2012年03月21日 18時55分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(8)。

上段写真は「河内山本駅」通過で、昭和54年10月13日、信貴線に乗るべくこの駅に降り立ち、更に西信貴鋼索線に乗るべく平成15年12月4日に降り立つという何とも不条理な経験が私の心を揺さぶり、今回、折角の機会なので、皆さんには何の関係も無いのですがこの駅の通過を撮影し、UPさせて頂きました。ただこうして写真を見て、だから何なのだと自問自答してしまいました。

でも下段の写真には“意味”があります。
“ノンストップ”が“ノンストップ”であった証しとも言える、名古屋を出発して最初の停車駅「鶴橋」入線の直前です。189.7キロを2時間近くかけてひたすら走り続けて来た電車がやっと停車する時間が刻一刻と迫ってきました。そして、大阪線から「大阪難波」に向かうべく奈良線に渡るポイントが開いているのが見えています。
このポイントを渡ると言うのは“ノンストップ”とは全然別の次元の話しですが、「鶴橋」が終着駅では無いにも関わらず、何だか“終着駅”に辿り着いた感があり、通勤電車で転線しても何の感慨もありませんが、やはり『ロングラン』効果と言えそうです。個人的な好み意外に、何の理由もなく、そんな話しにお付き合い頂き申し訳ありません。

さて話しを本題に戻し、こうして名阪間“ノンストップ”の旅は終わりました。
ちゃんと調べた訳ではないのですが、日本の列車で新幹線と夜行列車を除き、平成24年3月19日時点で、停車駅間が一番長いのはこの“ノンストップ”だったはずです。JR北海道の「スーパー北斗15号」の「函館」~「東室蘭」間は189.5キロで、これが2番目だとは思うものの、何せ、近鉄は「中川短絡線」経由で、実際の距離がどれくらい違うのかのデータを持っておらず、悩ましいところです。

2012年03月20日 17時51分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(7)。

今日からは名阪間の“ノンストップ”は無くなってしまいましたが気にせず話しを進めます。

「アーバンライナー」から「アーバンライナーplus」に改造された時に、客室設備に変更があり、その中の一つに、「アーバンライナーnext」と同様に下段写真のCCDカメラによる映像が、車端にある液晶モニター(上段写真)で映し出されるようになりました。“展望室”まで出向かなくても、前面展望が見えるのは一つのサービスと言えます(私にはです)が、乗車中の電車の案内や、ニュースも流れますので、名鉄の「ミュースカイ」同様、いつも風景が見えているわけではありません。

ご存知の方が多数派とも思われますので、何を今更と言う方は、今回は読み飛ばしていただいていただきたいのですが、私が「面白い」と感じたのは、そのモニターを通して見える風景というより、カーブ通過時の『カント』が良く分かる点です。

モニターの水平は撮影した写真をフォトショップで少々加工し、電車とカントの関係を実感できるようにしたつもりで、見たとおり想像以上に車体を傾けてカーブを通過していることが分かります。
このモニター写真は、実は10枚以上撮影しており、結果、気のせいなのかもしれないですが、右カーブより左カーブの方がより傾いてみえたり、架線柱の位置も、ここでUPした位置がベスト(ベター?)であることに気付きました。青山越えの前後の区間はカーブが多く、その路線を100キロ以上のスピードで飛ばしていくのでカントが強くなるのは当たり前といえば当たり前なのですが、ただ座席に座っていたこの映像を見るまでは“これほど”とは気付いていませんでした。
なお、右カーブと左カーブの差は、カメラが車体の右側についていることによるのでしょう。

『うつらうつら』としながら、座席で気持ちよく揺られながら、ふと見上げたモニターを見ての感想を書かせていただきました。

2012年03月19日 18時50分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(6)。

いよいよ本日(平成24年3月19日)は名阪“ノンストップ”特急の最終日です。今日は、“ノンストップ”らしい話しを少々・・・。

「そう言えば聞いた事がある」程度でしたが、名阪ノンストップ特急の乗務員室のカーテンはこれまでの写真通り、通常、昼間は開いています。しかし、それが閉じられてしまう区間があります。(明日からは過去形になるのでしょうか?)
それは『中川短絡線』“通過直前”から“通過直後”までで、長時間をノンストップで運転するために、運転士さんの交代があるためです。写真にも2人の乗務員さんの姿がありますが、お二人とも間違いなく運転士さんです。

