『駄目で元々』とばかりに、貰う事は可能かどうか聞こうかと思ったほどです。もっとも実際には聞いていませんが…。

(近鉄名古屋駅の余談)
私が小学生のころ、三重県の親戚の家に行く足は「近鉄」でした。その当時の『近鉄名古屋』駅の名称は『近畿日本名古屋』駅で、私の心の中では未だにこの『近畿日本名古屋』が息づいています。一体、何年前の話しだといわれても、小さい頃に刷り込まれた記憶は消せず、名鉄電車の『名鉄名古屋』駅を相変わらずと言うか、口から自然に『新名古屋』と出てしまうことと同じですね。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!