2012年03月28日 18時21分

阪堺電車の真実(1)。

今日から「阪堺電気軌道」(ここからは『阪堺電車』と書きます)の話しを暫く続けます。

で、今回の写真は「恵美須町」駅です。と言っても、平成24年ではなく、昭和54年10月15日で、今の『阪堺電車』になる前の、「南海電気鉄道」時代の写真です。

今や阪堺電車が「南海」だったことを知っていると言うか、そもそも「南海」時代に乗った事があると言うこと自体、少数派かもしれません。
さて、この写真の「恵美須町」駅と今の「恵美須町」駅と何が違うかと言うと、駅舎の上の大看板が異なっていることや街並みが変わってはいますが、変わっていないと言えば変わっていないこの“駅”です。

ところで、路面電車で“駅”という表現が良いかどうかということがありますが、『阪堺線』はここから暫く専用軌道で、特にこの「恵美須町」は終点“駅”、ターミナルの様相であり、所謂“電停”とは一線を画すものと私は思っています。

今回は、ここ「恵美須町」駅から話しを始めますが、昭和54年の初乗車の時は、「浜寺駅前」発12:54~「恵美須町」着13:39(手元の時計による)で、順番は逆です。たまたま平成24年2月22日のスタートがこの“駅”でしたので、その点はご容赦ください。

合わせて、昭和54年当時の写真ですが、“乗り鉄”故と言うことで先に謝っておきますが、「南海」時代の阪堺電車の終点の建物の写真は、アルバムで直ぐに見つかったのですが、肝心の電車の写真が見つかっていません。撮影していないことは無いはずなのですが、、、その変わり現在の電車の写真は撮影して来ました。

(追伸)タイトルの「真実」は私の心象です。大袈裟ですが、まあ、許される範囲ということで・・・。

    

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    プロフィール

    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!