走行中の運転士さんの交代方法ですが、最低限度、運転士さんはブレーキハンドル(マスコンも?)から手を離すことは許されないはずです(いやっ、絶対に許されないですね。きっと…。)ので、どうやって変わるかは興味津々(しんしん)でしたが、いざその瞬間は…。きっと、『運転体験』参加時に、ブレーキハンドルを握る私の手に、指導運転士さんが横から手を添えてくれているのと同じような状況から始まり、どちらかの運転士さんが上から覆いかぶさり、もう一方の運転士さんが下から潜って(くぐって)すり替わっていく・・・、、、?
そんなことを想像しつつも、一方で、二人羽織(若い人には分からないかも?)を思い出してしまいました。

さて、上段写真は『中川短絡線』の直前にある「雲出川(くもずがわ)橋梁」通過中で、恐らく私がかぶりつき(相撲なら「砂被り(すなかぶり)」、フィギュアスケートなら「氷被り(こおりかぶり)」)に陣取っていたので時間的には本当のギリギリまでカーテンを開けていてくれたものと思われます。運転士さんたちには感謝です。

下段写真は、カーテンが再び開いたら直ぐに撮影すべく待っていたら『短絡線』区間の速度制限のためにカーテンがゆっくりと揺れ、その瞬間、目の前に隙間ができ、思わずシャッターを押したものです。偶然の産物とはいえ結構運が良かった出来事だったでしょう。
おかげでこの1月に供用開始となったばかりの“新”短絡線の全貌(とは言いすぎですが)と、その向こうに「鳥羽行き」の特急の両方が写っているシーンが撮影できました。

ダイヤ改正後には、この運転士交代は「津駅」停車中に行われ、日本でここだけ(?)の『走行中』の交代は恐らく行われなくなるのでしょうが、『近鉄名物』の一つが無くなったとしても、前面展望は常時、確保されることで「良し」ということでしょうか?
また、「アーバンライナー」名物といっても良い運転士席の隣の『助士席』の役割はその“本来の役目”を終えることになるのでしょうか…。“走行中の運転士交代”が無ければこれほど『らしい』席は設けられなかったとも思っています。

2012年03月18日 18時48分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(5)。

今回、乗車した時に、ここだけは目に焼き付けておこうと思ったのが「津駅」の通過です。
もう余程の事がないと体験できないことでしょう。
もっともこうして写真に撮ってみれば、実際のところ通過なのか停車なのかは判別できないわけで、後から考えれば…、いやっ、考えなくても分かるのですが、やはり『動画』で撮影し、それをこのブログ用に静止画にすべきでした。
などとこれは「反省」ではなく「後悔」の巻でした。
◆私の個人的な用語解説。
*「反省」…次に生かせる。
*「後悔」…次に生かせない。
皆さんにとってはどうでも良いことでした。反省!

戯言(たわごと)なのか戯言(ざれごと)かよくわからないことはさておき、「津」駅を10:43の定時に無事通過。
時刻表に書かれていない「津」駅の通過時間が何故わかるかという点については、「鉄」じゃない方のために少々解説すると、1本1本の列車ごとの時刻表を運転士さんは運転台に置いており、そこには停車する駅だけではなく、途中の通過駅の“通過時間”も書かれています。この21000系の場合、運転席がマルっと見える構造のため、“携行時刻表”も良く見えており「津」駅の通過が定時かどうかも私たちにわかります。参考までに“携行時刻表”はこの写真でも左下にチラッと見えています。前面窓のセンターピラーの下端の白い縦長のモノです。
で、「津」駅通過の所定時刻を正確に記すと『10時43分30秒』で、カメラの撮影時間との誤差は2秒でした。私のカメラの時計は、多数の写真を撮影すると分かっている日は、朝、電波時計を利用して手動で修正しています。カメラの時計の誤差は、あっても1~2秒のはずで、それを加味すると、神業とも思える定時運転であることが分かりますが、これが「日本の鉄道」たる所なのでしょう。こんな当たり前のことを改めて知った瞬間でした。

2012年03月17日 18時46分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(4)。

「アーバンライナー」「伊勢志摩ライナー」でお馴染みの『展望席』から撮影した写真です。
上段写真は「塩浜」駅通過中で、下段写真は「江戸橋」駅通過中です。追い抜き風景を見ることは展望席にいる醍醐味(私だけではないですよね)ですが、名古屋線の場合、急行の追い抜き時のみ「江戸橋」のようなホーム有効長一杯に停車する列車の“追い抜き”を堪能できます。

ところでこの場所から見る私の好きな風景は、家族の顰蹙(ひんしゅく)を買いながら、「伊勢志摩ライナー」に展望席に陣取った経験と今回の経験を合わせ、弥富~益生間です。2つの長大橋梁もさることながらJRとの立体交差や場合によってはJRとの併走も楽しめるからです。実際に今回も併走を楽しめました。ただ相手が普通列車だったのは致し方ありませんでしたが。

とそんな感じで展望席に立っていたら、車掌さんから「記念乗車ですか?」と話しかけられ、「そうです」と答えたところ、『ダイヤ改正』の発表後、“ノンストップ”が無くなると言う事で私のような乗客が結構いるとのことでした。
「ここの展望は如何ですか?」ではなく「記念乗車ですか?」とストレートで、なおかつ“ノンストップ”の言葉すらなかったのが「何をか言わんや」で、私が『鉄』であることをお見通しだったということになります。もっともいい大人が一人でこの場所にいれば“当然”の帰結とはいえそうです。

さてさて車掌さんの話しでは、平日は今回の私のように一人で展望席に陣取ることもできるようでしたが、土・日には何人かの人がこの場所にいることも珍しくないそうでした。この週末は“ノンストップ”の展望席はさぞかし込み合うことでしょう。

2012年03月16日 21時39分

さよなら「300系」(4)引退記念入場券。

今朝、行って来ました「300系引退記念入場券」(上段写真)を買いに名古屋駅へ。
皆さんには誠に申し訳ありませんが、「是が非でも」と思って出かけたというより、朝、起きることが出来たら「行こうかな?」というレベル(それは本心だろうか…?)だったのですが、やはり目はちゃんと覚めました。ただ少々出遅れ、名古屋駅コンコースにできた大行列の最後尾に着いたのは午前7時50分頃で、買えるかどうかが心配でしたが、駅員さんが平然としていたので「ホッ」としました。

で、8時から販売が開始され、「いつ私の順番が来るかな?」などと考えつつ歩みを始めたのですが、最低でも30分、恐らく40分程度はかかるだろうと読んではみたものの、もうちょっとかかって結局8時50分過ぎに販売窓口に到着し、やっと2セットを手に入れました。その後は、ダッシュで東山線のホームに向かい、会社の始業時間には何とか間に合いました。

もっとも並んでいる時には、「駄目(時間切れで買えない)かもしれない」という言葉が頭を何度もよぎり、窓口到着があと5分遅ければアウト!でした。「この状態では予約した新幹線の時間に間に合わない」と、時刻表を調べる人(幸い間に合ったようでした)もいたりで、まあこればかりは致し方ないですね。

ところで中京テレビの今夕の「news every.」では『300系ラストラン』特集を“記者リポート”+“浜名湖から名古屋までヘリコプター併走”という力の入れ方で放送しており、「社会現象」となった「300系引退」でした。

さて、私は今、やっと自宅に帰り、下段写真の「300系引退記念缶ビール」をゆったりとした気分で飲んでいます。

こうして私の平成24年3月16日は終わっていきました。

2012年03月15日 18時45分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(3)。

私が名阪ノンストップ特急に始めて乗ったのは、手元の記録では昭和55年1月19日。その頃「国鉄」完乗後の「私鉄乗りつぶし」に精を出しており、この日は阪神・神戸市営地下鉄・神戸電鉄に乗っています。
近鉄名古屋を8:00発で鶴橋10:06着の“ノンストップ”でした。それ以降、何度か“ノンストップ”に乗る機会はあったものの2~3度程度しか思い出せません。
※当時の名阪甲特急は1番列車からノンストップでした。もっとも当時の始発は私が乗車した8:00発で、今の甲特急の7:00始発とは若干の違いがあります。

さて、今回私が乗車したのは6号車。大阪難波寄りの先頭車で、車番は『21101』で、単なる偶然なのですが、おかげさまでアーバンライナーのトップナンバーの編成でした。記念乗車の場合、同じ乗るならこれ位のプレミアムがあると嬉しさが倍増ですね。(「鉄」でなければ、きっと興味がないというか、『どうでもいい』こととして嘲笑の的となりそうです。例えば私の・・・。)

で、チケットの席番は「9」。車内は空いており、6号車はガラガラで、車内を撮影するにあたり、上段写真のような“贅沢”なシート配置も出来ました。なお撮影後は、自席ではなく、BOX仕様にした席におとなしく座っていました。これも名古屋を出発してから大阪(鶴橋)まで“ノンストップ”だからこそ出来る芸当ですね。(私と同じ様なBOX席にして足を伸ばしている方が何人かみえました)

ところでその座席ですが、「plus」になった時に更新されたのは知っていたのですが、その席の枕カバーの絵柄が『近鉄特急博物館』状態になっているのには驚きました。(大袈裟でした。「へーっ、」というレベルです)
いつから始まったサービスかの知識を私が持ち合わせていないのは申し訳ないのですが、そんなことはさておき、マニアだけではなく、子供たちにも受けが良いのではないでしょうか?思わず『駄目で元々』とばかりに、貰う事は可能かどうか聞こうかと思ったほどです。もっとも実際には聞いていませんが…。

(近鉄名古屋駅の余談)
私が小学生のころ、三重県の親戚の家に行く足は「近鉄」でした。その当時の『近鉄名古屋』駅の名称は『近畿日本名古屋』駅で、私の心の中では未だにこの『近畿日本名古屋』が息づいています。一体、何年前の話しだといわれても、小さい頃に刷り込まれた記憶は消せず、名鉄電車の『名鉄名古屋』駅を相変わらずと言うか、口から自然に『新名古屋』と出てしまうことと同じですね。

2012年03月14日 18時38分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(2)。

現時点では、近鉄名古屋駅を朝10時に出発するこの大阪難波行きが、『ノンストップ』の“始発”となります。
方向幕の『NONSTOP NAMBA 難波』の写真もこれで見納めかと思えばこそ、こうして撮影してしまった次第です。

ところで私が今回乗車したのは「アーバンライナーplus」21000系。何を今更と思われるかもしれませんが、私は「アーバンライナー」に乗ったことはあってもこの「アーバンライナーplus」も「アーバンライナーnext」も乗ったことはありません。
前にも書いていると思いますが、仕事で大阪に行く時に近鉄を使うことは殆どありませんでした。『殆ど』と書いたのは、その目的地が例外的に「難波」に本社のある“吉本興業”に打ち合わせで行く時で、乗り換えなしでゆったり行けることもあっての利用でしたが、それでもほんの2~3回程度で、一方、プライベートの大阪行きもここ10年ほどは新幹線利用でした。

さて、名阪間の直通特急登場が昭和34年であり、多くの犠牲者を出した「伊勢湾台風」により、1067ミリゲージの名古屋線が甚大な被害を受け、それをきっかけに一気に標準軌した結果であることはよく知られています。
その後、昭和36年に中川の短絡線が完成し、今回の私の名残乗車と相成った「名阪ノンストップ特急」(甲特急)が誕生しました。

私事で恐縮ですが、その伊勢湾台風の襲来時、私の家族が当時住んでいた地域は床上浸水でした。その時、近くにあった4階建てだったと思われる社宅(会社名は覚えていません)が避難する住民に開放され、水嵩が増していく中、平屋の家から父親に背負われて、既に父の腰の高さを超えていた水の中を、避難に向かったことを未だにはっきりと覚えています。5歳の時のことで、それも何故か背中にいる私の視点ではなく、それを更に後ろからかつ俯瞰でついてくる映像です。

そのことを何故かふと思い出し、それが今回、「名阪ノンストップ特急」の乗り納めに出かけようと思った理由の一つです。

2012年03月13日 18時31分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(1)。

今年の3月のダイヤ改正のトピックス(一大事)は、何も新幹線の100系・300系に限りません。皆さんもご存じのようにJR西日本では、紀勢本線の特急列車名が「くろしお」に統一されますし、JR東海・小田急でも「あさぎり」が御殿場止まりになりJR東海車による小田急「新宿」乗り入れが無くなります。(こちらは残念ながら私は未体験で終わりそうです)

そんな中、名古屋に暮す人間にとっての一大事(少々大袈裟ですがご理解はいただけると思っています)は、近鉄のダイヤ改正です。実は知人から、「最後に乗りに行きますか?」と聞かれ、「一寸スケジュールがとれなさなそうです」と答えたものの、やはり気になって最後のお別れ記念乗車を決断。先月(2月)22日、平日だったのですが、お休みを頂き、午前中に個人的な所用をこなし、「近鉄名古屋駅」に急ぎました。

実は、そもそも午前一杯掛かるはずの用事が、私の心がけの良さ(そんなことは誰も思ってもらえそうに無いですね)からか段取り良く片付き、何と10:00発の「大阪難波」行きに間に合いました。
そうっ、もう写真でお察しの通り、私の『お別れ記念乗車』の目的は名阪“ノンストップ”特急 。近鉄名古屋駅5番線ホームの列車案内表示で、次駅が『鶴橋』となっているのを見ることが出来るのも残すところ1週間。
私にとって、ここのところすっかりご無沙汰だった名阪“ノンストップ”特急。久し振りに乗車したこともあって、新鮮な感想も含め、少々書かせていただきます。

ところで『名阪』って、どうして『阪名』ではないのでしょう?「名神高速道路」は東京を起点とする“上り”~“下り”の流れで『名神』だろうと思うものの、『名古屋』を先にする必然性は近鉄には無かったのではと思います。
東京六大学野球等で、俗に「早慶戦」と呼ばれる試合の際、慶應義塾大学の学生は「慶早戦」と呼んでいるはず。比較の対象にすることではありませんが…。

大阪の人から見て、「名古屋」が先にあることに抵抗感があるとは聞いたことは無いのですが・・・。

2012年03月12日 18時42分

JR北海道と台湾鉄路管理局(2)。

1日おいての続きの話しです。今日、「SL冬の湿原号」と台湾の蒸気機関車牽引列車の『姉妹列車提携文書交換式』は無時行われたようです。

その台湾側の蒸気機関車の1両が今回の写真の『CK124号機』です。平成22年3月10日にUPした写真と同じ平成20年8月24日の撮影ですが、台湾鉄路局集集線の終着駅「車てい駅」で撮影したものです。
※「車ていえき(しゃていえき)」は現地での読み方ではなく、日本語での読み方です。「てい」の字は「土」偏の右側に「口」とその下に「壬」がついた字です。「しゃていえき」で検索すればWikipedia等で確認できます。文字化けの可能性があり、こうした表現にしました。ご了承ください。

台湾ではこの『CK124号機』と『CK101号機』の重連が牽引する列車が運転されたはずです。
その列車が走ったのは台北からほど近い内湾線で、先回書いた「新竹駅」から終点の「内湾駅」の間です。

私事で恐縮ですが、台湾の鉄道は地下鉄も含め、一般の営業路線はほぼ乗っているのですが、数少ない未乗区間の一つが今回、記念列車が走る「内湾線」で、乗っていない理由は、昨年の秋まで工事のため4年半ほど区間運休をしており、乗りたくても乗れなかったためです。

(参考;JR北海道のプレスリリース資料から)台湾の『CK124号機』は日本の『C12形』と同形です。一方、『CK101号機』は台湾オリジナル形のタンク機で大正6年製のオールドタイマーで、写真で見る限り絵に描いたような“古豪”でした。

ところで今回の写真を見て、線路の際というか、日本では絶対に入ることが許されない位置に人が写っていますが、この周りにも人が一杯いて台湾での蒸気機関車熱(鉄道ブーム)をこの時に初めて実感する一方、列車が徐行することも警笛を鳴らすことも無く平然として入線した事は驚きでした。古き良き昭和の時代の日本でも、ここまでは許されていませんでした。
もっとも、4年の歳月を経て、多少の変化はあるかもしれませんが…。

また言うまでもなく、平成20年の列車の車内は当然ながら満席で、私が当日予約で乗車できたのは“奇跡”と言っても過言ではない状況であることを乗ってから実感しました。
よって今日、3月12日は、台湾側の内湾線沿線でも日本同様、人で溢れる事態があったかも?です。また4年前は台湾では「撮り鉄」さんを殆ど見なかった記憶ですが、今回は日本からではなく、地元の“撮り鉄”さんの姿も見られたかもしれません。

それにつけてもこうした姉妹列車提携は素晴らしいことだと思います。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!